ウクライナ戦争開戦から1年というタイミングで、突如「和平案」を提示した中国政府。それまで頑ななまでに沈黙を貫いてきた中国は、なぜ今、大きな動きを見せるに至ったのでしょうか。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では元国連紛争調停官の島田久仁彦さんが、考えうる3つの理由を挙げそれぞれについて詳説。さらにプーチン大統領が要請しているという習近平国家主席のモスクワ訪問の時期を、中国政府が慎重に探っている理由を解説しています。
ポスト・ウクライナの主導権を狙う中国が「ロシア優勢のまま夏に 終戦へ」と発信した思惑
「2023年の夏ごろには、ロシア軍優勢のまま、この戦争は終局に向かう」
この驚くべき見立ては中国人民解放軍直属で共産党の諮問機関としても位置付けられる中国軍事科学院が行った分析結果です。
英BBCを通じて英国情報機関が流す見立てでは「ロシア軍は配給されているシャベルを武器として用い、ウクライナ東部での戦闘は近接戦の様相を呈してきている。これはロシア軍側の武器弾薬の供給の滞りを示す証拠ではないか」というようにロシア軍がウクライナ軍の抵抗に押され気味というようなイメージになっています。
また最激戦地と言われるバフムトの攻防戦はロシア・ウクライナ双方ともに「まさに地獄」と例えるほどの凄惨な戦闘になっているようですが、“どちらが優勢か”という分析は日々サイド・チェンジが行われるように、一進一退の攻防と考えられます。
そのような中、ウクライナのゼレンスキー大統領は徹底抗戦を呼びかけ、「ロシアに侵略されたウクライナの土地を取り返すまで、ロシア軍がウクライナから全面的に撤退するまで戦い続ける」と言っていますし、大方の分析ではロシア軍はまだ兵器・弾薬の在庫があり、最新鋭の兵器もまだ温存されているため、継戦能力も意思もまだまだあると言われていますので、この戦いは長期化すると見るのが一般的です。
しかし、中国の安全保障関連のブレーンとなる中国軍事科学院が行った昨年冬頃からの調査と分析は、最初に触れたように“ロシアが優勢のまま、戦争は夏ごろに終局を迎える”という読みを行っています。
そして「ロシア・ウクライナともに経済の疲弊が激しく、夏ごろには戦争の継続が困難な状態に陥る」という分析結果も出しています。
本当でしょうか?
一説では、ロシアはインドやトルコなどの協力もあり、欧米諸国とその仲間たちがロシアに課す経済制裁の網に穴をあけ、ロシアに外資をもたらしていると言われていますし、イランや北朝鮮からの武器弾薬そしてドローンの供給を受けていると言われていますので、本当に夏ごろに継戦不能になるのかは分かりません。
またウクライナにしても欧米諸国とその仲間たちからの支援が増幅されているわけですから、急に困難な状況に陥るというのも首を傾げる状況です。
もしかしたら“ロシア寄りの姿勢”を示す習近平国家主席と共産党指導部に対する忖度も働き、“ロシア優勢”という分析にしたのではないかとも勘繰りたくなります。
ただ中国政府内の情報によると、軍事科学院は比較的ニュートラルな分析を独自の情報網を用いて行うことで知られており、それは歴代国家主席と外交部、そして人民解放軍からも高い信頼を置かれているとのことですので、その評価を守るために、政治的な忖度は行わないとのことでした。
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軍事科学院は何を根拠に「今夏に戦争は終局」と分析したか
では今回の意外な分析結果に至る理由はどのようなものがあるのでしょうか?
