誰かに一生懸命話をしていて、相手に「愚痴を聞いて欲しいの?」などと言われようものなら烈火のごとく怒り、「これは何も言えないあの人を思っての愚痴なの!」などと反論していませんか?しかし、メルマガ『伝授!潜在意識浄化法』の著者・齋藤翔さんは、「例え誰のためであっても、愚痴はあなたの問題でしかない」とバッサリ。これを読めば、愚痴を正当化する相手を徹底論破できるかもしれません。もちろん、自分も同じ事をしていないか振り返るのもお忘れなく。
「愚痴をこぼす自分」を許している状態だから
前回の続きです。「愚痴」に丁寧に取り組んでいきましょう。
他人の愚痴に対処しようとするとき、次のポイントは重要です。
愚痴は、「他者からの承認欲求」という低次の承認欲求に基づく行動なので、「愚痴を言っても何のプラスにもならないし、みっともないし、雰囲気も悪くする」といった意識は働きません。
愚痴を聞く相手の気分などお構いなしに、「愚痴をこぼす自分」を優先している状態で、相手や周囲を気遣う余裕はありません。
相手ではなく「私に共感して」「私を認めて」という「私、私、私」状態なので、言い換えれば究極の自分本位モード。
まずここが基本です。
「良いコミュニケーションの基本は相手本位」でしたね。だから愚痴をこぼす相手と上質なコミュニケーションを取るのは難しいのです。
お互いが相手本位をキープするのが良いコミュニケーションの条件なのに、相手が「究極の自分本位モード」にある以上、あなたが一方的に歩み寄る以外にまともなコミュニケーションは成り立たない、ということになります。
「一方的に」が通常のコミュニケーションと異なる部分です。相手のほうからはまったく歩み寄ってこない、ということです。
ここまで、よろしいでしょうか。
まずは原則的な話を押さえておきましょう。
「いえ、私の愚痴は私のためではなくて、娘のことを思っての愚痴なんです」なんて反論したくなる人もいるかもしれません。
たとえば、「幼い娘の世話を十分にしてくれない夫」について、自分の母親に愚痴をこぼすようなケースですね。
仲良しのお友達が困っているのに相談に乗ってくれない担任のことを「ひどい」とこぼすのも、「お友達のためであって、私のためではない」と思うかもしれない。
しかし、「私の娘」「私の友人」だから、愚痴を言うんですよね。だからあくまでも「私の問題」です。
また、具体的に何をしたらいいかと話を聞きに行くのは「相談」ですが、べつに解決を目指しているわけではないしアドバイスを実行するつもりもないなら、愚痴です。
ここは似ているようで大違いですよ。
「良い方法を知っていたら教えて」という気持ちなら相談ですが、本音が「話を聞いて」なら愚痴です。
中には、「ああしろこうしろなんてアドバイスを求めているわけじゃないの。話を聞いてくれればそれで良いんだから指図はしないで」なんて、ハッキリ言葉にして相手に求める人もいます。
これは言い換えれば「愚痴に付き合え」ですよね。
つまりは「ノリノリで私に共感して。それ以外は要らないから」です。
まさに「究極の自分本位モード」だとわかるでしょう。
言葉ではなんと言ったとしても本音では、相手のアドバイスを聞くつもりもないし、反論なんかお断りだし、夫や担任に理解を示そうものなら「あんたは敵」「あんたも同類」認定する気満々です。よくて「あなただけはわかってくれると信じていたのに」でしょう。これは最も「人間関係のホメオスタシス」が強いタイプです。
客観的な見解を示そうとしても、「でも私の気持ちはどうなるの?」と、客観性が持てない領域に引き込もうとします。
このような状態の相手と良いコミュニケーションをするには、どうしたらいいのか。
なかなかハードルの高い課題でしょう?
それだけに、取り組み甲斐がありますよ。
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