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sticky rice cake in vegetable soup

なるほど。徳川将軍のお雑煮には「お餅」が入っていなかった深いワケ

今年の大河ドラマの主人公は、徳川家康ですね。日本人でその名を知らぬ人はいない家康が開き、260年も続いた徳川幕府ですが、教科書だけではわからないエピソードも多くあります。メルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』では、時代小説の名手として知られる作家の早見さんがその一部をご紹介しています。

徳川家康と雑煮 なぜ徳川将軍は代々、餅のない雑煮を食べたのか?

今年の大河ドラマ、『どうする家康』の主人公はもちろん徳川家康です。家康が開いた徳川幕府を主宰した累代の将軍は正月元旦には餅のない雑煮を食べたそうです。

神君家康公の御苦労を思え、という慣習だったのです。家康公は正月だからといってのんびり雑煮を食べてはいられなかった、せめて元旦くらい家康公の御苦労を思い、感謝して暮らせ、ということです。餅くらい食べようが食べまいがどうということはないのですが、元旦は武家の棟梁たる征夷大将軍としてぴりっと緊張して過ごすべしということだったのでしょう。

ところで餅ですが、筆者はとんと食べなくなりました。子供の頃のお正月といえば、雑煮で餅をいくつ食べたと自慢するお年寄りが珍しくありませんでしたね。

そう言えば、おせち料理も食べなくなったなあ……子供の頃は当然のようにおせち料理を食べたものですが、黒豆とか栗きんとんなどが好きではなかったので、成人し独り暮らしになると食べなくなりました。おせち料理を自分でこさえるなどできるはずはなく、買ってまでして食べる気はせず、おせち料理から遠ざかってきました。

年末になるとチラシや食料品店でおせち料理の予約受付の案内があります。和食に限らないバリエーションに富んだ豪勢なおせち料理になっていますね。値段もそれなりですが。

家康について餅から話を転じます。

歴代将軍は水練が得意でした。これは家康の遺言によります。負け戦になり、敗走中に川を渡らなければならない時、溺れてはならじ、ということです。野戦の最中であれば家臣が身代りを務めてくれるが、泳ぎの身代りは立てられない、自分で泳がねばならないのです。

家康の遺言を守り、歴代将軍は水練の稽古を怠りませんでした。江戸城の堀で古式泳法を披露した将軍さまもいたとか。立ち泳ぎのまま扇子に筆で文字を記す、という具合ですね。将軍が水練熱心でしたから大名たちも水練の稽古を積極的に行っていたそうです。

ところが、将軍の直臣たる旗本たちには情けないエピソードがあります。幕末、幕府は西洋式の陸軍を創設しました。その中核となるのは当然ながら旗本です。幕府は西洋式軍隊の調練を行う為にフランスから軍事顧問団を招きました。

フランスの軍事顧問団は隅田川で水練を実施しました。ところが、泳げずに溺れる旗本が続出したのでした。旗本たちは水練ばかりか野戦の軍事調練も文句ばかり言って、すぐに根を上げたそうです。軍事顧問団は、旗本たちを精神力、体力供に農民に劣る、と呆れたとか。

幕府陸軍は頼りない旗本ではなく、火消しや博徒たちを集めて戊辰戦争を戦います。旗本は先祖代々、将軍から禄を与えられてきたのです。幕府存亡の危機にあって、今こそ神君家康公以来の御恩に報いる時にもかかわらず、旗本たちは役に立たなかったのですね。

泰平が続き、武芸は合戦の為ではなく武士のたしなみになってしまったのでした。平和ボケと言えるのかもしれません。幕末は外圧によって動乱が起き、泰平の夢が破られました。

2023年の現在、世界はきな臭い状況になっています。日本人は平和ボケという言葉が耳に入るようになりました。幕末の動乱は明治維新を誕生させましたが近い将来、世の中が激動するのでしょうか。

庶民としては平和ボケで暮らせる世の中であって欲しいものです。

image by: Shutterstock.com

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歴史、ミステリー四方山話、思いつくまま日本史、世界史、国内、海外のミステリーを語ります。また、自作の裏話なども披露致します。

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【著者】 早見俊 【発行周期】 週刊

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