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少女の「サンタはいるの?」に答えた新聞記者の歴史に残る名文

クリスマスムードが街を包むニューヨークでは、祈りや願いのコトバを目にする機会が多くなると伝えてくれるのは、『メルマガ「ニューヨークの遊び方」』の著者でNYに住む、りばてぃさん。「思い」の詰まったコトバに接し、夢や希望や理想を自分の頭の中で自由に思い描くのがクリスマスの意義の一つと思考します。そして、120年以上前の少女の質問に答えた新聞記者の歴史に残る名文を紹介してくれました。

「思い」が世の中をつくる

(1)メイシーズの信じるキャンペーン

ニューヨークで最もクリスマスの雰囲気たっぷりなのが、老舗デパート「メイシーズ」(Macy’s)のニューヨーク本店。ここは、アメリカ人なら、誰でも知ってる映画『34丁目の奇跡』の舞台にもなっている。

『34丁目の奇跡』は、もう半世紀以上も前の1947年に初めて公開された映画だけど、米国では、今でもこの時期になると必ずテレビで放送され続けている名作クリスマス映画だ。

ネタバレにならない程度に簡単に説明すると、この映画では、サンタクロースがいると信じる子ども達から届いた大量のお手紙が、ある奇跡を起こす。

そんなわけで、メイシーズでは、数年前から、毎年、この時期、お店の外壁、店内、その他いたるところに『Believe』(信じる)という一文字を掲げ、ホリデー・シーズンの特別セール・キャンペーンを大々的に行うようになった。

『Believe』(信じる)

それは、「サンタさんはいるんだ」と信じようと呼びかけるキャンペーンでもある。

ご参考
●『Believe』だらけのクリスマス前のMacy’sニューヨーク本店

(2)万国共通の人間の特徴

メイシーズの『Believe』だけじゃない。この時期、ニューヨークでは、『Pray』(祈る)とか、『Hope』『Wish』(願う)とか、『Dream』(夢見る)などのようなコトバを、街角のあちこちで、とても頻繁に見かけるようになる。

日本でも、新年を迎えると、多くの方々がお寺や神社に初詣に出かけて、神様に何かをお祈りしたり、お願いしたりするが、どうやらこういう感じで、神様に祈ったり、お願いするという行動は、万国共通のようだ。

世界中から多種多様な文化や価値観を持つ多様な人種や民族が集まっているニューヨークでも、年末から新年にかけてこの時期になると、

『Believe』(信じる)

『Pray』(祈る)

『Hope』や『Wish』(願う)

『Dream』(夢見る)

…といった感じのコトバを見かける機会はグッと増える。たぶん、世界のどの国にも、何かしらの神様がいらっしゃって、宗教や信仰のようなものが存在している、ということなのだろう。

科学の進んだ21世紀の現代社会では、いくらどんなに神様に祈ったり、願ったりしたところで、それだけじゃ、思いが実現するわけがないと、たぶん、多くの人々は理屈のうえでは十分に分かっている。

でも、それにも関わらず、結局のところ人間は、こういう1年の終わりとか、新年を迎えるというような何かの節目のタイミングになると、神様(または神様的な何か)に、信じたり、祈ったり、願ったりする

比較的、宗教心が薄いと言われることの多い日本人でさえ、お正月になると、ものすごく大勢の方々が初詣に出かけて何かしらの祈願をしているわけで、例えば、キリスト教の影響が強い欧米諸国では、さらにもっとこの傾向が強くなるのも当たり前なのだろう。うーむ。実に、興味深い現象だ。

(3)「思い」がなければはじまらない

で、ニューヨークの街角で、どーんと大きく掲げられた『Believe』(信じる)のようなコトバを頻繁に見かけながら、ふと、よくよく考えてみると、こういうのって、大事なことかも?とか思えてきたりもする。

だって、例えば、美味しいと評判のラーメン屋さんのラーメンも、お洒落で可愛いファッション・アイテムも、歴史に残る名曲や名画とか、クールでかっこいい最新デジタル機器、その他、今では欠かすことのできない発明や発見のすべて、さらには、社会制度や国家といったものですら、この世の中にあるものの大半は、よくよく考えてみると、これまで人類の歴史の中で、どこかで誰かが抱いた「思い」によって生みだされ、作り上げられ、発展してきたものばっかり、と言えるからだ。ひょっとすると、誰の「思い」もないのに存在しているものなんで、この世の中にないかもしれない。

