自公有利と言われながら、蓋を開けてみれば都民ファーストの会の善戦が光り、自民党惨敗の印象となった都議会議員選挙。多くのメディアが小池都知事のパフォーマンスの巧妙さにその要因を求めており、小池氏が衆院選出馬に向けて最後の布石を打ったとの見方を示す向きもあります。しかし、そのような政治風土論議をしていても日本は前へは進まないとするのは、米国在住作家の冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で今回、まず認識しておくべき「この国の政治風土の奥に横たわる構造的な5つの問題」を挙げそれぞれについて詳細に解説した上で、今回の都議選の「人間ドラマ」に騙されてはいけないと結んでいます。
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都議選騒動に見る、日本の政治制度の構造的欠点
総選挙の前哨戦と言われた東京都議選が終わりました。そもそも、全国で行われる国政選択選挙は、東京とは構図が全く違うはずですが、どういうわけか、都議選で「与党が負けた」直後に行われる総選挙では、やはり与党は苦戦を強いられるケースが多いようです。少し以前まで遡ると、次のような歴史があります。
■1989年
- 都議選(7月2日)では、自民党が20議席減、社会党が23議席増
- 敗因は、宇野総理の女性問題
- 直後の参院選(7月23日)では、土井たか子ブームで、自民党が33議席減、社会党が24議席増「マドンナ現象」「山が動いた」などと言われて宇野政権は崩壊
■1993年
- 都議選(6月27日)では日本新党が改選前2議席から推薦を含むと27議席へ躍進
- 直後の総選挙(7月18日)では、日本新党、さきがけ、新生党が勝利、これに社会、公明、民社が合流した野党連合による細川護煕政権が発足
■2009年
- 都議選(7月12日)では民主党が20議席増、自民党は10議席減
- 直後の総選挙(8月30日)では、麻生太郎の自民党が181議席減、鳩山由紀夫の民主党が193議席増となり、鳩山由紀夫政権が発足
何ともドラマチックな歴史ですが、こうした事実を振り返ると、結局のところ都議選は「有権者の気分を試す」だけの「ミニ国政選挙」だという印象になります。そして、今回も同じようなストーリーが期待されている、そんな雰囲気が漂っています。
現時点で、今回の都議選を振り返ってみると、結果としては
自公連合 改選前48、改選後56
都民ファーストの会 改選前45、改選後31
ということで、都民ファーストの会は善戦したとされています。自公連合は総議席数127に対して、64以上を取って過半数確保は間違いないと言われていた中では惨敗という評価になるようです。
さて、今回の選挙戦ですが、都民ファーストの会は、事実上小池百合子都知事の率いる地域政党ですが、知事自身は入院して都議選には距離を置いていたわけです。過労だということですが、「コロナ禍対策と五輪問題に向き合ってきたのだから」ということで、世論はこれに理解を示したのでした。また「ペットロス」を嘆くという行動も共感されました。
その小池氏は選挙戦の終盤で突如復帰し、当初は自宅から「リモート勤務」していたのが、投票前日には酸素ボンベを傍らに選挙運動を行い、その姿が報じられたことで相当の同情票を稼いだようです。
一連の行動を通じて、小池氏は、選挙における政策論争には距離を置くことに成功しました。自身がオリパラ開催都市の首長として開催を推進してきた事実、コロナ禍対策で国よりも強めの規制を主張し、都財政を傾けてまで補償を伴う規制を行なったことなど、小池都政への信任投票となる可能性はあったのですが、結果的に実に巧妙に切り抜けた格好です。
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最大の問題点は、都民ファーストの会として「五輪の無観客開催」を公約として掲げていたことでした。仮に小池氏が選挙運動に全面的に関与していれば、これを主張することで、自公政権との軋轢が増したでしょう。ですが、小池氏は静養することで結果的にこれを回避することができました。一方で、それでも都民ファーストの会が「無観客」を公約にしていて、しかも善戦したことで結果的に五輪が無観客で開催されたとすれば、小池氏にはプラスになります。
自公政権のメンツは立てつつ、自分だけ政治的ポイントを稼ぐというウルトラCが結果的に成立する可能性があるわけです。それ以前の問題として、この間、ずっと知事としての公務を継続していれば、デルタ株による感染拡大で毎日600から700という新規陽性者の数字と向き合わねばなりません。これも、静養することで回避できています。
つまり、コロナ対策も五輪問題も、うまく「かわし」ながら自らの政治的影響力の誇示には成功したわけで、こうなるとその辣腕ぶりと言いますか、運の強さのようなことに期待が集まるのも不思議ではないことになります。
