LA滞在の長いMASUMIさんは、以前から日本の「お詫び」や「謝罪」の仕方に対して気持ち悪さを感じているといいます。日本に住んでいると違和感を感じないかもしれないその気持ち悪さについて、自身のメルマガ『FROM LA TO JAPAN』の中で細かく分析しています。
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「感謝」と「お詫び」のブレンド
日本でよく見かけるニュース。何かあれば「謝罪」や「お詫び」。以前にもこのことについては、コラムを書いたことがあるけど、またまた驚くことがあった。
アメリカでも物価の上昇は起きている。ガソリンだって物凄く値上げされたし、ストアーで生活用品や食料を買うときも「なんだか、高いな」と感じるようになった。
日本でもそうだろう…と見てみると、「値上げ」に対しても消費者へお詫び。
ネットで「値上げ 価格改定 お知らせ」と検索すると、「値上げに対するお詫び文の書き方」などがズラリと出てきた。
ご愛顧いただき誠にありがとうございます。
この度、原材料の高騰に伴い、お客様には大変に心苦しいお願いとなり誠に恐縮ではございますが、一部価格を改定させていただく事となりました。
今回の改定でお客様のご負担が大きくなってしまいます事を心よりお詫び申し上げます。
何卒、ご理解をいただき、 今後とも変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
上は、検索で出てきた一例文。私には読めない漢字すらある。さらに「商品の値上げをする案内メールのテンプレート」もある。
「感謝」と「お詫び」をうまくブレンドしなければならない日本文化には頭が下がるのは事実だが、なんか気持ち悪い。
アメリカでは例えば「輸送」関連の問題で、入荷が遅れているもの、もしくはそのために「品不足」になっているものに対して、「値上げ」がなされているものに対して、極まれに「説明」が書かれた文書が貼られていることはあるが、「お詫び」ではない。
「割引き・セール」の広告をみて、買い物に行ってみれば「一人につき二つまで!」と書かれていてがっかりしたこともある。そこには「お詫び」なんてない。
「申し訳ございませんが、お一人様につき、二つまでとなっております」なんていう張り紙はなく「1 person LIMIT 2」と書かれているだけ。理由はわからない。
こっそり3つ取ってレジに持っていくと、必ず注意される。1個没収は当たり前。
「お詫び」どころか、いついつから値段が上がりますよ~!というような告知もなく、1週間前に買ったモノの値段が翌週値上がりした!!ということは多々ある。それに対して、文句をいう奴もいない。
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以前、私も日本のサイトで映画を見ようと課金したときに、間違って同じ映画を選択してしまいその旨、動画サイトに質問を送ったことがあった。
「間違えてレンタルした映画を重複してしまった場合は、返金はできますか?」という質問に対して、すぐさま返信があったのは嬉しかったのだが、気持ち悪さを感じた。
まずはズラリと書かれた「感謝文」。
「平素より弊社に格別のご愛顧を賜り厚く御礼申し上げます」これに始まり、
「このたびは弊社製品の件でご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした」と詫びが入り、
「ご本人様の操作ミスによる課金生じた場合、保証の対象外となります。大変恐れ入りますが、返金はできかねます。何卒ご理解いただきますようお願いいたします」と、私の質問への「回答」が書かれ、
「この度いただきましたご指摘をもとに、商品説明書の記載をよりわかりやすく改める等、社内で検討していきたいと存じます」と、私を咎めることもせず、
「弊社は今後ともお客様にご満足いただける製品をお届けするべく、全力を尽くしてまいります。お客様には誠にお手数ではございますが、引き続きご理解ご協力を賜りますよう改めてお願い申し上げます」という締めくくりのメールが届いた。
なんとも丁寧すぎるというか、日本っぽい対応。気持ち悪すぎると感じるのは私だけだろうか?
多分、私が気持ちよくなかったのには原因がある。
このような「例文」やテンプレートというものは、ネットにゴロゴロと転がっていて「対応の仕方」なるサイトでは、「自社に落ち度がない場合のクレーム対応例文」など多数掲載されているからだ。
私が受け取った動画サイトからのメールも、テンプレートを使ったものと思われるほど酷似している。こういう文書「書き方手順」の重要ポイントまでも、ネットを探すと出てきた。
手順1:挨拶
手順2:謝罪
手順3:クレームの原因を説明
手順4:対応できないことを伝える
手順5:結びの言葉
まさに、このまんま。これらの手順を踏めば「用意されたもの」を少し弄るだけで出来上がる。
今回の場合、私の操作ミスで起きたこと、それに対して返金ができるかどうか?を尋ねただけの質問メールだったにも関わらず、丁寧すぎるほどのお決まりのテンプレレートを使った「見事な解答」を貰ったからこそ、気持ち悪く感じたのだ。
貰ったメールにいちゃもん付けるわけではないが、「客の満足」を得るのなら、むしろ「自分の言葉」を使った何か一文があってもいいのではないか?と私は思った。
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こういう問い合わせには、これ。こういう案件には、これ。というマニュアルの匂いが強すぎる。日本の丁寧なサービスは有難いが、丁寧すぎる言葉の羅列には、「普段から使わない」言葉が多く嘘くさい。
親切丁寧もいいが、こういうところから「自分の意」を表現する力の退化を加速させているのではないだろうか?
用意された原稿、用意された謝罪文、用意された感謝の意を表す例文…などなど、探せば欲しいときにすぐさま手に入る時代。
自分の言葉で自分の意見を述べる、気持ちを伝えるということは今も昔も変わらないことなのに、出来上がったものばかりがすぐ手に入る便利さが故、人はどんどん「考える」ということを忘れてしまうようになってきた。
考えずとも、「情報」は「無料」で手に入る。
子育てだって、人づきあいだって、「どうすればいいのか?」を考えずにネットで検索。考えなければ「工夫」をしなくなるのは当然で、人がどんどん「バカ」になっているような気がしてならない。
私に「お詫び」メールを送ってきたパソコンの向こうにいる人は、どういう人なのだろうか?
だた「仕事」として、キーボードを叩いている人の姿が目に浮かぶ。私が行った「問い合わせ」も、クレーム処理班が「対応」した1案件であり、実は丁寧な「処理」に過ぎないことはわかっている。
こういう社交辞令で「客の評価」を下げない努力は必要だと思うが、「感謝」と「お詫び」をブランドした「親切・丁寧」は、嘘臭さを助長していることに皆気付くべきだと私は思う。
丁寧であればいい、親切であればいい、なおかつ「安ければいい」という客側のニーズに答えるこの日本文化そのものが変わらなければ、日本の不況は回復しないのに。
売れないものの価格を下げる、そのために人件費が削られる、そして働く側の賃金が下がる、だからお金は使わずに貯められる。
高いものは買わない→売れないものは安くする…この繰り返し。小学生でもわかる。
だから「値上げ」をすることに対しても、「申し訳ございません」。これでは経済は動かない。消費者も「買ってあげる」というビジネスを提供している側に対する「感謝」の追求を辞めるべきである。
支援にしても同じ。
ウクライナ支援をした日本、ウクライナ側の感謝動画に日本の国旗が出されてないことに対しても物議。
「ウクライナ側にその趣旨を確認中」と官房長官の声明。「うちも支援はしてますが、うちとこの名前が出てないんですけど?」いちいちウクライナに確認を取る行為そのものが恥ずかしい。
世界の他国に対して「感謝」と「お詫び」の1セットを求めている時点で、日本の恥であることに気づいて欲しいもんだ。
面倒くさい国…にならないように成長して欲しい…。
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