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東京人は「飢え」に備えよ。コロナ下の日本、食料問題の行き着く先は

新型コロナウイルスの感染拡大のニュースが連日報道されていますが、そんな中、農林水産省が5日、2020年度の食料自給率・食料自給力指標を公表しました。過去最低だった前年度より1ポイント上がったとはいうものの、この食料自給率に異議を唱えるのは、メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』の著者であるジャーナリストの高野孟さん。高野さんはそもそも国の自給率の定義がデタラメで、かつ自給率・国産率を高めて貰うよう、国の施策に何かを期待するのは間違っていると指摘します。

「食料自給率1%上昇」の欺瞞。6割以上は輸入頼み

コロナ禍を通じて、全世界のマスクの8割までが中国産であるというグローバル化の裏側の現実を初めて知った我々は、マスクくらいならまだ「アベノミクスのお粗末」という出来の悪いオチを見て苦笑いして済ませられるけれども、こういう事態がもう一歩、二歩と進んで本当に「いざ」という場合が来た時に、食料とか石油とか、生活の根幹をなす物資の確保は本当に大丈夫なのか? と考え込んでしまう。

折しも農水省は8月5日、2019年度の日本の「食料自給率」は過去最低だった前年度より1ポイント上がって38%となったと発表した。1ポイントでも上がったのは結構なことではあるが、それでも食生活の6割以上、3分の2近くを輸入に頼っているという深刻さには何ら変わりはない。

食という生命維持の根幹にこのような脆弱さを抱えていて、どうして安心して暮らしていくことができるのかと、誰もが心配になって当たり前である。

ところがこの問題はそう単純ではない。

第1に、「自給率」という概念自体が極めてあいまい、かつ多義的なので、そこを整理しないで論じるわけにはいかない。

第2に、いずれにせよそこで言われているのは国全体としての自給率の問題で、都道府県別の自給率はまた全然別の心配事を惹起する。

第3に、そこで本当の自給率ということを追い求めて行くと、結局は地産地消、自給自足に行き着くのではないか。

食料の「自給率」と「国産率」は違う

実は今年から、農水省が食料の「自給率」を発表する際にそれと併せて「国産率」を発表するようになった。

あれれ~? 食料をどれだけ国産することが出来ているかの比率が自給率ということなんじゃないの? 正常な日本語感覚ではその通りだが、農水官僚が用いる辞書ではそうではない。

そこで、新聞がこれを報道する場合、今まで通り「自給率38%」と見出しを立ててもいいし(現にほとんどの新聞はそうしている)「国産率69%」という丸っきり印象の違う見出しを掲げてもいい…という大混乱事態が出現するのである。

食料自給率は、牛・豚・鶏などが食べる穀物飼料などの75%が輸入であるため、それを用いた肉やその加工品、卵などは国内で生産されていても「自給品」とは見做されず、自給率の計算から排除される。

あるいは、卵は95%が国産であるけれども、鶏たちが食べている飼料が輸入がほとんどだということで自給率は10%と計算される。

これは、誰が考えたのか分からないが、ずいぶん奇妙な定義で、たとえばある人が、イタリアのパスタ、スペインのイベリコ豚、フランスのチーズ、ドイツのソーセージが大好きでそのような輸入品ばかりを食べていたとすると、そういう奴は日本人として認められない「非国民」であるから人口統計から除外するという類の笑い話である。

それでいて、安倍晋三首相肝煎の農林水産品輸出1兆円戦略では、その中の農産品で金額的に最大品目となっているのは牛肉であるけれども、その牛肉が輸入飼料を食べて育ったかどうかは問うていない。輸入飼料で育った牛は「日本の自給品」ではないけれども「日本の国産品」ではあるので、それを輸出すれば「日本の輸出品」であるとするチグハグがある。

おかしいんじゃないかという前々からの批判に答えて、今年から新たに発表されることになったのが、穀物飼料の輸入率を考慮に入れない「食料国産率」なのである。

野菜の自給率はたったの8%?

