2018年11月10日、渋谷のハチ公前広場で繰り広げられた「ポズック楽団」のパフォーマンスに衝撃を受けたメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さん。前回の記事「障がい者が繰り広げるチンドンパフォーマンスに未来の可能性を見た」の結びでの宣言どおり、和歌山に飛び取材。アート作品に囲まれた彼らの活動を早速レポートしてくれました。
多様性と創造性の中で描く「ポズック楽団」の未来
キャッチコピーは「ヘンテコ オチャメナ」。その名はポズック楽団。2018年11月14日の本コラム「障がい者のチンドン屋が繰り広げる新しい世界」で東京・渋谷での公演を紹介し、「私がチンドン屋の本拠地に行かなければ」と結んだあのチンドン屋である。
和歌山県紀の川市の就労継続支援B型事業所ポズックが営む楽団の本拠に「約束通り」訪れ、メンバーがのびのびと練習に勤しみ、同時にイラストやアート作品の制作に取り組む真剣な姿を目の当たりにした。公演で見せたあの楽しいチンドンは楽しげな日常、カラフルな創作の日々から生まれてくるのだ、と実感し、多様性との関わりについて考えた。
JR和歌山線粉河駅前の古いレンガ塀に囲まれた大正時代の旧家「山崎邸」には、ポズックの運営母体である社会福祉法人一麦会が運営するカフェ・展示スペースがある。この20畳の大広間が楽団の練習場だ。
音を合わせながら、それぞれの動きを確認する。リードするのは支援員の3人。「ここな、するするっと忍者のようにまわって」。身振り手振りを加えながら、わかりやすいイメージで指示するのも必須だ。「ほな、やってみよか」。繰り返しのうちにだんだんとよくなるそれぞれの動きに不安と自信が入り混じる。疲れがピークに達したところで終了。一行は歩いてすぐの作業所に移動する。
なぜチンドン屋なのか。ステージでメンバーをリードする支援員の奥野麻美さんによると、チンドン屋の始まりは「ストレス発散」だったとのこと。2014年秋にストレス解消で太鼓を叩き始め、踊り出したら「面白い」となり、やがて衣装を合わせて音を合わせて楽しむうちに、近くの幼稚園に呼ばれて喜ばれ、チンドン屋になったというのが誕生のプロセスである。
いつから始まった、よりは、いつの間にか今があり、出来上がってきて、そして「まだまだですけど」というのが現在地のようだ。各地からの要望による公演に出向くようになって約2年になる。就労継続支援事業の有料サービスとして位置づけているが、「ボランティアでお願い」という声も少なくないようだ。
練習は「やりすぎると飽きる」(奥野さん)から週2回のペース。演目は「ポズック行進曲」「東京節」「決めよう節」「草競馬」などの20曲のほか、子供と交じり合う手遊びやお笑い系の寸劇のもある。
舞台は笑いに包まれるのが常だが、デザインアートの雑貨の制作・販売を生業とするポズックはチンドン屋の衣装、楽器はすべて廃材やゴミなどの再利用で作ったアート作品でもある。制作をアーティストの観点からリードするのは絵描きの奥野亮平さんだ。作業所でメンバーとおしゃべりしながら奥野さんは「メンバー、実はそのままが一番面白いんです」と話す。
作業所はアート作品に囲まれ、奥野さん制作の作品はどれもカラフルで楽しげだ。統合失調症で幻聴・幻覚に悩まされている利用者には専用の机でアートを目の前にして作業に従事してもらい、不安定要素のある人は個室で行うなど、それぞれの障害特性にあったスペースを確保している。
つまり、それぞれの特性に合わせた多様性のカタチとして、チンドン屋もある。楽団のメンバーにインタビューを試みたところ、みんなが「大変だけど楽しい」と語る。楽しいことを仕事に出来るって、見ていても気持ちがいい。
image by: 社会福祉法人一麦会 Po-zkk(ポズック)