MAG2 NEWS MENU

数万円の治療費が払えない人間に飼われてるペットは幸せなのか?

 「世の中カネだ」という向きに対して「そんなことはない」と反発する声もありますが、心の余裕を生み出すためにはやはり「お金」は大切なのかもしれません。今回の無料メルマガ『生きる!活きる!『臨床力』』では著者で獣医師と臨床心理士の資格を持ち、大学で教鞭も執られている渡邊力生さんが、自身の体験から感じ取った「心の余裕とお金の関係」を記しています。

人生は金!?

みなさん、こんにちは。この世はお金が全てではないものの、お金によってもたらされる価値を必要以上に貶めたり直視するのを避けようとすることは得策ではないと思っています。

先日こんなことがありました。朝の通勤時にコンビニで日経新聞とスムージーとサンドウィッチを買うのにレジ前に並んでいました。そうすると前のご婦人がなにやら手間取っています。レジ台にはミネラルウォーターが一本。彼女のがま口からなかなか硬貨が出てきません大学に向かうスクールバスの時間が迫っています。やばい。この新聞と朝食を買うのを諦めるか…。というか、水一本でどんだけ時間かかんねん!?と正直少しイライラしてしまいました

大人気ないっすね(汗)

このショートストーリーにはこの後、思わぬ展開が待っていました。ようやく会計を終えてスクールバス乗り場へ向かおうとしていたところ、そのご婦人に呼び止められたんですね。

「あのぉ、すみません。開けてもらえませんか?

先ほどのミネラルウォーターを差し出したその方の手は小刻みに震えていました。

「え?何が?」

最初事態が飲み込めずぶっきらぼうに言ってしまった自分を私は恥じました。ペットボトルの蓋は簡単に開けることができました。

そのご婦人はペットボトルの蓋を開けることができないくらい手が不自由な方だったんですね。もしかしたら視力の問題もおありだったのかも。そりゃ当然、がま口からお金を取り出すのに時間がかかります。

心に余裕がないとちょっと考えれば分かりそうなことも見えなくなってしまいますし思いやりの心なんてすぐにどこかへ吹き飛んでしまうんですよね。少なくとも、まだまだ未熟な私はそうなってしまいます。

心の余裕と書きましたが、なぜその時私が心の余裕がなかったかと言えば、スクールバスの時間が迫っていたからでした。でも大学へはバスでなくても行くことはできます。たとえばタクシー。バスに乗り遅れてもタクシーを使えば問題ありません。ただそこで3,000円近くも払う余裕は正直今の私にはありません。尤も昔に比べたら随分タクシーを使う頻度は高くなりましたが…。

コンビニで朝食を買おうとしていましたが、これもそもそも朝早く起きなかった自分の怠慢が生んだ余裕のなさです。それも掘り下げられるだけ掘り下げて考えてみると、自分が労働者で時間に縛られた仕事の仕方をしているから、時間を売ってお金を得るというシステムで生きているから、というところに行き着きそうです。

やはり自分で自分のお金や時間をある程度のところまでは自由に使えるような仕事のしかたをしなければ、ここからはジリ貧であると言わざるをえないと私は捉えています。

そう考えてみますと…、心の余裕を生み出すのにお金がかなり大きなウェイトを占めている、と言っても良いのではないでしょうか。

少なくともあの朝、私に今の5倍ぐらいの経済的余裕があればイライラすることはおそらくなかったと思います。それは時間的余裕でも良いのかもしれませんが、【お金が時間を生む】という発想でいくと、やはりお金というものが余裕を生み出すための主たる源泉”であるということは言えそうです。

私の場合の例は極めて器の小さな話で恐縮ではありますが(汗)、でも私なりにその時に実感したんですね。お金がないということは自分の心の選択肢を狭めてしまいますし自分の心の余裕を奪ってしまうことになるんだと。

