高い生産性を求められる上に、ガチガチの完璧なタスク管理に「疲れてしまった」「管理が破綻してしまった」という人は意外に多いのではないでしょうか。そこで、生産性も気にせず、完璧ではなくてもいいという今までの常識をくつがえすタスク管理法を伝授するのが、Evernote活用術等の著書を多く持つ文筆家の倉下忠憲さん。倉下さんは自身のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』の中で、高い生産性よりも「日常を過ごしやすくするため」を目的とした画期的なタスク管理法を伝授しています。
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倉下のタスク管理手法(2022年モデル)
今回は、最近の倉下の「タスク管理手法」について書いてみます。
といっても、以下の点に注意してください。
- 大げさな話はありません
- 統一的な方法はありません
- 高い生産性は気にしていません
まず、とびっきりの新しい方法でもなければ、人生をゼロから変えるような方法でもありません。日常的な方法と考え方で構成された「当たり前」の話ばかりです。
でもって、一つの方法で全体を統一することもしていません。ある部分は方法Xを、別の部分は方法Yも、といった形になっています。だから、説明すると非常に複雑になります。これはまあ、現実だからどうしようもありません。
最後に、こうしたことをする目的は「高い生産性を得るため」ではなく、「日常を過ごしやすくするため」です。
もちろん、その「日常を過ごしやすくする」の中には、「適切に仕事を行うこと」も含まれているので、生産性をまったく気にかけないわけではありませんが、主要な軸ではありません。英語圏では、この手の話題は productivity に分類されますが、私の関心はそこにはありません。
というわけで、ここから展開するお話は、巷で検討される「タスク管理」とはずいぶん違った趣になるでしょう。それを踏まえた上で、お楽しみください。
では、はじめましょう。第一回は、「やること」の管理についてです。
■日々の「やること」管理
私の「やること」管理のベースは、「デイリータスクリスト」です。『Re:vision』でも紹介しているので、ご存知の方も多いでしょう。
やっていることは、本当に単純です。
朝一番に「その日やること」を書き出します。もう少し言えば「その日やろうと思っていること」「その日できたらいいなと思うこと」を書きます。この辺のニュアンスは微妙なので、後ほど具体例を含めながら検討しましょう。
ともかく、朝一番に書き出すのですが、その先はタスク管理ツールでもなく、アウトライナーでもなく、テキストファイルです。その日の日付のファイル(たとえば20220831.md)の先頭あたりに、一行一「やること」で書き出します。
たとえば、このような感じになります。
ここで書き出すのは、あくまで朝一番の時点で「これは今日のやることだ」と思ったことだけです。それ以上のことは書きません。
- 「やること/やるべきこと」であっても、その日に着手するつもりがないものは書かない
- 「やること/やるべきこと」であっても、朝一に思い出せなかったものは書かない(でよい)
- 日課や日常的な活動は書かない
非常に限定的なリストです。その日の行動を細かいレベルで記述するタスクシュートとも違いますし、自分がなしうるアクションのコンテキスト別リストを作るGTDとも違います。あくまで、「朝一の、自分にとっての、その日の、ポイント」を書き出すだけなのです。
だからその数は多くて10程度になります。少ないときなら3~4個程度で収まります。それくらいにシンプルなリストから始めるのが、私のデイリータスクリストです。
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■行いながら、書き換える
そうして作ったリストは、当然ながら不完全です。情報としてはまったく足りていません。よって、一日を過ごしながら、その内容を書き換えていきます。
たとえば、リストに書いていないことを思いついて、それを「やろう」と思ったならば、リストに追加してから実行します。あるいは、実行した後にリストに追加して、軽やかにチェックマークをつけておきます。
タスクリストの目的が、「これからやること」の管理だとすれば、上記のような使い方はまったくもって無意味か、本末転倒でしょう。「すでにやったことを、リストに書き加える」なんてことは、管理の役には立ちそうもありません。そんなことに時間を使っている暇があるならば、別のことに手を動かせ、と誰かが言ってきそうな気がします(妄想です)。
しかし、「やったこと」であっても、リストに加えてチェックマークをつけることで、私の中に「整合性」の感覚が生まれてきます。自分の行動履歴がここにあるのだ、という感覚です。
朝一の段階でやろうと決めたことも、どこかの時点でやろうと思ったことも、どちらも「自分の意思が介在した」行為であることには違いありません。片方を記録に残しながら、もう片方を残さないのは整合性がないでしょう。
一方で、「やろう」と思っていなかった行為はリストには書き加えません。Twitterへの脱線とか、そうしたことは記入しないのです。
これは記録の完全性という点では不十分なアプローチです。それこそタスクシュートのように一切の行動を貴賎なく入力し、使途不明時間をなくしていく方が、全体的な信頼度や生産性の向上には役立つはずです。
しかし、「そこまで必要なのかな」と私は思います。そこまでの強度のデータが必要なのか、と。それよりも、多少の使途不明時間が含まれている、ちょっとファジーな認識くらいがちょうどいいのではないかと感じています。
