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毒親からの呪縛を完全に断ち切る方法、あるいは復讐という名の幸福論

子どもの自己肯定感や自尊心を踏みにじり、メンタルを破壊する「毒親」。毒親からの虐待を受けた子どもは、大人になってからも人間関係に苦しみ、生き方に戸惑うと言われています。これに関して、「子が自分の人生を取り戻したければ、遠慮なく毒親を見捨てるべき」と説くのは、米国公認会計士でフリー・キャピタリストの午堂登紀雄さん(メルマガ『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』)。午堂さんが、すべての悩める子に向けて、“親を捨てる”場合の具体的な注意点から、罪悪感や周囲の雑音との付き合い方、“親に復讐”する方法まで、わかりやすく解説します。

なぜ私だけが。毒親に育てられた子たちの悲鳴

先日、「『親の財布から金を抜く子供』を叱ってはいけないワケ。正しい教育法は?」という記事を書いたところ、反対に「子の財布からお金を抜く親にはどう対応したらいいの?」という意見をいただきました。

それで思い出したのが「毒親」という言葉。

これは広義には子を虐待する親ということですが、それは身体的な暴力だけでなく、精神的な暴力も含みます。たとえば暴言・無視・脅迫・監視・人格否定などで、子の自己肯定感や自尊心を踏みにじり、メンタルを破壊する行為がそれです。

あるいは子が大人になってからも、子にお金を無心する、しつこく訪ねて来たり電話をかけてくるという子離れができてない親も毒親のひとつの例です。

さらに子の結婚にまで口を出し、「そんな人はダメ」などと反対して結婚を阻む親、結婚してからも子の家庭にズカズカ押し掛ける人もいます。

あとは程度問題ではありますが、親がすべて先回りして子どもが自分で考える力を奪う過干渉親とか、逆に子の意思を強く抑えつけて自己肯定感を奪う強権親など、こういう親の元で育ち「生きづらい」「自分は価値の低い人間だ」「何事にも自信が持てない」「自分は何をやってもダメなんだ」と、自分と自分の人生を悲観している人は少なくありません。

なぜ「毒親」は生まれるのか?

なぜ親がこういう行為に走るのかというと、実は親自身も自己肯定感が低く、子に依存しているからです(ほかにも親が発達障害とか、双極性障害や統合失調症といった神経症を患っている場合もありますが、ここではわかりやすく自己肯定感で統一します)。

親も自分に自信がない。親も自分の価値が低いと感じている。親も人との距離感や接し方がわからない。でもそうじゃないと思いたい。

だから子を支配すれば、自分は重要な人間であると自信が持てる。子を否定すれば、相対的に自分の地位が上がるという認識が持てる。

「親の言うことを聞いていればいいんだ」「誰が養ってると思ってるんだ」などという暴言も、親の自信のなさを、弱い存在である子を隷属支配することで補おうという、必死な抵抗なのです。

