以前掲載の「黒タイツ禁止という『ブラック校則』に立ち向かう生徒たちの闘い」等の記事でもお伝えしたとおり、日本中に溢れる理解不能かつ時代にそぐわない校則に、子供たちが苦しめられています。中には人権侵害と言わざるを得ない規則まで存在しますが、そんな校則から子を守るため、親として出来ることはないのでしょうか。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、保護者が学校側と対峙する際のヒントをレクチャー。「権威には権威を」が肝となるようです。
【関連】黒タイツ禁止という「ブラック校則」に立ち向かう生徒たちの闘い
ブラック校則
さて、本日は真っ黒なルールのお話。
子供の頃通っていた中学が
- 校則が厳しい
学校でした。遅刻などは言うに及ばず、服装検査や頭髪検査、所持品検査などもう、検査ばっかりでした。
ところが、最近のニュースを見ていると、出身中学の校則なんてメじゃないみたいですね。ほとんど意味の無い(?)
- ブラック校則
がたくさんあるようです。たとえば
- 髪の毛が黒以外の色の場合は、自毛証明が必要
- 体操着の中に下着は着けない
- カーディガン禁止
- カップルが一緒に帰宅してはいけない
- 暑くても扇いではダメ
…( ̄∇ ̄;) なんなの、それ。どこの強制収容所だよって気がしますね。まあ、たくさんの人が私と同じように感じるから
- ブラック校則
という名前がつくんでしょう。
ブラック校則は、その禁止の理由が
- 合理性がない
ということでしょう。まあ、いつかは合理的な理由があったのかもしれませんが、時代が変化しその合理性がなくなってしまったということです。だからこそブラックだと感じるんです。
こういう校則に苦労している子供たちがたくさんいるんじゃないでしょうか。なにせ強制収容所ナミですからねえ。多感な時期にこういう理不尽で人権蹂躙的なルールを強制されるって耐え難いと思うんです。
あの、これはもう
- 廃止するしかない
と思いますね。合理性がなくなっているのに、校則という形だけがボロボロのまま残ってしまっているんですよ。どうするって、廃止するしかないでしょう。こういうこと、日本にはとても多いですよね。
- 中身がなくなっているのに、形骸だけ残っている
ってヤツ。どうするって、そりゃ
- 廃止するしかない
ですよね。みんなが不合理だと思っているのに、今までやってきたからというだけで、現在もこれからも犠牲者や損害を増やす。バカバカしいですよね。
日本の学校にはびこるブラック校則のお話でしたね。合理性がないのに、ずっと残ったままの有害無益な校則は
- 廃止するしかない
というところまでが前回でした。
そりゃそーだ。けどさあ…というのが今回のお話。ハッキリ言えば、みんなが合理性が無いと思っているのに、廃止されずずっと続いてしまうものって、たっくさんありますよね。
それは、おそらく、
- コトを荒立てたくない
- (親の場合)PTA活動などで積極的なわけじゃないのに言いにくい
んだろうと思います。うん、すごく分かるわ。日本ではこういう気持ちでになることが多くて、気がつかないうちに現状維持という名の先送りに加担してしまうからね。
でも、その不利益を被るのは
- 子供たち
ですから。親じゃナイから。ここは、というか、こここそ
- オトナである保護者の出番
なんじゃないでしょうか。学校内で先生と生徒の力関係には圧倒的な差がありますから、子供だけでは校則なんてひっくり返せないんですよね。
そして、コトを荒立てたくないという気持ちの奥には、「問題提起しても結局なにも変えられない」という無力感みたいなものがあるように思います。この無力感は、力関係が上の相手に対して、戦いを挑まなかった経験、あるいはあっさり負けた経験が関係しています。
だから、ここはこの無力感を少しでも払拭したら、動き出しやすくなるんじゃないかと思うんですね。
ここでやるなら、目には目をならぬ
- 権威には権威を
ですね( ̄∇ ̄)私なら
- 弁護士に相談
してみます。校則って、法律の一種ですから。なので、法律の専門家に
- 校則の正当さがあるかどうか
ちょっと聞いてみたらいいと思うんです。弁護士の見解がすべてではないですが、一応の目安になりますし学校に話をもっていくときにも、通りやすくなるはずですから。
こういう、戦えばムダにならないかもしれないという、有効感(?)が事大主義を乗り越えてコトを荒立て、ブラック校則を廃止に追い込めるのではないかと思うんです。
子供の自尊心や自己肯定感のためにも
- 合理性のないルールに従う習慣をつけない
ことは重要です。ここぞというときにはオトナが出て行けるようになりたいですね。
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