毎回、年金についての詳しい説明と事例を用いた解説で人気のメルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座』。その著者で年金アドバイザーのhirokiさんが今回教えてくれるのは国民年金創設時のお話です。早い段階で危機に陥ってしまったという国民年金。その理由とは?
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創設から早い段階で危機に陥った国民年金と、15年かけて国民年金を約4割引き下げた過去(1)
こんばんは!年金アドバイザーのhirokiです。
それぞれが独立していた年金制度。ある業界が斜陽化すると年金も危機に陥る事があった
よく、年金額が引き下げられるという事に世間は非常に敏感ではありますが、過去には大幅な年金額の引き下げが行われた事がありました。
その始まりとなったのは、昭和60年改正(昭和61年4月から)です。
昭和60年改正というと、非常に大事な改正の年ですね。何を思い浮かべますでしょうか…。
一番有名なのは基礎年金導入ですね。
どんな職業の人でも国民年金に加入し、65歳になったら国民年金から老齢基礎年金を受けるようになった出来事ですね。
基礎年金が導入される以前の昭和61年3月31日までは国民年金というのは、農家の人や自営業の人等が加入する年金制度でした。
サラリーマンや公務員は国民年金には加入せずに、厚生年金や共済年金に加入していました。
年金制度は基本的に互いに独立していたわけですが、昭和61年4月からは全ての職業の人に国民年金に加入させる事になりました。
どうして農家や自営業の人が加入していた国民年金をすべての人が加入する年金となったのか。
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結論から言うと、年金制度を統一していきたかったからです。一元化というやつですね。
主に昭和50年代までに年金制度はお互いに独立していたので、競うように年金額を引き上げていきました。景気が良かったので、人々の所得が10年もあれば2倍になってしまうような時代だったので、老後の保障としての年金額が彼らの賃金水準などに遅れを取るわけにはいかなかったからです。
各制度が独自に引き上げ続けていったので、給付額がバラバラだったわけです。
バラバラでしたが、その中でも公務員が加入する共済は最も給付水準が高いものでした。例えば厚生年金は全ての期間の平均を取りますが、共済は退職前1年間の平均を取っていたので高額な年金になっていました。
そうすると、官民格差を指摘されるようになっていきました。公務員は給付水準が高すぎて有利なので、共済に対しての批判が強くなっていきました。
さらに厚年が55歳や60歳から貰う年金でしたが、共済は50歳から貰えたりしましたからね…そういう点においても合理的な説明が付かない差がありました。
このように年金制度はそれぞれ独立していたわけですが、もう一つ問題がありました。
産業ごとに分立していると、その中には斜陽化していく会社が出てくるわけです。
独自に共済の年金制度をやっていても、その産業が斜陽化していくとその産業の年金制度は持たなくなる危険性がありました。
実際には国鉄共済組合というのがありましたが、時代の変化に付いていけずにほぼ破綻していました。
国鉄は戦後に職を失ったり、日本領だったところから日本本土に帰還した人を大量に採用しました。
しかし、昭和40年頃からその大量に採用した従業員が一斉に退職期を迎える中で、自動車産業の発展によりマイカーを持つ人が増加していった事で国鉄は斜陽化していきました。
国鉄共済加入者に対して、退職者のほうが圧倒的に多いという状況になったので、国鉄共済を維持するには加入者の保険料を倍以上にするしかないような状況になりました。
昭和60年代になると国鉄加入者数に対して165%が年金受給者になるという状況になりました。まあ、100人の加入者で165人の受給者を支えるような状況ですね。
※ 参考記事
● 国鉄共済組合が財政危機に陥ったり、その後に厚生年金に統合された歴史など(2020年6月バックナンバー)
このように、ある会社は給付水準を引き上げて豊かになるところもあれば、斜陽化して破綻寸前になってる所の差があったわけです。
なので、もう年金制度は一元化していくべきだとの声が強くなり、昭和59年4月に閣議決定して平成7年までに年金制度を一元化していく事が決まりました(実際は平成27年10月に完了)。