たとえばそこで自分の中の人間らしい部分である【他者への思いやり】という部分を毀損してしまったりしたら、その損害はタクシー代では済まないかもしれません。

自分にとって大事にしていることは、存外気づかないうちに失ってしまうもの。

お金に余裕があればそれを完全に防げるかという、もちろんそこにはそもそもの自分の人間性というものも大きく関わってきますから、一概にどうこうとは言い切れないでしょう。ただ、経済的余裕が生み出す価値というものが、単に自分の欲求を満たすためだけにあるのではなく、現代社会においては人間が人間らしくあるために貢献しているのではないか。

そんなふうには考えています。

たとえばこういう例もありますね。

我々が獣医師として動物の診察に従事していますと、治療費というのはシビアな話になります。人の医療と違って保険が効かないというのも確かに大きな要因ですが、それだけではないと言えそうです。

そもそも我々自身の健康というのは失われてしまったら人生が成り立たなくなります。だから何とかして治療費は捻出しようとするというか、しなければなりません。それを放棄するということは生きることを放棄することになるからです。

でも動物の医療はそうではないのです。口にされるかどうかは別として、飼い主さんの中にはある程度“治療費の上限”というものが存在しています。言わば経済的余裕の分だけ動物に使えるということです。

命を軽視するのか??とご批判される方もいらっしゃるかもしれませんが、その余裕を超えてつぎ込むということはつまり人間の生活を困窮させることになりますから、結果として動物もハッピーにならないということを考えると、やはりその余裕の中で治療の選択をしていかざるをえないのです。

一方で…、批判を恐れずあえてここでは“わずか”と書かせていただきますが、わずか数万円の治療費がどうしても払えないということで治療を断念される飼い主さんもおられます。たった数万円の余裕がないのに動物を飼っているということは、はたして本当に幸せな人生と言えるのでしょうか。少なくとも動物にとっては幸せとは言えないでしょう

お金で苦しみを取り除いたり和らげてあげることができるのであれば、なんとかしてでもお金を工面しようとするのが人の心というものでしょう。少なくともそういう思いを持っておられるから動物病院に連れてこられてはいるのでしょう。もちろん人によって数万円というのが生活を困窮させてしまう額になるという方がいらっしゃることは否定しません。その方達を蔑む気持ちも毛頭ありません

とはいえです。

数万円の余裕がないのに命を一つ預かろうというのにはどう考えても無理があると私は思うのです。この現代社会においては、ですね。

少し私情を挟んでしまったかもしれません。失礼しました。

でもここまでの話に共通して言えることとは、やはりお金が生み出す価値の幅広さだと思うんですね。一見すると分かりにくい価値を生み出す可能性を秘めている、とも言えるかもしれません。その一つが心の余裕だと思うのです。

人間らしい部分を守ることも、

新しいアイデアを生むのも、

自分の健康を維持するのも、

家族や従業員を守るのも、

この国の未来を考えるのも、

それは全て心に余裕がないとできないことだからです。

そしてもしそれがお金によって幾許か生み出せるとしたら…。やはりお金の価値を貶めたり軽視したりすることは到底できないと私は思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

今日は、私が体験した朝の何気ないワンシーンから着想を得たことを綴ってみました。蓋を開けてお渡し時のご婦人のありがとうに心が救われました

それではまた!Ci vediamo!!

image by: Shutterstock.com

渡邊力生この著者の記事一覧

「臨床」という言葉は、人が横たわる床や寝台というギリシア語をルーツとし、元々は宗教的な言葉として用いられていました。それが医療、心理学、教育の世界でも用いられるようになり、徐々に「現場」という意味合いが強くなってきました。  しかし現場というのは何も医療などの専門的な分野に限ったことではありません。人が人に出会う場面は全て「現場」であり「臨床」であると言えます。様々な場面で「生きる」方にとって「活きる」知識や気づきを提供する、すなわち「臨床力」のヒントとなるようなメルマガを目指します。

無料メルマガ好評配信中

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 生きる!活きる!『臨床力』 』

【著者】 渡邊力生 【発行周期】 ほぼ 日刊

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け