そのため、オリンピック、パラリンピック終了後に予定されている総選挙においては、知事を辞職して自民党から衆院選に出馬し、次期総理総裁を狙う可能性が取り沙汰されています。具体的には、以前の地盤であった東京10区(新宿、中野、豊島、練馬のそれぞれ一部)ではなく、その隣の9区(練馬の大部分)の議員辞職した菅原一秀の議席を狙っているという説があります。
小池氏とすれば、前回2017年の総選挙では「希望の党」を立ち上げ、旧民進党の勢力を一気に奪って旋風を巻き起こそうとしたわけですが、惨敗して国政進出はゼロに戻ってしまった経験があります。
ちなみに「希望の党」の失敗は、若狭勝氏を「顔」とした人選の失敗もありますが、それはともかく、
- 民進党イコール反自民勢力といことで、その中には護憲一国平和の勢力が相当に入っていた。これを無力化する戦略を取らず、顕在化して切り捨てるというのは余りにも無茶で、票も一緒に逃げてしまった
- 大阪維新が、選挙には強くても都構想の住民投票になると逃げられるのと一緒で、世論は維新や都民ファについては「既得権益の壊し屋」として使い捨てるというのが本音で、都構想や国政変革など期待していない、という冷静な見方ができなかった
という2点によるわけですが、そこは政治の鬼である小池氏は、しっかり「修正」してきており、今回は、二階派を巧妙に使って自民党ジャックという作戦に変更してきているのかもしれません。
少々無責任な政治講談を続けてしまいました。とにかく、物語としては面白いわけですが、まずもって都議選の総評としては情けない話でしかありません。冷静に考えてみれば、政策決定としては何も決まらなかったからです。
オリ・パラ開催に関する民意は曖昧でした。確かに五輪の無観客開催を主張した都民ファーストの善戦という事実はありますが、開催都市として世論が断を下したわけではありません。またコロナ対策への審判があったわけでもありません。
まして、コロナ給付金の支払いで急速に悪化した都財政への対策が選択されたわけでもないし、急増する東京の高齢単身世帯への対処、子育て体制の拡充などの具体的な争点に民意が反応したわけでもありませんでした。
選挙戦の終盤には、静岡県熱海市から線状降水帯による悲惨な土砂災害のニュースが飛び込んできましたが、荒川氾濫に備えた防災体制など喫緊の課題についての判断もされなかったのです。
特に荒川氾濫の危険性については、2019年10月の「台風19号」に際しては、荒川の危険水位7.7メートルに対して、実際の水位が7.1まで上昇、間一髪であったことが伝えられています。こうした問題について、争点として複数の政策が提案され、選挙によって民意を得るということは絶対に必要であると思いますが、今回もダメでした。
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考えてみれば、国政選挙にしても似たようなものです。ここ数十年の国政選挙においても政策選択として意味があったのは、2012年の第二次安倍政権登場における金融緩和政策への支持ぐらいです。ですが、これも民主党の野田政権への批判票が押し上げただけでした。
その後は、アメリカ流の見方からすれば超リベラルな金融政策「アベノミクス」が継続されたわけですが、意味合いが正確に理解された上での支持ではありませんでした。その安倍政権は、その後は保守票を政治的求心力にしながら中道政策を続けるという綱渡りを続けました。日韓合意、日米相互献花外交、日中外交、譲位と改元など、右派は反対していた政策を「安倍晋三」という政治家の「右派への信用」だけで進めることができたのです。
ですから、結果オーライではあったのですが、具体的な政策について民意を問うたことはありませんでした。そして、現在も菅政権に対しては漠然とした不信感が広がる一方で、政策提案を持たない小池都知事の政治的存在感が増しているわけです。
こんなことが続くようでは、日本の経済や社会の再建のための改革が民意の後押しで強力に実施されるなどということは起こり得ないでしょう。そもそも東アジアの中で民主主義のお手本として胸を張ることも難しいわけです。
こうした日本の政治風土について、解説ならいくらでもできます。このメルマガでも議論してきたように、主権者が絶望と不信のあまり代表への委任をしない現象だというのがあると思います。そもそも日本社会は膨大なノンポリ人口でできているということもあります。更にその奥には、貴重な思春期の時代をブラック校則で思考停止に追い込む封建時代のような教育があるという指摘も可能です。
更に言えば、今回など正ににそうですが、全てを「永田町風雲録」的なドラマにして説明してしまうメディアの罪も大きいでしょう。例えばですが、現在の政局というのは小池百合子というキャラと、菅義偉というキャラの対決であり、そこに二階俊博という不思議なキャラが媒介しているといったストーリーは面白いかもしれませんが、政策論とは無関係です。
確かに個人的なパフォーマンスや、人間関係で政策が回っていくのは事実かもしれませんが、それでは民意の反映のしようがないからです。いずれにしても、そうした政治風土の問題というのは根深くあるのは事実です。ですから、どれも全くの間違いではありません。