ところがそこでまた矛盾の連鎖が生じて、ならば「野菜はどうなんだ」という問題が浮上する。近頃は野菜の種子の9割が外国の圃場で生産され輸入されていることをカウントすれば、80%とされている野菜の自給率は何と8%になってしまう。

さらには、家畜の栄養となる飼料を除外するのであれば、穀物や野菜の栄養となる肥料はどうなのか。もっと言えば、日本の石油・天然ガスなどエネルギーの自給率は9.6 %で、ハウス栽培の暖房や農機の運転のための燃料はほとんど輸入に頼っているというのに、それがどうして自給率から差し引かれないのか。

とすると、そこで問題は一挙に二極化して、一方では、すべてがグローバル化しボーダレス化しているこのご時世に、いまさら食料自給率なり国産率を問題にすること自体が無意味だという説があり、他方では、いやだからこそますます自給化・国産化が大事で、飼料も種子も何もかも自前で確保すべきだという説も強まることになる。

「カロリーべース」という奇怪

次に、この自給率なり国産率を、何を以て測るかという、これはまた結構、原理的な問題がある。

上記の「食料国産率69%」というのは実は、「生産額ベース」の数字で、「カロリーベース」だと47%になる。従来からの食料自給率も今回から加わった食料国産率も、生産額ベースとカロリーベースの2つの計算の仕方をしている。両方を分かりやすく並べると次のようになる。

  食料自給率 食料国産率
カロリーベース 38% 47%
生産額ベース 66% 69%

 

私はそもそも、カロリーベースでの自給率計算に疑問を持ち、今から18年ほど前になるかと思うが、農水省が「自給率向上委員会」というものを作ってキャンペーンを展開した際に、当時の同省食糧安全保障課長の誘いでそれに参加し、その冒頭発言で「なぜ食料自給率をカロリーベースで測るのか」と問いかけた。しかし農水省側からはきちんとした説明はなかった。

推測するに、カロリー摂取量を至上とするのは、戦後直後の栄養失調が大問題だった時代の発想で、今ではむしろカロリーの過剰摂取による肥満や、またタンパク質やビタミン類など他の必須栄養素とのバランス失調が問われている。

それでもカロリーが大事だとする発想が抜けない根底には、「いざという時に最低限の体力を維持する必要がある」というこの「いざ」という考え方がある。

「いざ」とは何かと言えば、端的に言って先の大戦の記憶である。日本が世界を相手に戦争に打って出て、食料も石油燃料も何もかも輸入が途絶してしまうけれども、それでもなおかつ前線で軍人が戦い、背後の国民が働いて生産を維持して戦争を継続しなければならない。

そんな時に栄養バランスだ何だとは言っていられないだろう。今日明日、銃を撃ち、竹槍を突いて戦う体力が残っているかだけが問題で、だからカロリーなのだ。

この「いざ」という時は最後はカロリーという悲壮な覚悟が、トラウマのようにして戦後にまで持ち越してしまった残骸観念なのではないだろうか。

東京と大阪の自給率は1%

さて食料自給率・国産率の発表に際しては、1年遅れで前々年度の都道府県別の数字も発表される。カロリーベースの自給率で高い方から順に10位まで並べると、こうなる。

言うまでもないが、100 %超ということは自分の道県内で消費する以上に生産量があって、他県もしくは他国に輸出しているということである。しかし品目は様々なので、その道県が必要な食料を独立的に確保できているかどうかは別問題である。

  1. 北海道 194%
  2. 秋田  190%
  3. 山形  135%
  4. 青森  120%
  5. 新潟  107%
  6. 岩手  106%
  7. 佐賀   95%
  8. 鹿児島  79%
  9. 福島、富山 78%

同じく、金額ベースの国産率を高い順に並べると、

  1. 宮崎  318%
  2. 鹿児島 300%
  3. 青森  252%
  4. 北海道 225%
  5. 岩手  223%
  6. 山形  186%
  7. 高知  175%
  8. 熊本  166%
  9. 佐賀  159%
  10. 秋田  156%

金額ベースだと南九州勢が伸びてくるのは、畜産飼料の輸入比率がカウントされなくなったことが大きい。それにしても、北海道と東北地方は変わることなく上位で、これが「豊かさ」の21世紀的な標準を示していると、私は思う。「東京に憧れる」という100~150年の幻想は終わったのである。

ワースト御三家は東京、大阪、神奈川

次に、カロリーベースの自給率を低い順に並べると、

 46 東京    1%
 46 大阪    1%
 45 神奈川   2%
 44 埼玉   10%
 43 愛知   11%
 42 京都   12%
 41 奈良   14%
 39 静岡   16%
 39 兵庫   16%
 38 福岡   20%