いや、思ってるだけじゃ駄目だよ。「行動」しなきゃ…とか、よく言う人はいるけれど、どこかへ行こうとしたときに、なんとなく出かけて、なんとなく電車に乗って、なんとなく駅で降りて、それで無事に到着するなんてことは、まず起こらない。どこに行くのにも、行き先をどこにするかという「思い」がなければ、どんなに「行動」したって、永遠にたどり着けないかもしれない。

例えば、今、電車に乗りながら、このメルマガを読んでいる方は、必ず、どの駅で降りるという「思い」を抱いているだろう。そう、だから、「行動」はそれはそれで重要なのだけれども、やっぱり、「思い」がなければ、何もはじまらない。

さらに、もう少し考えてみると、どれだけ大きな「思い」を抱けるか?によって、その人がどれだけのことを成し遂げることができるのかが決まってくる、とも言えるだろう。まぁ、だから昔から、『少年よ大志を抱け』(Boys Be Ambitious)なんていうクラーク博士の名言が、日本でも語り継がれていたりするのだろうし。

また、逆に言うと、あんなこといいな、できたらいいな…など等と、よりハッピーな未来の自分の姿を自分の頭の中で思い描くことができなければ、それはつまり、よりハッピーな未来の自分の姿が、いつまで経っても、いつまで待っていても、結局、永遠に「実現しない」ってことにもなるのかもしれない。

そうやっていろいろ考えてみると、例えばそれが、ただ単純に、神様(または神様的な何か)に、信じたり、祈ったり、願ったりするだけであったとしても、何かしらよりハッピーな未来の自分の姿を自分の頭の中で思い描くことは、すべての人間にとって、極めて大事なことなんじゃないかなって思えてくる。

(4)クリスマスの意義

せっかくの機会なので、「思い」がなければ何もはじまらないってことについて、もう少し深く考えてみよう。

例えば、【AがBになるように…】人間は、信じたり(Believe)、祈ったり(Pray)、願ったり(Hope、Wish)、夢に見たり(Dream)する生き物だ。その他にも、予期したり(Expect)、想像したり(Imagine)、仮定したり(Suppose)、計画したり(Plan)もする。

その【AがBになるように…】の内容がどのくらい現実的なのかとか、実際に起こる頻度や確率などによって、使うコトバはいろいろと変わってくるかもしれないけど、ざっくりと言うと、要するにこれらはすべて、人間が何かを「思う」ということだ。だから、「思い」がなければ何もはじまらない。17世紀にフランスの哲学者デカルトが残した名言、「我思う、ゆえに我あり」(Cogito ergo sum)の通りということなのだろう。

改めて考えてみると、そのくらい人間が抱く「思い」は重要で、場合によっては、世界の未来を変えちゃうくらい大きな力を潜在的に持っているもの・・・なのだけれども、人間ってのは、忙しい日々の中で、その重要性をよく忘れてしまう気がする。

特に、長く生きていけばいくほど、子どもの頃に描いていた「思い」なんて、ほとんど覚えてなかったり、子どもの頃のように自由奔放に様々な「思い」を無邪気に思い描く楽しさすら忘れてしまった…という大人も多いかもしれない。

そんなことやってると、周りの人々に批判されたり、バカにされたりするよ、とか忠告されたりして、大人になればなるほど、疑い深くなっていくというか、目に見えるものしか信じられなくなっていく感じ?「それが大人になるってことだよ」とか言う人までいたりして。

でも、今回ざっと見てきたとおり、よくよく考えてみると本当は、何かしらの「思い」(例えばより良いアイデアとか)を自分の頭の中で思い描くことができなかったら、いつまで経っても、いつまで待っていても、より良い結果は、永遠に「実現しない」。あるいは、より幸せな未来の自分の姿を自分で思い描くことができなかったら、幸せな未来だって永遠に「実現しない」かもしれない。

だから、人間には、時々、立ち止まって、夢や希望や理想等など「思い」を自分の頭の中で自由に思い描く機会が必要になってくる。子ども心を取り戻す機会…と言ってもいいかもしれない。その機会の1つが、このクリスマスなんじゃない?とか思ったりもして。

