MAG2 NEWS MENU

ホンマでっか池田教授が解説。「右翼」「左翼」の意味と使い分け

ネット上で頻繁に目にする「ネトウヨ」「パヨク」などの罵倒語。差別や誹謗中傷目的は論外ですが、罵るなら相手の思想信条を正しく理解して議論しつつ的確に使用したいもの。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、CX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田清彦教授が、「右翼」と「左翼」の本来の意味を解説。現在の日本の諸制度が「右翼的」なのか「左翼的」なのかを仕分けします。さらに教授は「右翼・左翼」と混同しやすい「保守・革新」との違いについてもわかりやすく伝えています。

「ホンマでっか!? TV」でおなじみの池田教授が社会を斬るメルマガ詳細・登録はコチラ

 

右翼、左翼、保守、革新、リベラル

「ネトウヨ」とか「パヨク」とかいった相手を罵倒するコトバが、ネット空間を飛び交って久しいが、こういうコトバを使っている人が、その元となっている「右翼」とか「左翼」とかのコトバをきちんと理解しているとはとても思われない。自然言語、特に政治的なそれは、使う人によってその意味やニュアンス、コトバに込められた情動などが異なるため、共通理解を求めることは不可能だが、コトバの出自くらいは知っておいて損はない。

「右翼」「左翼」は、フランス革命の直前の1789年7月9日に成立した憲法制定国民会議において、議長席から見て右側に「国王に法律拒否権付与・二院制(貴族院あり)」を主張する勢力が陣取り、左側に「国王に法律拒否権なし・一院制(貴族院なし)」を主張する勢力が陣取ったことに端を発するコトバなのだ。

したがって、本来の右翼と左翼の意味は、右翼は国王や貴族の特権を擁護する勢力、左翼は国民全員の権利の平等を擁護する勢力ということになる。

現在の日本では皇室を除いて、公的な階級は存在しないが、国会議員は世襲が当たり前だし、経済的格差はどんどん開き、ごく少数の大金持ちと大部分の貧乏人に2分極化しつつある。天皇制を認めるのは皇室の特権を擁護するのでもちろん右翼、世襲議員や金持ちの議員が当選しやすいような選挙制度を擁護する勢力は、インプリシットな階級を維持しようとするので右翼、地盤も看板もお金もない国民でも議員になれる可能性を持てるような制度を作ろうとする勢力は左翼ということになる。

最近、立候補する時の供託金が話題になっている。日本の国会議員になるために小選挙区制で立候補すると300万円の供託金が必要となる。一定数の得票を得なければ、供託金は没収される。貧乏人は政治家になりたくとも、おいそれとはなれない。日本の供託金はOECD加盟国の中でも断トツに高い。ほとんどの国は20万円以下、アメリカ合衆国、フランス、ドイツ、イタリアなどは供託金がない。供託金がある日本は右翼的、ない国は左翼的と言えるだろう。

「ホンマでっか!? TV」でおなじみの池田教授が社会を斬るメルマガ詳細・登録はコチラ

 

グローバルキャピタリズムの結果、世界的に貧富の差が拡大しつつあるが、貧富の差の固定化を容認する勢力は右翼、貧富の差の固定化を妨げる政策を掲げるのは左翼である。日本はかつて所得税の累進課税率が高く、1974年には所得税は19段階の累進性で、最高税率は75%、住民税最高税率は18%で、なんと合計の最高税率は93%であった。それが、税率が徐々に下がり、課税段階が簡素化され、1999年には4段階、最高税率が37%になった。今は最高税率が少し上がり、45%、住民税最高税率が10%、合計55%となっている。

現在は4000万円以上の所得には一律45%の最高税率が適用されるが、1974年には8000万円以上の所得には75%の最高税率がかかったのである。高額所得者は稼いでもみんな税金に持っていかれた時代から、超高額所得者の資産はどんどん蓄積される時代に移ってきたのである。経済格差の固定化という観点からは、日本の税制は左翼的な制度から徐々に右翼的になってきたことが分かる。

ちなみに消費税は、金持ちでも、貧乏人でも税率が変わらないので、収入や資産に対する負担は貧乏人の方が大きく、どちらかというと右翼的な制度だと言えるだろう。

但し、経済的な結果平等を求める左翼的な制度が行き過ぎると、かつての社会主義国のように、経済的な自由が束縛され、新しいアイデアや技術で起業して金を儲けるといった夢が持てない息苦しい社会になりかねないので、自由と結果平等のバランスをどうとるかが、政治制度の要諦となる。

日本では、嫌中国や嫌韓国を右翼、というコトバで呼ぶことが多いが、これは国家主義的な思想で、本来の右翼の語源からはミスリーディングな使い方である。また、国力(経済力、科学技術力、外交力)の低下スピードがすさまじい日本を直視できずに「日本すごい」と言って妄想に耽っている人々を右翼と呼ぶのも、こういった人々を馬鹿にしている人々を反日の左翼と呼ぶのも、右翼、左翼の語源に照らせば、完全に間違っている。

ところで、右翼、左翼と混同されがちなコトバに、「保守」と「革新」がある。「保守」とは現在の社会制度や伝統、習慣などを極力変えない方がいいという立場で、「革新」とはより良い制度に変えて社会を変革したいとの立場である。日本では、自民党は保守政党の代表で、共産党は革新政党の代表と思われているが、例えば、憲法改定という件に関して言えば、憲法を変えたいという自民は革新で、憲法死守という共産は保守ということになる。

「ホンマでっか!? TV」でおなじみの池田教授が社会を斬るメルマガ詳細・登録はコチラ

 

「保守」「革新」とは多少カテゴリーの異なる用語に「リベラル」がある。保守や革新は、一般にはイデオロギーを表す言葉と思われているようだが、実はそうではないのだ。イデオロギーは社会制度や伝統、習慣の内実にある。保守とか革新はそれを守りたいとか、変えたいとかのパトスであって、イデオロギーそのものではないのだ。「戦争放棄」というイデオロギーを持つ人は、憲法9条を守ることに関しては「保守」で、日米安全保障条約を破棄したいという点に関しては「革新」なのである。

それに対して「リベラル」は個人の自由を尊重したいという立場で、自己決定権、愚行権などを擁護するイデオロギーなのだ。だからリベラルの対義語は「保守」ではなく、「パターナリズム(弱い立場にあるものの利益を守ると称して、強い立場にあるものが干渉するのを良しとする立場)」なのである。

私は、何度も公言しているように、恐らく日本で最も過激なリバタリアンで、私のイデオロギーは次のコトバで要約できる。すなわち「人々が自分の欲望を解放する自由(これを恣意性の権利と呼ぼう)は、他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り、保護されねばならない。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる」。詳しくは『正しく生きるとはどういうことか』(新潮社)に記してあるが、ここで重要なのは、「恣意性の権利は能動的なものに限られる」という所である。(『池田清彦のやせ我慢日記』2022年1月28日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください)

「ホンマでっか!? TV」でおなじみの池田教授が社会を斬るメルマガ詳細・登録はコチラ

 

image by: Shutterstock.com

池田清彦この著者の記事一覧

このメルマガを読めば、マスメディアの報道のウラに潜む、世間のからくりがわかります。というわけでこのメルマガではさまざまな情報を発信して、楽しく生きるヒントを記していきたいと思っています。

有料メルマガ好評配信中

  初月無料で読んでみる  

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 池田清彦のやせ我慢日記 』

【著者】 池田清彦 【月額】 初月無料!月額440円(税込) 【発行周期】 毎月 第2金曜日・第4金曜日(年末年始を除く) 発行予定

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け