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失ったものばかりではない。コロナ禍だから気付けた大切なこと

新型コロナウイルスの感染者数が増加傾向にあります。多くの人たちが少しずつ社会活動を再開する中で、心配なニュースであることは確かです。私たちはこのコロナ禍の中で、多くのものを失いましたが、その一方でこんな状況になったからこそ気付けたことがあるとしているのは、TVプロデューサーとして「からくりTV」「金スマ」などを企画制作した、バラエティプロデューサーの角田陽一郎さん。角田さんは自身のメルマガ『角田陽一郎のメルマガDIVERSE』の中で、コロナがもたらした恩恵について語っています。

鳥のさえずりとリコーダーの音

窓を開けながら作業をしていると、都会のど真ん中なのですが、鳥のさえずりが聴こえてきます。これ、昔から聴こえていたのだろうか?なんて考えてみたりもします。最初に思ったのは、コロナ禍で経済活動が停滞して、自然環境が(若干でも)改善されたのかって思ったりもしました。でも流石に冷静に考えると、そんなことはないとは思うのですが、でも実際にこの数ヶ月間、篭りながらも周辺を散歩とかをしていても午前中の空の青さだったり、夕景の茜色だったり、すごく空気が澄んでいる気がしてならないのです。

でも多分これも、僕が今までは窓を開けてなかったから、鳥のさえずりが聞こえて無かっただけなんだと思うわけです。そして散歩も以前ならそんなにして無かったし、しても散歩ではなく、ただの移動で歩いていたので、空の青さや夕景の茜色に気づかなかっただけなんだとも思うわけです。

つまり、もともとこの都会でも鳥はさえずっていたし、空も青かったし、夕景は茜色だったのかもしれません。それに僕が気づかなかっただけ、僕が閉じていて、外界の自然物とアクセスしてなかっただけなのかもしれないのです。

これ、不思議な感覚ですよね。コロナ禍で閉じこもることでむしろ自分が開いていく、いや正確に言えば、コロナ禍で閉じこもったから自分を開いていくことができる、ってことです。これは、僕にとっては、コロナがもたらした恩恵なんじゃないかと思ったりもします。

たくさんの方が亡くなって、たくさんの方が苦しんで、たくさんの経済的・文化的損失を被ってるのに、恩恵なんてよく言えたものだ、そう怒られたのなら、ただ謝るばかりです。すみません。申し訳ありません。でもそれでも、このコロナ禍という自然物がもたらしたものは、害悪だけじゃないとも思ってしまうわけです。

その恩恵とは、「その事実に気づくきっかけをくれたこと」なんだと(僕は)思います。もう元の世界には戻れない、ではなくて、次の世界にシフトしろ! という自然界から人類に突きつけられた命題=恩恵なんだと思うわけです。

でも窓を開けると、網戸をちゃんと閉めていても虫がときどき入って来ますよね。なぜか蜘蛛も入って来たりします。でもこれだって自然物なのです。気持ちいい自然物はよくて、気持ち悪い自然物は排除する、そんな気持ちは理解できますが、そんな侵入してくる自然物の選択は、実は僕たち人間には根本では不可能なんだって思うわけです。

なぜならそれを気持ちいいと思うか、気持ち悪いと思うかは、人間の自分勝手な思いなだけなのですから。虫にしてみれば、もともと自分が存在した空間に、たまたま人間がいただけにすぎないわけですから。そこをどちらの空間だと思うかは、どっちもどっちだと思うわけです。

そして窓を開けながら作業をしていると、外からリコーダーを吹く音も聴こえてきます。この建物か、隣の住居のどこかで多分小学生のお子さんがリコーダーを吹いているのでしょう。けっして上手くありませんが(笑)、一生懸命練習している感じが伝わってきます。

