4月11日、12日の2日間にわたって開催された北朝鮮の国会に当たる最高人民会議について、注目すべきは人事面だと語るのは、メルマガ『宮塚利雄の朝鮮半島ゼミ「中朝国境から朝鮮半島を管見する!」』の著者で、北朝鮮研究の第一人者の宮塚利雄さんです。宮塚さんは、これまで「絶対に粛清、追放はされない」と指摘してきた崔竜海氏が名実ともにナンバー2となった背景を解説。唯一ある失脚リスクに言及するとともに、また新たな呼称を得た金正恩の新体制に注目しています。
金正恩に新しい呼称。崔竜海が名実ともにナンバー2に
北朝鮮の国会に相当する最高人民会議の第14期第1回会議が首都平壌で2日間にわたり行われた。
金正恩朝鮮労働党委員長の施政方針演説や人事発表などはあったが、最後まで非核化の意思は確認できなかった。大方の予想では、第2回目の米朝首脳会談が失敗に終わったので、年内にも第3回目の米朝首脳会談を目論む北朝鮮としては、ここで、非核化に向けての新たな提案をしてくるのではないかと期待していたが、北朝鮮は非核化に向けて真摯に取り組んでいるようには見えなかった。
私が注目したのは人事である。今回の人事で新設された国務委員会第一副委員長に崔竜海が選出されたことである。崔竜海は高齢の金永南に代わり最高人民会議常任委員長にも就任した。崔はこれまでも「金正恩の最側近」などと言われてきたが、これで名実ともに「ナンバー2」になった。
私はこれまで「崔竜海は絶対粛清、追放はされない」と言ってきたが、それは、金正恩が万が一にも崔竜海を粛正するようなことがあれば、尊敬する祖父金日成の業績や存在を否定することになると考えているからである。
日本は11年間も続けてきた国連での対北非難決議の提案を今年は行わなかった。それは「拉致問題解決に対する北朝鮮の対応に配慮して」というようなことが理由であったが、日本政府は本当に日本側の北朝鮮に対する「柔軟な配慮・思いやり」が通じるとでも思っているのだろうか。
私は、以前も言及したことがあるが、北朝鮮を建国したのは金日成や崔賢(崔竜海の父)など、1945年9月19日に、ソ連の漁船を改造した軍艦「プガチョフ」に乗っていた60人の抗日パルチザンの同志が建国した国であるからだ。この60人の集団は血で塗られた国内での数多くの粛正劇を乗り越えてきた連中であり、その中からさらに生き残ったのが金日成や崔賢などの一部であり、金日成と崔賢はパルチザン時代に「同じ釜の飯を食った仲間」であり、北朝鮮に上陸してからは金日成を首班とするグループの度重なる粛正劇を乗り越えてきた仲間でもあり、同志でもある。
崔竜海は金正日時代に一時、地方に追放されたこともあるが、粛清、処刑されるようなことはなかった。金正恩の叔父の張成沢は金正恩に叔父ということで色々な小言や、ときには命令口調になるような口ぶりで注意のようなことをしたので、金正恩から疎んじられ、最後は無残な方法で処刑され、その死骸は跡形もなくなるほどであったというが、そのあたりのことは年長の崔竜海も骨身にしみているはずだ。
崔竜海が失脚、粛清されるようなことはないと思うが、あるとするならば、今、北朝鮮の高級幹部の子弟が繰り広げている「経済利権の争奪戦」で、崔の子弟が引っ掛からなければいいのだが。
それにしても金永南は90歳になるまでよく、最高人民会議常任委員長の座に留まることができたものである。「お飾りの座」とはいえ、よく長らえたものだ。4月14日に北朝鮮の国営メディアは金正恩を「朝鮮人民全体の最高代表者で、共和国の最高指導者である国務委員長」と、新たに「最高代表者」の呼称を付け加えたが、中身のない者ほど着飾る、とはよく聞く言葉であるが、今度は金正恩にどのような修飾語をつけるのか、崔竜海の今後とともに注目したい。(宮塚コリア研究所代表 宮塚利雄)
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