先日掲載の「辛坊治郎氏が遂にゴール!“男泣き”の裏で早くも『次の航海』を計画中? 4カ月間の『無謀』な挑戦をナマで語る」でもお伝えしたとおり、大阪・淡輪港~アメリカ・サンディエゴ間の太平洋単独ヨット往復横断を見事に成功させた、ジャーナリストの辛坊治郎さん。そんな辛坊さんは今回、自身のメルマガ『辛坊治郎メールマガジン』で、アメリカに向かう航海中に恐怖におののいた出来事を紹介しています。それは思いもよらぬ「太平洋の洗礼」とも言うべきものでした。
往路の航海で恐ろしかった事:ワースト5位
既に皆さんご存じの通り、今週火曜日午前9時過ぎ、台風崩れの低気圧に吹き込む強い南風の中、大阪岬町の淡輪ヨットハーバーのゲスト用桟橋に着岸しました。メルマガ読者の皆さんのご声援と祈りの賜物です。本当にありがとうございました。
「太平洋単独無寄港横断を成功させて8年越しの悲願を達成する」というはっきりした目的があった往路と違って、復路は言わば「船を大阪に戻す」というのが主目的で、モチベーションが弱い分だけ精神的にかなりきつかったです。
「ヨット乗り」としても、「安定した貿易風に乗っていれば自然に太平洋の西側に吹き寄せられる」という好環境の中、大してすることもなく、ギラつく熱帯の太陽と暑さとの戦いの中で、かなり「病んだ」心理状態になりました。復路で一番恐ろしかったのは、「寝ているときに錯乱状態になったり寝ぼけたりして海に飛び込まないか」という自分の心でした。
そのため、暑い中ではありましたが、キャビン内で寝る際には必ず入り口の差し板を嵌め込み、重いスライディングハッチを閉めていました。これは寝ぼけて海に飛び込むのを防止するためでした。
復路出発前に考えていた最大の難関は、貿易風帯を抜けて北上するタイミングでの日本近海の台風で、二つくらいは覚悟していました。幸い幸運に恵まれてこの区間で台風直撃を免れたのは皆さんご存じの通りです。これこそまさに多くの方々の祈りのおかげだと思っています。本当にありがとうございました。
という訳で、復路で一番怖かったのは「自分自身」だったのですが、これに比べて往路は実に多彩な「恐ろしい事」がありました。このメルマガで私が時事ネタについて書き始めるのにまだ1か月くらい「リハビリ」が必要ですので、それまで今回から5回連続で「往路の航海で恐ろしかったこと」について、ワースト5位からワースト1位までランキング形式で書いて行きます。
今日は「往路の航海で恐ろしかった事ワースト5位」です。
ワースト5位 「日本近海の低気圧」
私、正直、太平洋を舐めてました。太平洋の荒波については、前回のヒロさんとのチャレンジで、ライフラフトでの漂流を含めて丸5日間経験していますし、今回のチャレンジに使った「カオリンV」を入手してからも、太平洋回りで船を大分から大阪まで運んだりしてますから、太平洋がどんな海かのイメージくらいはありました。でも、往路初日の日没後、夜間の「沖出し」のために串本から100キロほど南に下り、とにかく睡眠をとろうとレーダーに周辺監視を任せて意識を失ったのですが、翌日の明け方に目が覚めて自分がいかに太平洋について甘い認識を持っていたかを思い知らされたんです。
とにかく、明るくなった船内を見回すと、ありとあらゆるものが前夜と違った場所にありました。中でも悲惨だったのは、コンパニオンウェイ(キャビン入り口)を出てすぐ上のスライドハッチ両脇の棚に置いてあったサラダ菜とラディッシュの種子をまいたプランターが入り口から床に落下していて、コンパニオンウェイ階段下のカーペットに土が大量にぶちまけられ、なおかつキャビン内に軽油の臭いが充満していた事です。床には軽油を入れたポリタンクが横倒しになって散乱しており、どうやらそこから軽油が漏れているようです。ところが激しく揺れる船内では軽油缶を起こすそばからひっくり返るありさまで手が付けられません。それでも根気強く暴れる軽油缶を一つずつ起こしてあちこちに縛り付ける作業していて気が付きました。倒れた多くの軽油缶のキャップはちゃんとしまっていたんですが、一つのポリタンクが妙に軽いんです。よく見るとキャップが緩んでいて、半分ほどの軽油が船内に流出してしまっていました。
(『辛坊治郎メールマガジン』2021年8月27日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
※辛坊さんが使用した愛艇『Kaorin V』の情報は「古野電機」のサイトでもご覧いただけます。ご協力ありがとうございました。
image by: 辛坊氏提供