「お前なんかダメだ」などという人格否定も、子をダメだと言える自分はもっと貴重で有能な人間なのだと錯覚できるという、涙ぐましい努力。

あるいは、自分はダメ人間だから子もダメ人間でいてもらわないと自尊心を保てない。自分は不幸なのに子が才能を発揮したり幸せになるのは許せない

何か問題が起これば「全部あんたのせいだ」などと責任転嫁するのも、自分ではどうすることもできないのに無能ではないと思いたい、現実逃避の保身願望。

「あなたのためを思って」などという干渉も、本当は自分のため。親が安心したいから、親の思うとおりに子をコントロールしたい。

自分が叶えられなかった願望を子に託して教育熱心になるのも、子に親の代理戦争をさせるようなもので、子の意思を無視した親の身勝手な行為。

ネグレクト(育児・養育の放棄)になるのも、自分のことでいっぱいいっぱいで、子に関心を持てないし興味もないからなのです。

毒親はどこまでも子を追いかけてくる

そして、先ほど子に依存していると書いた通り、親にとって自分の子は、親自身の存在価値や自尊心を確認できる唯一の存在なので、手元から失うわけにはいきません。

だからしつこく追いかけてきます。子に自立されては自分が困るので、家から出ることを許さない。出ようとすると脅迫もどきで反対するか、泣いて懇願する。

もちろん結婚も許さないから、相手が誰であろうと難癖をつけては反対し、縁談もぶち壊す。そうやって毒親は子の人生を破壊します。

さらに怖いのが、こういう毒親の洗礼を受けて自己肯定感や自尊心を傷つけられて育てば、子自身も人間関係に苦しみ、生き方に戸惑い、結婚して子どもを持っても自分が再び毒親になって子を蹂躙するという負の連鎖に陥るリスクが高いことです。

虐待の連鎖と同じメカニズムで、子も自己肯定感が低く、子にどう接すればいいかわからないため、結局親が自分にしてきたことと同じことをすることでしか親子関係を築けないからです。

実際、シングルマザーから虐待同然の扱いを受けて育った女性の中には、本人も10代など早い年齢で妊娠出産し、その後離婚してやはりシングルマザーとして貧困に陥る、という話は少なくありません。

人生を取り戻したければ、毒親を見捨てよ

そこでもし、「もしかしたら自分の親は毒親ではないか?」「自分が抱えているこの生きづらさは、親からの圧迫や過剰な期待などから来るものでは?」と感じたら、やることはひとつ、親と距離を置くこと。もっと言えば「逃げる」ことです。


どうやって毒親から逃げるか

毒親の程度にもよりますが、基本は家を出て1人で暮らすこと。頻繁に親とコンタクトを取らないこと。電話やメールが頻繁に来るなら、「忙しいから」と突き放すこと。恋人は紹介しないこと。

子には子の人生があり、親には親の人生があるのだから、子離れをしてもらうことです。

とはいえ、そういう毒親ほど子に干渉してきます。もし「家を出るなんて許さない」「親を捨てるのか」「親不孝者」などと言われたら、毒親認定でほぼ間違いないでしょう。

その場合は思い切っていったん「捨てる」「絶縁する」覚悟で強引に家を出ることです。

親には引っ越し先を教えない(バレないよう住民票を異動しないとか、手続きは面倒ですがDV等支援措置で戸籍や住民票の閲覧制限をかけることも可能)。親が押しかけてきても、セキュリティの高いマンションで居留守を使い、電話番号も変えて教えなければいい。SNSなどもブロックする。結婚式には招待しても良いかもしれませんが、ヤバそうなら知らせない。

「扶養義務」を恐れる必要はない

お金を無心されたら「自分も借金まみれで首が回らない」などと拒否すればいい。確かに民法上は親族には扶養義務があります。しかし扶養義務を果たさないからといって、特に罰則規定はありません。

仮に家庭裁判所案件になったとしても、扶養の順序は経済的な余力によって決まりますし、実際に資力がなければ具体的な扶養義務は発生しないのですから気にしないことです。

そうやって、親自身が本人の自己肯定感や自尊心を取り戻すまで、関係を断つのです。「そこまでやる?」と思うかもしれませんが、毒親のせいで鬱になるなど精神を病む人は少なくありません。まずは自分の身と精神の健康を守ることが最優先。自分の人生が最優先です。

親の心理状態・精神構造を分析して冷静に受け止め、親の轍は踏まない。親と同じことを繰り返さない。親とは距離を置き、親の呪縛、親の影響を受けないようにする。たくさんの人と接し、人間関係のコツを掴む。

親は自分よりも先にこの世を去りますから、そのあとは何十年も自己責任で生きていかなければなりません。自分の人生を守るためにも、必要な断捨離です。


他人の「無責任なアドバイス」は無視していい

ですが、毒親に育てられた人に限って、「育ててもらったのに申し訳ない」という罪悪感にさいなまれます。

自己肯定感が低い人は固定観念も強い傾向があり、「家族は大事にしないと」などという強固な道徳観念を持っていて、親を捨てる行為になかなか踏み切れません。もしかしたら、本人も精神的にその毒親に依存してしまっている可能性もあります。