けれども、そんな政治風土論議をしていても前へは進みません。もっと、本質的な観点として、日本の政治風土の奥には構造的な5つの問題が横たわっている、そう考えることから出発したいと思うのです。
まず1つ目は、世論形成に大きな影響力を持つ賃金労働者、つまり企業や団体に勤務している人の多くは、終身雇用契約によりその企業や団体に帰属しているという点です。勿論、近年の日本では転職というのは一般的になっています。ですが、終身雇用集団に属している人々に取っては、生活設計を左右するのは年功序列における地位の安定です。
勿論、景気が悪くて賃上げや賞与に影響が出るのは困ります。ですが、それ以上に、その企業の中で出世するということの方が、生活設計に取っては重要な問題です。また、仮に景気動向や政策の影響があっても、ある範囲内であれば転職に踏み切ることはなく、結局は企業内のポジションを取ることで生き残る、その努力の方が優先するわけです。
例えば、正社員として終身雇用が保障され、その企業の経営基盤が強固である人には、毎月の有効求人倍率や失業率というのは、自分の身分とはダイレクトにはつながっていません。リテールをやっているのなら、消費者の購買力が脅かされるのは困るでしょうが、失業率の増大イコール自分の身分に危険が迫るということになりません。その結果として、投票行動が明確な利害ではなく、印象論だけで「遊んで」もいいだけの「余裕」があるのです。
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2つ目は、異なる利害を代表する政党が少ないという問題です。例えば、生活に困窮している非正規労働者を代表する団体はありません。子育てや現業の現役世代の代表もないわけです。その一方で、自営業や高齢世代、また地方の補助金の絡んだ産業に関しては、利害代表が厳然として存在します。つまり、自分たちの代表を持っている層と、持っていない層が偏在しているのです。
3点目としては、大手の多国籍企業やその取引先に勤務している人々にとっては、ビジネスの相手が北米や中国であったりするので、国内の動向よりも、国際的な環境変化の方が、自分たちの利害に直結しているのです。彼らに取っては、習近平政権の動向やバイデン対トランプの対立の方が、菅政権や小池劇場よりも切実だと言えます。
つまり、多国籍企業とそのグループに関与している人々には、日本の国内市場というのはマイナーな存在なのです。自動車産業が良い例で、日本の市場が軽四中心にシフトしつつ縮小している中では、日本における政策の変更よりも、海外の動向の方が重要になってきます。
4点目は、根の深い感情論から来る分断があるということです。新型コロナのワクチン接種への賛否、原子力の平和利用への賛否、中国や韓国との関係、困窮者への支援の是非など、世論を2分する問題について、日本社会は合意形成を諦めているかのようです。従って、こうした問題については、論点をそのまま選択に供することはできず、政治家を使い捨てにし続けるしかないわけです。
5点目は、その一方で党議拘束があるという問題です。例えば、ある政治家がその選挙区の事情から来る特別な政策について強く訴えて選挙に通ってきたとしても、最終的に議場での投票行動を行う際には、有権者に託された意見ではなく、所属政党における党議に縛られてしまいます。よく、共産党に対して党内民主主義がないという批判があります。これはその通りで大変な問題ですが、よく考えれば他の政党についても、意見を言うのは勝手という程度の話であり、議場における票決の際には自由はないのです。
ですから、結果的に選挙区事情からくる個別の政策を通そうとすれば、議場での論戦やロビイングによる票読み工作ではなく、密室でボス格の政治家に嘆願し、ネゴをして行かねばなりません。党の決定にしてもらわないと、何も動かないからです。
ですから、同じ1票、1議席でもベテラン政治家の場合と新人の場合は、政治的パワーが全く異なることになります。これでは、間接民主制として不完全であり、結果的に、個々人の政治家の政策は無視されて、単なる数合わせになるわけです。そんな中で、結局は政策ではなくキャラクターや人間模様によって政治が動くというバカバカしいことになっていくわけです。
近年は、政治への不信から議員定数の削減をすれば「スカッとする」などという無責任な議論が流行しています。冗談ではありません。そうではなくて、党議拘束を解除した上で、きめ細かく小選挙区の有権者の意見を国政にダイレクトに反映させていくことが必要なのです。党議拘束というのは、間接民主制の敵でしかありません。
いずれにしても、今回の都議選の「人間ドラマ」にダマされてはいけないと思います。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋)
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