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財政の危機に瀕していた国民年金と、自民党が守り続けてきた農業の衰退
また、国民年金制度自体も早い段階から危機に瀕していました。
国民年金は昭和34年4月に施行され、昭和36年4月からは保険料を納めていく事になりました。
加入するのはサラリーマンや公務員ではない、農家や自営業の人が主でした。
20歳から60歳までの40年間加入するけども、そのうち最低でも25年以上を満たしたら65歳から国民年金を支給するというものでした。
この時に1,700万人の人が加入となり、昭和40年代に入ると2,000万人を突破していきました。
概ね2,400万人の加入を見込んでいたようですが、まあまあの加入者の出だしだったようです。
この時代は農業に従事していた人が全産業の中で40%を超えていましたが、時代は高度経済成長でした。
そうすると、農業やるより都会に出て働いたほうがお金になったんですね。
ちなみに農業というと、選挙の際は自民党にとっては非常に重要な圧力団体であります。農業を守る事で安定した票を集める事が出来ていたりします。
よって、自民党としては農家の人に支持してもらおうと努力する事が多いです。
戦前は地主の土地を借りて農業を行う小作農という形が一般的であり、作物の多くを地主に取られてしまうものでした。作物の多くは地主に吸い上げられるからやる気があんまり出ませんよね^^;
戦後は農地改革が進められ、国が地主の土地を強制的に買い取って、小作農だった人に土地を与える事になりました。
小作農だった人達が自分の土地を持つようになったわけです。
そうすると作物を作ればそれは全て自分の収入になるわけです。
ゲンキンなものですが、全部自分の収入になるのであれば頑張りますよね(笑)。
それで、戦後は焼け野原だった日本の食料生産量が息を吹き返したわけです。
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ところが、自分の土地になってもあまりにも細分化されて小さな土地だったから、かえって農業の零細化を促進させる事になりました。
農業所得が減少したわけですね。
そこで、国民年金が本格的に始まる昭和36年に農業所得を向上させて、自立経営農家を育成しようという農業基本法が始まりました。コメだけじゃなくて収益の高い作物を作るようにしたり、機械化や近代化を促進させたりするんですね。
当時は食糧管理制度というのがあったんですが、これが今となっては信じられないものでした。
農家からコメを政府が高く買って、政府が国民に安く売っていました。
農家の所得を安定させるために政府は高額にコメを買って、国民に売る時はあまり国民に負担にならないように安く売っていました。
高く買って安く売ったら…そんな事したら大赤字ですよね。
あまりにも農家に対しての露骨な選挙対策に野党からの厳しい批判により、食糧管理制度も無くなっていきましたけどね。食糧管理制度は昭和17年から平成7年までありました。
このように政府は農業の人の所得が減らないようにしようとしたのですが、時代は高度経済成長期だったのでちょっと都会に働きに出ればいくらでも稼げたわけです。
会社としても工業生産をどんどん増やしたいから、労働者が欲しくてたまらない。その労働者を引き留めておくためにも、雇用は終身雇用にして、年齢が引き上がればその分給与が上がる年功序列を導入していきました。
そうすれば労働者は会社に長く働くし、忠誠心も養われる。
すると農家から都会へ出て稼ぎに行く人が多くなり、都会でサラリーマンやって厚生年金に加入していく人が多くなっていきました。
国民年金の加入者の中心が農家の人だったのに、その加入者人口が減っていくようになりました。
田舎は人口が減って過疎化が進み、都会では人口の過密化が進みました。
国民年金も産業の斜陽化の影響をモロに受け始めるようになったわけです。
ちなみに国民年金保険料の納付率は地方では高めでしたが、都会では納付率は低いようでした。大規模な国民年金反対運動が続いたりで、特に都会では普及するのが遅れてしまいました。
(メルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座』2022年6月1日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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