周囲に相談しても「親は1人(2人)しかいないんだから」「親は大切にしなきゃ」「家族は大事なんだから」「育ててもらった感謝を忘れてはいけない」「そんなの親不孝だ」などと言われます。

ただし、他人の意見は基本的に無視することです。親子関係が良好な人には毒親と対峙する苦しみを理解することは難しいですから、たいてい無責任なアドバイスでしかありません。

親子の形は親子の数だけあるわけですが、想像力に欠けた人間がすることは「アドバイスという名を借りた、本人の価値観の押しつけ」というケースがほとんどです。

他人の道徳観念はその人の人生の中で発揮すればよいだけで、自分は自分にマッチした道徳観念で人生を前向きに切り開く必要があります。

毒親を結婚式に呼ぶ必要はない

また、結婚するときに親の不在(結婚式に招待したくないなど)を言えないと悩む人もいるかもしれません。しかし、それも含めて結婚相手にすべて打ち明けてしまいましょう。丁寧に丁寧に、できる限り隠し事をせず、自分が受けてきた仕打ちと心の傷を説明する。

自分を大事にしてくれる人なら、その苦しみや親子関係を必ず理解してくれ、寄り添ってくれるはずです。その人の親族や周囲にもきちんと説明し説得もできるはずです。

それで「親不孝だ」「家族に冷たい人だ」「ウチの両親にどう説明すればいいんだ」「結婚式で恥をかく」などと言う反応をする相手なら、むしろ別れた方が良いでしょう。自分の配偶者となる人への思いやりよりも、自分の価値観や自分の体裁を重視するような人間だからです。

もちろん罪悪感はあるでしょう。しかし毒親に巻き込まれて自分の人生も沈んでいくのは避けたい。そこで考え方をちょっと変えてみる。

「親を捨てたという罪悪感を背負うということは、それと引き換えに幸せな人生を掴む義務があるということ」であると。

つまり、「親を捨てた以上、それに見合う幸せを手に入れなければならない。でないと捨てられた親が浮かばれない」と考える。「親をないがしろにして自分だけが幸せになるのは許されない」ではなく、「自分が幸せになることが罪滅ぼしになる」と捉えることです。


「親孝行」の定義を変えて、自分の人生を切り拓く

「親を捨てる」ことは「親への感謝」を捨てることでは必ずしもありません。

親だって聖人君子ではなく1人の人間です。長所もあれば短所もある。その長所短所も、子の価値観や性格によっては逆に映ることもあるでしょう。だからいろんな親子関係があるし、あっていい。それは他人に決められることではありません。

だから、「親には感謝しなきゃ」と思うならすればいい。親への感謝は捨てず、親とのかかわりだけを捨てるのです。当然ながら「とても感謝なんてできない」なら感謝しなくていい。絶縁したということで切り捨てればいい。

そして、親孝行の定義も少し変えてみましょう。親孝行を「親を喜ばせる行為・恩返しをする」「親が喜ぶような人間になる」ことではなく、「自分が満足する生き方をする」「自分の力で幸せを掴める人間になる」ことに変えるのです。

普通の親なら誰でも子に幸せになってほしいと考えます。しかしそれは親が考える幸せの形ではなく、子ども自身の価値観に基づく幸せですから、親のそれとは違う。

親が「わが子は成功者だ」と思っても、本人が満足していなければそれは成功ではない。逆に親が子を見て「なんとかわいそうな」と思っても、本人が納得していればそれは成功しているということ。

ただし、毒親は子に幸せになってほしくありません。子が幸せになることはガマンできません。むしろ自分と同じような不幸になってほしい、自分の踏み台になってほしいという潜在的な願望を持っていることさえあります。

