『おはん』や『生きて行く私』などの作品で知られ、「恋多き作家」とも呼ばれた宇野千代氏。そんな彼女は、「運」についても独特の考えを持たれていたようです。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、1987年の『致知』に掲載された、当時87歳だった宇野さんのインタビューが紹介されています。
幸福になる秘訣
大正・昭和・平成にかけて活躍した作家の宇野千代さん。本日は1987年8月号の『致知』で語られた「運」についての貴重なお話をご紹介します。
運は自分がこしらえるもの 宇野千代(作家)
失恋して泣いたこともありますね。泣かなかったように書いたこともあるけど、それはうそ。
ただ、私は一人きりで失恋しました。失恋した時に、よく他人に「あんな薄情な人ってあるでしょうか」と訴えて歩く人がいるけど、あの方法では失恋は退治できませんね。
あの人は捨てられたんだなと笑われるのが、関の山です。
私は自分一人で誰も見てないところで、目も当てられないほど、わぁわぁ泣いてね。そうして一晩中、よじって泣いている間に体の中にあったしこりみたいなものが発散して、ケロッと失恋の虫が落ちてしまうのよ。そうして、お化粧して一番いい着物を着て街へ出かけるの。
あのね、失恋しやしないか、失恋しやしないかと思っていると、失恋するんです。
だから、おもしろいですよ。
人生、いいように考えることが大事ですね。それがもうコツですね、人生の。人生を渡るコツです。
私の弟が船乗りでしたが、一回でも舵をとるのをあやまって船を衝突させたことのある人にはその船会社では二度と船の舵をとらせなかったそうです。
また衝突しやしないか、しやしないかと思ってると、また衝突するんですって。これは、ほんとに真理ですね。
運が悪いとこぼす人は、私、嫌いです。自分が運をこしらえるんだものねぇ。自分が悪いから運が悪いの。
前向きでいつも、自分は運がいい、運がいいと思うんですよ。思うことですね。
結局、失恋も運が悪いのも自分がもと。どんなにね、人から見て運がわるそうだとしても、ああ、私は運がいいなあ、なんて運がいいんだろうと思っているとね、運がよくなる。
私は60歳のときにね、ニューヨークでものすごく感動したんです。
ニューヨークの大通りを観光バスに乗って見物していたら、わたしのすぐ近くに腰を下ろしていた一人の若い女がきれいに化粧してね、花飾りのいっぱいついた帽子をかぶって、満面に笑みをたたえ、見るからに幸福でたまらないという顔をしている。
よく見ると、両手とも肩からすっぽり切り落とされたようになっているんです。それなのに嬉しそうな、世にも幸福そうな顔をして、
「私は両手とも肩からすっぽりと落ちています。でも、こんなによいお天気で気持ちがよいのに、両手がないくらいのことで、この私が、幸福になってはいけない、とでもいうことがあるでしょうか。人間には誰にでも幸福になる権利があるんではないでしょうか」
とでもいってるようにほほえんでいる。あれだと、思いましたね。私は、このときの感動をいまも忘れないですね。
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