少なくとも、その強度の管理であれば自分は続けていける、というのはたしかな事実です。
■以前のリスト
私が以前作っていたデイリータスクリストはもっと強度の強いものでした。完璧な管理を目指していたのです。
まずカレンダーと連携することでその日のスケジュールが挿入される。さらに、ウィークリーリストと連携してその曜日に割り当てた作業が入る。さらにさらに、プロジェクトノートと連携して各種プロジェクトの「次の行動」が入り、日課としている作業も追加される……。
最終的にはそんな「完璧」なツールを作ることはできませんでしたが、むしろそれで良かったと今は感じています。そこに立ち現れるであろう圧倒的な「窮屈さ」が今なら想像できるからです。
きっと最初のうちは、ちまちまとリストを作る手間から開放される自動化の力を称賛するでしょう。「やっぱり、デジタルはこうでなくっちゃ」と。
しかし二週間も経つと、毎朝目の前に完璧なリストが表示されるのに嫌気が差しはじめます。テンプレート化された情報群から生成される、テンプレート的な「今日のリスト」。そこにある、動かしがたい束縛感が嫌になってくるのです。
断っておきますと、「同じような毎日を送る」ことが嫌なわけではありません。実際私は、毎日同じような生活を送っています。原稿を書く、妻の送り迎えをする、家事をする、本を読む、原稿を書く、……。
そのような生活のリズムが安定しているほど、仕事の進捗も確かなものになります。同じような毎日が送れることを欲しているとすら言えるでしょう。
しかし、テンプレート化された「今日のリスト」が自動的に提示されるのは、堪え難いものがあります。その二つには、埋められないほどの差があるのです。
■子どものような嫌いかた
では、何がそんなに嫌なのでしょうか。
それについて考えてみると、子どものような理由に思い当たりました。
「その日、特にやりたいと思っているわけではないタスクが入っているから」
ようはこういうことです。「同じような毎日」を送っているにせよ、それは厳密には「同じ毎日」ではない。確実に微細な違いがある。月から水曜日までやったことを木曜日と金曜日はやらないかもしれない。それも「なんとなく気が乗らないから」みたいな些細な理由でやらないかもしれない。
にもかかわらず、テンプレート化された「今日のリスト」には、ばっちりとそれがタスクとして記載されています。それが気にくわないのです。
「いやいや、やらないならやらないで消せばいいだけじゃん」
と思われるでしょう。私も思います。でもこの話はそう簡単ではないのです。
そうしてやらないことが「やること」として記載されているリストを見ると、「ああ、こいつ俺のことがわかっていないな」という感じがしてしまうのです。強く言えば、不信感が湧くのです。弱く言えば、あまり信頼できなくなるのです。
実際にその通りでしょう。そのテンプレートを作ったときの私は、あくまで抽象的な「一週間の過ごし方」をイメージしていただけで、2022年8月31日の自分がどういう感じなのかを具体的にイメージしたわけではありません。むしろ、そんなイメージを立ち上げていては、抽象的な役割を持つテンプレートなど作れないでしょう。
このような感覚の乖離から、私は目の前に提示されたリストを「自分のもの」だとは思えなくなるのです。もっと感覚的に言えば、「そこに書いてある通りに作業を進めたくない」という気持ちが湧いてくるのです(あるいは、進めようという気持ちが減退するのです)。
結局、なんでもかんでもをそのテンプレートにつっこもうとしたのが問題だったのでしょう。完璧なリストを作ることとは、些細なことまで抜け漏れなく項目を列挙することなのですから、当然「なんでもかんでも」が詰め込まれることになります。重要度の高低を無視して、その日の自分にとってどうでもいいと思えることまでがリストに盛り込まれてしまうのです。
そんなリストを使い続けたいとは、(少なくとも私は)思えません。
■仕方なく管理を手放した
私の場合は、意図的に上記のような管理をやめたわけではなく、体調を崩して一年ほど「ほぼ休業状態」になったことがきっかけで、管理の手法が切り替わりました。
不調の時期は、一切の「生産性向上に向けたタスク管理」を放り出して、「ただその日を生きる」ことを目指していました。それだけができることの精いっぱいだったからです。
そこから少しずつ回復し、一日に一つ「やること」をリストに書き込むようになり、今はだいたい3~5個くらいの「やること」を記入するようになっています。そして、それでも十分という気がしています。
もちろん、細かいことを記入しなくなったので、以前に比べてやり忘れることは増えました。抜けや漏れもあります。一日に為せる行為の総数を単純生産性と呼ぶならば、現状の私の単純生産性はガタ落ちの状況にあります。
一方で、それで仕事ができていないかといえば、そんなことはありません。重要な部分は外していないからです。だったらも、それでいいでしょう。そんな割り切りが今の私にはあります。
むしろ、昔の私は何かを見ているようで、その実、ぜんぜん見えていなかったのでしょう。仕事について、生きることについて、その他もろもろについて。(次回につづく)
※ 本記事は有料メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2022年9月5日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
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