外で遊ぶ小学生たちに「コラー!」と注意をするカミナリオヤジ。昭和の時代では当たり前のようにいましたが、今それをやってしまうとご近所トラブルにもなりかねません。マナーの悪い子どもたちに注意できる存在は現代ではなかなか難しそうです。今回のメルマガ『久米信行ゼミ「オトナのための学び道楽」』では、そんな『令和のカミナリオヤジ』になりたいという男性からの相談に回答しています。
オトナの放課後相談室:令和スタイルのカミナリオヤジとは?
Question
近所に住む小学生たちのマナーが悪く、注意をすべきか見かけるたびに悩みます。妻から「ご近所トラブルになりかねないから、挨拶くらいでいいんじゃない?」と言われているので、今のところ挨拶だけにとどめています。
ただ、お菓子のごみをそのままにしたり、日が暮れて周囲が真っ暗になっても遊び続けていたり、他人の敷地に入って遊んでいたり、見ていて明らかに危ない遊びをしていたりと、きちんと注意するのも大人の役目なのかもと毎回思っています。
昭和の頃はそこら中にいたカミナリオヤジ的なきちんと注意をするおじさんのようなイメージです。
ただ、昭和モデルのカミナリオヤジだと、いろいろと問題もありそうなので、令和モデルのカミナリオヤジを模索中です。
久米さんのご意見をうかがえれば幸いです。
久米さんからの回答
子どもは元気が一番。カミナリオヤジより、一線を超えるまで見守り微笑むご隠居に。
昭和38年、東京下町生まれで、遊び場もゲーム機もスマホも無かった路地裏育ちの私には、耳が痛い話であります。と申しますのも、、、
>日が暮れて周囲が真っ暗になっても遊び続けていたり、
>他人の敷地に入って遊んでいたり、
>見ていて明らかに危ない遊びをしていたりと、
というのは、 まさに私の子供時代そのものだったからです。
お受験とは無縁の時代にワイルドなエリアに生まれ育ったため、 小学校から帰って、ランドセルを放り投げると、仲間たちと遊び場へ 直行、それは近所の路地裏でした。
真っ暗になって、見えなくなるまでは、遊びの時間だと確信 しておりました。きっとご近所は、ほぼ職住一致の町工場や商店だったので夕食が遅かったのですね。
低気密木造住宅の特長で、 どこかからか夕餉の匂いがしてくると、 そろそろお腹が空いてきて、 どこかのお父さんかお母さんが、窓から顔を出して「そろそろご飯」と言うと解散 。 そんな毎日でありました。
遊び道具が無いので、 缶けりやら 「悪漢探偵」などの鬼ごっこ 。それも広場が限られているため住宅街(兼工場地帯)の路地裏 で遊ぶのです。
境界線があるのかないのかわからない、家と家のすき間を迷路のように走り回るのは 当たり前 。 ロウ石やチョークで、地面に落書きして遊び場にするのはジョーシキ 。
4メートルあるかどうかの路地で野球めいたものをしてはガラスを割ったりすることも しばしば 。 親と一緒に謝りに行ったこともありました。もちろん弁償はしましたが笑って許してくれました。
高いブロック塀の上は、度胸試しで歩くためにあり、当然ながら転び落ちて、 未だに私のオデコには4針縫った傷跡があります。また、お寺の階段を自転車で降りられなければ勇気がないとされる、 明らかにアブナイ子供の掟 。
しかも冬でさえ半袖半ズボンですから、1年365日、みんなのヒザ小僧もヒジもカサブタだらけ。
さすがにゴミのポイ捨てはしていなかったと思う のですが、 実は忘れているだけかもしれません。
そうそう、 落としたお菓子を3秒ルールで食べてましたっけ。よくもまあ、 私も含め、あの悪ガキたちが、ちゃんとオトナになったものです。
こうした 「路地裏で夜まで大騒ぎ」 は、 当時の下町ではごくあたりまえの風景 でした。しかし、さびしいかな、 昨今は、そんな子供たちを見ることはありません。 お受験やお稽古の教室通いなのか、それとも部屋にこもってゲーム機に興じているのか。
ほとんど例外的に、 私が住む家の前の路地は、同世代の幼子が多くて、時々懐かしい歓声が聞かれます。
わが家の車庫のシャッターは、お向かいの男の子のサッカー練習に使われたのか、 今でもボールの跡だらけ 。あいさつも返さない子だったので注意しようかと思ったこともありますが、 今では立派な中学生となり、向こうからあいさつしてくれます。
つまり何が言いたいかというと、 子どもたちには、その時その場でしかできない小さな冒険があり、 それもまた成長には必要だということです。
時には、度を越して、怒られたり、痛い目にあったりもするでしょうが、 それもまた勉強 。やがて、こうした経験で何かを学びながら、遊びを卒業してオトナになっていくのです。
残念ながら 、私も含めて、 自分で痛い目にあったり、これはいけないことだと気づいたりしない限り、本当に学習したとは言えません。
日々、大学生と接していて感じるのは、 これまで失敗=痛い目に遭う経験が少なかったのか打たれ弱く、いい子ちゃん然としてリスクを取らないこと。これでは起業などできません。
「そっちに行っちゃ危ないわよ」
「それはルール違反だろ」
こうして両親から規制の言葉をかけ続けられると、やりたいことをする=冒険を前に、自己規制をする人になってしまうような気がします。
ですから、カミナリオヤジ になるより、 超えちゃいけない一線までは辛抱強く、そして温かく見守り微笑むご隠居を目指されるのはいかがでしょう。
「そんなことしちゃいかん」 というより「どれどれ、こうした方が面白いぞ」 と教えてあげるのです。
わが子に対しては、どうしても怒りがちになるのが親の心情 ですが、 よそさまのお子さんには意外にニュートラルに接することができるかもしれませんよ。
ただし、昨今は、いろいろな意味でモンスターな親御さんも多いので、 出しゃばり過ぎないように 。願わくば、どんな親御さんか知っているお子さんに親切にした方が良いかもしれません。
「うちの子に何を教えるんですか」 と逆ギレされてもつまらないですし。
そうか、 私が生まれ育った下町は、誰もがご近所で仕事をしていたし、みんな銭湯で顔見知りだったから、自然に「やんちゃな子供たちをあたたかく見守る」環境ができていたのかもしれませんね。
まあ、 大学生でさえ「こんなこともできないのか」と嘆き怒りたくなる毎日 を送っておりますので、 小学生はちょっと大目に見てあげて、 お互い気長にいきましょう。
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