福島原発事故で明らかになった原発の「固有安全性、多重防御」のウソ
筆者は科学者ですが、科学は人間が相手の場合と異なり、最後までごまかすことができません。必ず事実は露見します。原発という科学の最先端を利用する場合の大原則は、「ウソをつかない。騙さない。科学的な原理を守る」ということが安全にはもっとも大切であることがわかります。
でも、私が原子力関係に携わっていた時の最も大きな問題は、「ウソをつく、隠す」ということでした。もともとの原因は「反対運動が激しく、いちいち相手にしていられない」ということで「嘘も方便」でしたが、そのうち「ウソが普通」になり、福島原発事故で明らかになったように、原発の安全の根幹であった「固有安全性、多重防御」もウソだったのです。
日本の技術力をもってすれば、地震国の日本でも世界に先駆けて「地震国で原発を安全に稼働する」ということが可能だったかもしれません。でも、日本の政治、風土、日本人の倫理観が現在のままでは技術はその力を発揮することができません。
筆者が原発関係の国の委員をしているころ、原発関連の立地となると、土地で政治家が、建造物で大手建設会社が、装置で大会社が、政治家を伴って暗躍し、安全な立地を確保することはほとんど不可能な状態でした。原発は技術問題が大きいので、常に東大の先生が後ろにいるのですが、原発の安全より自分の栄達のために政治的な動きをするのでどうにもならないのです。その一つの原因が、東大を退官した後の役職やその後の受勲などがチラチラしていました。
原発は安全が第一なので、監視体制も推進側(内閣府原子力委員会)と抑制側(内閣府原子力安全委員会)に分かれていましたが、それも「産業が優先」ということで、経産省に「原子力保安院」というのができて、実質的に骨抜きになっていました。
つまり、原発は基本的に良い方法だとか、日本の技術は高いから安全だ、というような原理や科学ではなく、日本の建前主義、官僚主義、勲章などとともに、それがわかっていても報道しないNHKや朝日新聞が存在する限り、残念ながら原発のような高度な技術を安全に運転することはできないということです。(メルマガより一部抜粋)
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