まあ、そんなに上手くないわけですから、それが騒音かと言われると騒音かもしれないですし、でもなかなか学校にも行けずに、それでも自宅でリコーダーの練習をしている小学生、僕がいつしか窓を開けるとそのリコーダーの音が聴こえてくるのが楽しみになっておりました。今日も吹いてる吹いてる、とか、お、上手くなったかな?とか。そんなことを楽しんでる僕がいるわけです。

そしたら先日この建物の入り口に管理室からの掲示が貼られていました。「最近楽器の演奏をしている住居があると、ある住居の方からクレームが来ました。当マンションは楽器演奏禁止なので、止めてください。」みたいなことが書かれていました。

きっとこのリコーダーの音が不快で管理室に苦情を言った方がいるのでしょう。でも、そんなこと、少しくらい大目にみればいいのにな、って僕は感じました。だってコロナ禍で学校行けないんだよ、公園でだって球技はしちゃいけないんだよ、じゃあどうやって子どもたちは、子どもたちの日常を体験したらいいのだよ、静かにスマホでゲームをただしてろって言うのかよ、少しくらい大目にみろよ、大人たちよ。…なんてことを思ったのでした。

でも、こんな風に思った自分の中で、そんな風に思ってる僕自身が意外でした。だってもし20年前くらいの平成まっさかりの若い僕だったら、徹夜でテレビの仕事してきて、やっと部屋にもどってさあ寝ようって思った時にピーピーとリコーダーの音が聴こえてきたら、それこそむしろそれにクレームをつけていたのは僕だったかもしれないわけです。ていうか、多分間違いなくクレームつけていたと思います。そんな僕が、令和のコロナ禍の閉じこもった中では、そんな下手なリコーダーの音を、むしろ楽しんでいる、むしろ欲している、いやむしろ守ろうと思っている。この自分の変化にとても驚いているのです。

この変化はなんで起こるのでしょう。まあ自分が歳とっただけかもしれません。あるいはやはりコロナ禍の恩恵なのかとも思うわけです。他者の行為を押さえつけることが、はたしてその社会にとっていいことなのか? 社会の調和のためにどんどんやれることが減っていく、どんどん窮屈になっていく、それって社会が閉じていくことなのではないか? 開かれた社会とは何か? それは窓を開いてたら、騒音が入ってくるかもしれません、虫が入ってくるかもしれません。でもそれと一緒に鳥のさえずりもリコーダーの音もはいってくるわけなのです。

これは入って来てもよくて、それは入っちゃダメなんて、それは自分勝手もいいとこです。そうするには、自分自身が閉じて密閉されて閉じこもるしかないわけです。なんならそんなに嫌なら、この建物から、嫌な貴方が出て行けばいいじゃないですか、なんなら東京を離れればいいじゃないですか。その場所にいるのだったなら、その場所の環境と、いいも悪いも含めて同居するしかないんじゃないか?と思うわけです。

まあ、当然、“程度”って話でもあると思います。でもその程度は子どものリコーダーなのです。それも何時間も吹いてるわけではないのです。大音量でもないのです。だったら許容しよう、それを受け入れよう、と思うことが、開かれた社会なんじゃないかと、自分を開くことなんじゃないかと思ったりもするわけなのです。

で、そんな開かれることの意味を閉じこもりながら考えている自分がいます。鳥のさえずりとリコーダーの音を聴きながら、窓を開きながら閉じた世界でこの文章を書いている自分がいます。

人類社会に侵入してくる新型コロナというウイルスは、開かれている窓から侵入してくるうるさい騒音なのでしょうか? 心地よい鳥のさえずりなのでしょうか? 同居しなければならない虫なのでしょうか? それは実は、リコーダーの音なんじゃないか? ってふと思ったりもします。

次世代の者が吹く音が、リコーダーの音です。それは決して上手くはありません。でも、それを吹いている者が、次の時代を担う者なのです。

それをうるさいと思うか? 嫌だと思って窓を閉めるか? それとも窓を開け放し、そのリコーダーの音を許容し、なんなら微笑ましく思うか? そんな選択をするのは、僕ら自分自身なのです。

image by: Shutterstock.com

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