同じく、金額ベースの国産率を低い順に並べると、

 47   東京    3%
 46 大阪    5%
 45 神奈川  12%
 44 埼玉   17%
 43 京都   20%
 42 奈良   23%
 41 愛知   34%
 39 福岡   38%
 39 滋賀   38%
 38 兵庫   39%

どちらで見ても、ワースト御三家は東京、大阪、神奈川で、この3都府県はカロリーベースの自給率で1~2%しかなく、しかもその人口は合計3181万人で全人口の25.2%を占める。

この1~2%という自給率は、仮に国全体の自給率がどれほど改善したとしても変わることはない。なぜなら、この3都府県は食料をほとんど生産せず、もっぱらお金で食料を買って消費するしかないという寄生的な構造の上に成り立っているからである。

戦争やコロナ禍のようなことが起きて食料の輸入が途絶すれば、もちろん皆が困るけれども、自給率・国産率の高い道県は何とでもやりくりがつく。

一例として、私の住む千葉県はカロリーべースでは自給率26%、国産率34%と高くないが、生産額ベースでは同62~66%とそう低くはなく、しかも県内を下総・上総・安房と昔ながらの3地方に分けた場合の安房は、格段に田舎で地産地消率が高いので、何とでもなりそうである。

ところが東京や大阪、さらには神奈川の横浜・川崎、千葉でも準東京地区とも言える浦安、市川、松戸、柏など西寄りの地域を含む大東京圏では、外国からの「輸入」の途絶を云々する以前に、大地震や火山噴火や電源事故や交通混乱などで他の道府県からの「移入」が途絶しただけでたちまち干上がってしまう。

この根本的な脆弱性は大都市である限りは逃れることはできない。だから自給率問題とは、菅義偉官房長官の台詞ではないが、まずもって「東京問題なんです」ね。

個人の自給率を高める

従って、自給率・国産率を高めて貰うよう国の施策に何かを期待するのは間違っている。また東京はじめ大都会への一極集中傾向に歯止めをかけ地方分散型の社会に改造しようとする大胆な政策が打ち出される見込みもないので、本当の意味で自給率を高めるには自分で努力するしかない。

そもそも私が13年前に、60年以上も住み慣れた東京・横浜の大都会生活をやめて安房の山中で田舎暮らしを始めたのも、まさにそのためだった。

もちろん首都圏直下型地震や東海トラフ大地震、富士山の噴火など「いざ」という時への備えもあったけれども、普段の暮らしの中でも、大気汚染、廃棄物、人混み、騒音、光害等々の大都会であるが故のすべてにわたる「過剰・過密」に生理的に耐えられなくなったこと、そしてその背景にある、何事も土に足が着いておらず、従って自分では何も本質的には生み出すことができずにすべてをカネで買うしかないことの虚飾性…への懐疑からのことだった。

その後に3・11を体験し、そして今回のコロナ禍を安房3市1町で、今なお感染者3人のままほぼ完璧に抑え込んでいる中で過ごしている中で、13年前に大都会を捨てる決断をしたことが決して間違ってはいなかったという思いを改めて噛み締めている。

故・藤本敏夫と鴨川自然王国で酒を飲んでは語り合っていたことを思い出す。「還暦が過ぎたら人生二毛作目、俺も鴨川に引っ越してくるからね」と私が言うと、彼はこんな風に語った。

「誰もがそう出来る訳じゃない。が、都会のマンションに住む若い夫婦でも、ベランダのプランターでミニトマトを育てることは出来る。それを小学生の子供と一緒にやれば、芽が出て膨らんで、アッという間に実が成って、それを見ると誰よりも子供が感動する。

何に感動するのかと言うと、命をこの目で見るからだ。つまり、ベランダのプランターが『土のある暮らし』の始まりになる。その感動を親も共有すれば、じゃあ今度は練馬区の市民農園に応募してナスとかキュウリとかやってみようかということになる。

それが嵩じれば鴨川自然王国で米作りに参加しようかというところに行き着くだろう。そのもうちょっと先に、高野チャンみたいに、いっそ引っ越そうかという奴も現れるのだよ」。

彼が亡くなってもう18年も経つが、私は今も彼の先見の明としか言いようのない遺言の中で生きている。という訳で、食料自給率とは数字や言葉の問題ではなくて人の生き方の深層に触れる事柄なのである。

image by : TZIDO SUN / shutterstock

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