そんなことを考えながら、あの歴史に残る名文、Yes, Virginia, there is a Santa Claus.(バージニアちゃん、サンタクロースはいるんだよ)を読み返してみると、ものすごくグッとくるものがある。

今から120年以上前の1897年に、8歳の女の子から「サンタさんはいるの?」との質問の手紙に新聞社の記者さんが社説で答えたという歴史に残る名文だ。毎年、この時期に何かしらのかたちで取り上げてるけど、やっぱり今年も、以下、その和訳をどうぞ。

バージニアちゃんからの手紙の和訳

編集長さま、わたしは8才です。わたしの友だちにはサンタクロースなんていないんだといっている子がいます。お父さんは「サン新聞に問い合わせてごらん。新聞社のひとがサンタクロースがいるというなら、たしかにいるんだろう」と、いいました。   ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?

新聞社の記者、Francis P. Churchさんが書いた社説の和訳

バージニア、あなたのお友だちは間違っています。疑い深い年頃に特有の疑い深さの影響を受けているのです。見えるものしか信じないのです。そのちいさな頭で理解できるもの以外は存在しないと思っているのですよ。

バージニア、すべての人々の考えは、それが大人であっても子どもであっても、小さなものなのです。真実や知識の全てを把握するだけの知性によって測れば、この広い世界の中で、人は単なる昆虫、そう、まるでアリのような知性しか持ち合わせていないのです。

バージニア、サンタクロースはいるのです。目には見えないけれど、愛や、優しさや、誰かのために尽くす気持ちが存在するのと同じように。あなたもこういったことがどんなに豊かなもので、あなたの人生に最高の美しさと喜びを与えてくれることを知っているでしょう。

そうです!もしこの世界にサンタクロースがいなかったら、どんなにつまらないことか!それはこの世にバージニアがいないのと同じほどつまらないことです。そんな世界には、子どもらしい「信じる」気持も、私たちに生きる望みを与えてくれる詩も夢もありません。

目に見えるものにしか、楽しいと感じることがなくなってしまうのです。子ども時代を満たしてくれる外から包み込んでくれる光が消えてしまうことになるのです。サンタクロースを信じないなんて!

ならば妖精の存在も信じていないのですか。パパにお願いして全ての煙突を見張らせる人を雇い、クリスマスイブにサンタクロースを捕まえようとして、それでもサンタクロースが見つからなかったとしても、サンタクロースは街にやってきているのです。

なぜそうだと分かるのかって?サンタクロースを見ることは誰にもできないのです。でも、それでもサンタクロースがいないということにはなりえません。この世で最も本当のことは大人にも子どもにも見えないものなのです。芝生の上で踊っている妖精を見たことはありますか?もちろん、ないですよね、でも、だからと言ってそこに妖精がいないという証拠なんてないのですよ。

この世界にある、見えないものや見ることのできないものが持つ不思議な魅力の全てを知っている人も、いや、それら全てを想像できる人ですら、ただの1人も存在しないのです。

あなたが赤ちゃんのガラガラをばらばらにして、ガラガラと音を出すものを見ることができたとしても、まだそこにはベールに包まれた見えない世界があるんです。そしてそのベールは、最強の男が、いや、これまで歴史上最強と言われた人々が束になってかかっても破ることなんてできないのです。

唯一、信じる心、詩、愛、ロマンスといったものだけが、そのベールを押し開いてその向こうにある言葉に表せないほどの美しさや栄光を見せてくれるのです。

えっ、それって本当なのだって?ねぇ、バージニア、この世界には、これ以上に真実で永遠なものなんてないんですよ。サンタクロースがいないなんて!

なんてことでしょう!サンタクロースはいるのです。そして、永遠に生き続けることでしょう。バージニア、今から千年後、今から千年の十倍のまた十倍の後になっても、サンタクロースは子どもの心を喜びで満たしつづけるのですよ。

ご参考
●Yes, Virginia, there is a Santa Claus.(バージニアちゃん、サンタクロースはいるんだよ)

image by: shutterstock.com

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ニューヨークの大学卒業後、現地で就職、独立。マーケティング会社ファウンダー。ニューヨーク在住。読んでハッピーになれるポジティブな情報や、その他ブログで書けないとっておきの情報満載のメルマガは読み応え抜群。

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