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なぜ学校という組織はコロナによる「価値観の転換」に対応できないのか

夏休みの延長、オンライン授業への整備、分散登校などさまざまな対策を感染症対策を講じている学校もあれば、それが一向に進まない学校もあります。なぜ、改革を起こすことができず対策に差ができてしまうのでしょうか。現役小学校教諭で無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者である松尾英明さんがその理由について論じています。

学校教育にパラダイムシフトが起きない理由

学習会で話題になったことのシェア。学校にある既存のルールや慣習を変えられない理由と対策について。

首都圏の学校では、一昨年度末より常に感染症対策を迫られ続けている。その後押しもあって、オンライン学習可能な環境がどこでも整いつつある。

一方で、オンライン学習の環境や実践が一向に進まない地域もある。感染者が少ないことをはじめ、諸事情あるのだが、そもそもの要因として「みんな何も言わないから」「差し迫って必要でないから」あたりのことが推測される。それがなくても何とかなってしまっているから、声が上がらないのである。

しかし実際、事が起きてからでは遅い。予想外の新型ウィルスの登場で、初期対応が遅れた頃はまだ理解される。今は違う。もうわかり切っていることである。
「予想外」ではないのだから、平時の予防行為としての対策が必要である。

新しいものがどうしても必要になり、現場も拒否できない状況にいれば、否が応でも改革が進む。逆にそうでない状態、「何とかなっている」という状態が危ない。そこに潜む危険が目に見えないからである。

つまり「今までそうだったから」は実際には通用しなくなっているが、それに気付けない。今まで通りでも大丈夫だ、最善だと、錯覚してしまう可能性がある。

今回の学習会で「宿題」も話題に上がったが、これもその一つであると考える。宿題というものの根本は変わっていないが、その価値はかつてとは全く変わっている。

社会では、未だかつてないペースでパラダイムシフトが起きている。

 

「パラダイム」とは何かであるが、次の動画がわかりやすい。

内田和成チャンネル 「ものの見方・考え方#1 パラダイムって何?」

日本にはかつて、敗戦のどん底から立ち直り、人口も経済成長も右肩上がりの時代があったという。モノを作れば売れる、ビルを建て、土地をひたすら転がして儲かる時代があったという。

この時代に最も必要な人材とは何か。「決められたことをきちんとやりとげる」「無茶な命令にも素直に従う」「無理してでも頑張り続ける」こういった人材が大切である。一人の人間から提供される労働時間の長さが、ダイレクトに企業の利益の大きさにつながるからである。

キャッチフレーズが「24時間戦えますか」だった時代である。残業拒否や家庭を顧みて育児を優先する行為など、「企業戦士」にあるまじき行為である。上司の命令に逆らうようなことがあればまず昇進はなくなるが、黙って従っていれば終身雇用で一生豊かで安泰が約束される。ある意味、イケイケである。

先の時代の人材の条件に最も当てはまるのは、現在の優秀なロボットたちである。今の時代でこの勝負をしたら、人間はロボットに全く勝ち目がない。

ところで、今でも学校現場で広く採用されている一般的な宿題とは、どのような力を伸ばせるのか。恐らく、先の時代に必要とされていた力を、大いに伸ばせるのではないだろうか。「受動」「従順」「我慢」である。

夏休みや冬休みも含む日々の大量の宿題は、先の時代のニーズに最適化していたといえる。社会が求める人材教育として、恐らく正しかったといえそうである。

一度に大量の相手に対し同質を提供できる一斉授業。厳密な校則、ルール。多様性を認めない排他的な制度とテスト学力による序列化。全て時代のパラダイムに沿っていたと思われる。望み通りの結果が得られたといえるのではないだろうか。

かつてのパラダイムを捨てるのは難しい。成功体験があるからである。長く勤めてきた人ほど、これは難しい。

一方で、新しい人たちは、この成功体験がない。よって、先入観がないため、新しいパラダイムをすんなり受け入れられる。

年配の方々の中に、LGBTQの概念をどうしても受け入れられない人が多いのは仕方がない、という話を書いたことがある。これも同じく、かつてのパラダイムによる当然の結果である。人生のほとんどを「男女ははっきりと区別されるのが正義」という枠組みの時代の中で生き抜いてきたのである。いきなりそれを「今は違うから変えて」と言われても、戸惑うのは当然である。

学校の教員も、そして恐らく保護者の中にも同じ感覚があるはずである。それぞれが自分の子ども時代を考えた時、宿題がないなんて有り得ない。宿題をきちんとやるのは絶対的な正義であり、それが出ない学校なんて不安で仕方ないだろう。

かつては宿題忘れという「大罪」に対し、体罰すら容認されていた時代があったのである(かつて国民的人気アニメの主人公が「宿題忘れの罰としてバケツをもって廊下に立たされる」という描写は一般的だった。それが今一切なくなったのは、象徴的である)。

今教育の世界で、上の立場にある多くの人たちも、同様の経験があるはずである。「若い頃は…」という話になれば、今ならあり得ないこともたくさんある。なぜなら、時代がそれを容認、あるいは求めていたからである。体罰すらテレビで当然のように流されていたぐらいだから、そういうことである。

それが急激に変わってきている。かつては「村」の中の比較だけで一生を終えていたのが、工業化による集団就職で都市部に比較対象が広がった。今では世界と容易に繋がれるようになり、グローバリゼーションが進んだ結果、比較検討の対象が世界の国々になっている。「宿題」一つの在り方をとっても、ICT活用を見ても、世界の先進国の教育が比較対象になるのは当然である。

パラダイムシフトが起き続けている。シフトしようか日本が迷っている間に、その新しいパラダイムすらもさらに世界ではシフトしているというスピード感である。

話が広がりすぎたが、身近なところの小さな変化へ抵抗感を示している場合ではないということである。かつての絶対的正義は、もはや通用しなくなっている。

そして一般的に、上の立場にいる人ほど、元々のパラダイムで生きてきたので、変化には抵抗する。旧パラダイムにおける成功体験のない若い教員世代が声を上げる以外にない。感覚の若い人たちみんなで声を上げて変えようとしない限り、既存の学校文化はいつまでも生き続ける。

なくした方がいいもの。残しておいた方がいいもの。真剣な検討が必要である。

どちらもごっちゃになっていれば、確実に「とりあえず保留」になる。公の場で「それは必要ですか」と声を上げる人が出るかどうかである。その声に続く人がいるかどうかである。

オンライン授業と宿題という狭い話であったが、ここに問題の本質をはらんでいると感じた次第である。

image by: Shutterstock.com

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【著者】 松尾英明 【発行周期】 2日に1回ずつ発行します。

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