「学び」や「勉強」というワードはビジネスパーソンにとって欠かせないものとなっています。しかしながら多くの人が学びを続けてはいるものの、何故か成果を上げているのは一握りの少数派のみ。何がこのような差を生むのでしょうか。今回の無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ』では著者の佐藤しょ~おんさんが、「学んだ感」をキーワードに、本当の学びについて論じています。
学んだ感で満足しない
ハッキリと統計を取ったわけでもないし、取れるような話でもないんですが、今の日本では3割くらいの人が、上を目指して努力しようとしていて、残りの7割は、その日が恙なく過ごせればそれで良いやと考えているように思えます。
そんな7割の人だって、「もっと」幸せに、豊かになりたいとは思っているんですが、ではそのために自分の中の何を犠牲にしますか?と問われたら、それはしたくない、何かを犠牲にするのは真っ平だと答えるわけです。そんな人と、私は真剣に交わる気持ちを持っていません。このメールマガジンは、そんな人間を選別するための機能を果たしているわけです。
では上を目指す3割の人は、みなさん全員が成果を出して目標を達成するかというと、もちろんこれは左に非ずなわけです。私にメールで質問したり、セミナーに来たりする人の多くは、ここのステージから抜け出たいと考えているんですね。
成果が出ないのは、自分自身のスペックが低いからではないのか?と悩むのもこういう人たちに良く見られる現象です。
そういう人にじっくりと自分を振り返ってもらいたいことがあります。それは、
● 「学んだ」と「学んだ感」の違いを理解しているか
です。
そもそも何かを学ぼうという意欲があって、それを実際に行動として実践しているわけですから、これだけで上位3割に入っていることは間違いないんですが、そのことと成果が出るかどうかは全く別のお話なんですよ。
成果を出すためには、結論として「学んだ」という実績が必要でして、「学んだ気がする」(これを学んだ感と呼んでいます)で終わらせていたら、これはタダの自己満足に過ぎないわけです。
今年卒業した我が家の甥っ子は、まさにこの「学んだ感」で満足するタイプの人間だったんです。机の前に座って、1時間か2時間教科書をペラペラとめくったら、なんだか自分はスゴく勉強したような気分になるんですね。そういう気分を演出するために、勉強をする時には数学、国語、英語と何冊もの教科書を持ってきて、机に積むんですね。
これは勉強が出来ない人の典型的なパターンでして、時間を使って、何か自分にとって苦痛なことをやったということが、そのまま頑張ったことという感覚として残って、学んだことになってしまうんです。
反対に勉強が出来る人というのは、一日で出来ることを過大評価しませんから、1時間なら1時間、2時間なら2時間で消化出来る範囲の問題集なりテキストを持ってきて、その範囲のところを、
▼ 理解出来た
▼ 暗記出来た
▼ 問題を解けた
▼ 正解になった
というレベルになるまでやるんです。そしてそれは予め決めていた時間ではなく、「出来るようになるまで」続くんです。逆にいえば、2時間掛けようとしても1時間で出来るようになったら、今日の予定は終了になりますし、時間をオーバーしても出来るようにならなければ、止めないわけですね。
これが「学んだ」というステータスで、前者の「学んだ感を手にする」のとは、質的に全く別であることが分かりますよね。
人生に於ける成果もこれとほとんど同じでして、
▼ 学んだ感じがする
▼ やった気がする
▼ 頑張ったと思う
という感覚はアテになりませんし、ましてや
■ ○○時間も使った
だから私は頑張ったと言えるのだ、と考えるのなら、これは勘違いも甚だしいわけです。
いくら時間を使ったのかではなく、当初狙っていた成果に届いたのかどうかをハッキリさせて、届いていないのであれば、たとえ10時間やっていたとしても、「成果は出ていない」と分類しなきゃならないんです。これが趣味のギターならどうでも良いんですよ。リアルにこれで人生を変えたいというのなら、ここは避けて通れないんです。
image by: Shutterstock.com