小室哲哉さんの不倫疑惑が収束したと思ったら、今度は小泉今日子さんが俳優との不倫を告白…。今年も週刊誌やワイドショーのネタは尽きることがなさそうです。しかし、無料メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』の著者で臨床心理にも詳しい薬剤師の小原一将さんは、赤の他人の人生が気になって仕方ない人は「我慢ばかりの自分を正当化するためにルールを守らない人間を批判している」と、鋭く指摘しています。
人の人生は気にする必要がない
人はなぜあんなに他人のことを悪く言うのだろうと考えることがある。例えば、有名人の色々なスキャンダルに対して全くの赤の他人がそこまで文句を言う必要はないはずだ。
政治家の問題であればたしかに私たちの生活に直結するかもしれない。それも横領や法律違反などなら理解できるが、不倫などプライベートな問題は私たちに関係ない。極端に言うと職務をしっかりこなしてくれればプライベートがどれだけルーズでも影響はない。
こういったことに対して私は、ルールを守っている自分を正当化するためにルールを守らない人間を批判するのではないかと思っている。
自分は質素にコツコツと努力して、やりたいこともやらずに、買いたいものも買わずに頑張っているのにあの人たちは良い思いをしている。こんなにガマンをしているのにあの人たちだけそんなことが許されるわけがない。という思考回路にはるわけだ。
我慢をして辛い思いをしている自分を良く思いたい、そんな自分を守りたい、だから人を攻撃する。
寂しい言い方かもしれないが、人の人生はその人のものであって自分には関係ない。友達や同僚などの身近な人や、家族や恋人などのもっと近しい人の人生は影響もある程度はあるが、それでも関係ない場合も多い。
人生は相手に影響されることがほとんどと思っているかもしれないが、それは自分から望んでそうしているように感じる。その人から離れたらいいし、その組織から離れることもできる。どうしても離れられない人がいることも否定はしないが思っているよりも周りは自分の人生に関係ない場合が多いと私は思っている。
今の生き方を変えたくないから、勇気を出して変化するのが怖いから、それらの保身のためにわざわざ人の人生に関与しているように思えてしまう。
自分の人生を自分で生きればいいだけだろう。自分の人生に周りを介入させようと思うから不必要な感情がわき起こる。
自分の人生を自分で生きられないから、人はなぜか相手の人生を生きてしまう。相手と比べてしまうのだ。実は周りは関係ない。周りがお金持ちだろうが幸せだろうが、幸せに見えようが関係ない。自分の人生を自分の足で歩けば良いだけだ。
しかし、それは厳しい道のりになる。人のせいにできない、つまり言い訳ができなくなる。大抵の人はその厳しい生き方を避けて、言い訳ができる楽な人生を歩んでしまう。
周りを必要以上に気にするのはやめてしまった方がいい。周りを意識して自分を正当化させても得るものはない。
自分の足で自分の人生を生きている人は少なからずいる。そんな人たちは周りの雑音が耳に入らない。