だから毒親に「おまえはなんて親不孝な子だ」と言われたとしたら、それは自分の幸福を自分で掴もうとしているからそう映るのです。親と離れることで穏やかな生活を手に入れられたとしたら、「いやあ、自分はいま幸せだから究極の親孝行してるわ」と割り切ってしまえばよいのです。

長い年月の内省が人間を変えることもある

そして、時間が解決してくれる(かもしれない)のを待つ。

これは親友をイメージすればわかりやすいと思います。親友とは、たとえ学校を卒業して別々の人生を歩んでいても、ときどき思い出しては「元気にしてるかなあ」などと遠くにいても想いを持ち続けたり、何年も離れて久しぶりに会っても会話に花が咲く。あのような感じです。

だからもしかしたら、十数年、あるいは数十年経って久しぶりに親に連絡したら、あるいは親元を訪ねてみたら、当時の毒はすっかり抜けて、ただの年老いた親となって再会を喜んでくれるかもしれません。

親自身も、我が子が去ってからの長い長い孤独な生活の中で、自分を見つめ直し、子への接し方や自身の生き方を顧みて、変わっている可能性があるからです。

反対に、もし「今さらふざけるな!」「お金をよこせ!」などと怒鳴ってくるようなら、もう二度と会う価値はないという試金石にもなるでしょう。


幸福こそ最大の復讐である

そしてもちろん、「親が憎い」という人も少なくないと思います。思い出すたびにイライラや苦しみとなって過去の感情が蘇ってくる人もいるでしょう。

普通の人は、過去の出来事と自分の感情に折り合いをつけ、そういう黒い感情も時間の経過とともに薄らいでいくものですが、毒親の元で自我を押さえつけられて育った人の怒りと呪いの感情、あるいはトラウマは、下手をすると一生続くかもしれません。

しかしいくら呪っても過去は変わらない。なのに、そこで止まったまま苦しみ続けるのは人生の浪費ともいえます。ではそうした苦しい感情の繰り返しから解放されるにはどうすればいいか。

それは繰り返しになりますが、自分自身が成功し幸福を掴むことです。むろんそれができれば苦労しないよという反論もわかるのですが、毒親に限らず誰かを「許せない」と思ったとき、最高の復讐手段は「相手より成功し、相手より幸せになること」なのです。

「悔しい」「許せない」と思ったとき、真っ先にしたいのは「絶対にコイツより成功してやる」「絶対にこの人より幸せになってやる」と、感情の矛先を他人ではなく自分の未来に向けること。

そして実際に成功したり幸福になったりすれば、強い憎しみや呪いの感情は完全になくならないかもしれませんが、必ずやわらぎ、なつかしい昔の出来事に変わっていきます。「あの時があったから今がある」と過去の評価は変わってくのです。

私たちは「最新バージョン」だ

最後に、どうでもいい私の信条をひとつ。

私は「親を超えるのが子の役割」「子が親を超えてこそ、家系の繁栄につながる」と考えています。途中にどんなポンコツ親が挟まったからといっても、自分は何千・何万人もの連綿と続く祖先の血筋を受け継いだ最新鋭バージョンなのですから、自分が家系の中興の祖になるつもりで邁進したいと思います。
image by : shutterstock

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フリー・キャピタリストとは、時代を洞察し、自分の労働力や居住地に依存しないマルチな収入源を作り、国家や企業のリスクからフリーとなった人です。どんな状況でも自分と家族を守れる、頭の使い方・考え方・具体的方法論を紹介。金融・経済情勢の読み方、恐慌・財政破綻からの回避方法。マネタイズ手段としての資産運用、パソコン1台で稼げるネットビジネス、コンテンツを生み出し稼ぐ方法。将来需要が高まるビジネススキルとその高め方。思考回路を変えるのに役立つ書籍や海外情勢など、激動の時代に必要な情報をお届けします。

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