理由として一つ挙げられたのが、「アメリカ政府がウクライナに供与している支援予算のうち、昨年12月に議会下院で成立した総額450億ドルに上る支援の期限が切れるのが今夏と見られ、先の中間選挙で下院の過半数を確保した共和党に対ウクライナ支援の継続および拡大に難色を示す議員が多いため、今秋以降のアメリカ政府によるウクライナ支援の先行きが不透明であること」でした。
実際に欧米諸国とその仲間たちからの援助額全体の5割強を占めるのがアメリカ政府からの支援ですが、仮にそれが秋以降停止する・縮小される場合、その前にロシア・ウクライナ戦争の停戦協議に向けてのプロセスをアメリカが動かそうとするのではないかとの見解を持っているようです。
中国政府としては、これまで国際社会からの要請に対しても消極的な姿勢を保ち、欧米諸国とその仲間たちが課す対ロ制裁に反対しながら、ロシア・ウクライナ戦争から意図的に距離を置いてきたイメージですが、アメリカおよび欧州諸国が停戦協議に向けた舵を切る前に、中国がキャスティング・ボートを握りたいと考えたのではないかと思われます。
その顕著な例が2月18日に王毅国務委員がミュンヘン安全保障会議で触れた“中国の考え”であり、ちょうどロシアによるウクライナ侵攻から1年が経った2月24日に中国政府が発表した12項目からなる和平案です。
内容的には特段目新しいものはないとされていますが、当事者であるロシア政府とウクライナ政府はともに前向きに検討する旨、表明しています。
しかし、NATOおよびアメリカ政府は辛辣に批判し、「中国は信頼されていない。ロシアに武器供与をしているとの疑いが強まる中で、和平案を提示するとは大きな矛盾に満ちている」とまで述べて、対決姿勢を強め、ウクライナ政府にも“決して受け入れないように”との釘まで刺しています。
しかしここで「ということは、中国による仲裁の可能性は消えただろう」と判断するのは時期尚早で短絡的だと考えます。
一つ目の理由は【中国による仲裁申し出に対する欧米諸国の反応に生まれた温度差の存在】です。
欧米諸国は一様に中国の申し出に対して困惑しているか、反射的に反対していますが、英米およびNATO事務局長が非難する一方、早期停戦の声が日に日に高まっているドイツとフランスは声高に全面否定していません。
出来れば自分たちが仲裁の任を担いたいという思いは見え隠れしますが、プーチン大統領に対して物言うことが出来、プーチン大統領が耳を貸す存在としての中国・習近平国家主席が仲裁に乗り出すべきだと言い続けてきたのはフランスやドイツ(そして一時期はアメリカ政府も)だったことが背後にあるように思われます。
Immediate termでの“春までには”という時期では、フランス・ドイツ共にウクライナへの軍事支援を拡大し、ドイツについては、虎の子のレオパルト2まで供与する方針ですが、国内世論の変化もあり、ドイツとフランスはNATO内では早期停戦を望む姿勢を出しています。
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欧州との和解と欧米諸国間の分断。中国の「深慮遠謀」
今回、中国政府が和平案を提示してきた狙いの一つは、欧州との関係修復と、欧米諸国間の結束を乱し、分裂状況を創り出すというものがあるように思われます。
米中対立の激化の中、欧州各国も対中姿勢を厳しくし、中国包囲網に加わる事態になっており、中国と欧州諸国との間の貿易にも支障をきたす事態になっていますが、中国がロシア・ウクライナ戦争の仲裁に乗り出す姿勢を示すことで、早期停戦に前向きとされるドイツ・フランスとの関係修復を図れるのではないかと期待している様子が覗えます。
もし中国とドイツ・フランスなどと協働できることになれば、あくまでも中国政府側の期待と前置きしておきますが、中国とフランス、ドイツとの経済的な結びつきを再強化でき、スランプ気味な中国経済の成長率再浮上のきっかけになるとの見方があります。
中国の一方的な思い込みなのか否かを確かめるためにフランス・ドイツ両政府に尋ねてみたところ、「中国による仲裁の申し出を真に受けることはできないが、中国の姿勢の転換に対してはポジティブな評価をしている」との反応がある一方、「欧州にとってはロシアへの過度な依存が今回のジレンマを生んだ反省から、あまり中国への経済的な依存度は高めたくないと思っている」という複雑な心境も垣間見えました。
しかし、プーチン大統領とゼレンスキー大統領がともに中国による仲裁を受け入れるような事態になった場合には、欧州内そして欧米諸国とその仲間たちの間の結束に大きな乱れが出ることになるかもしれません。
中国が姿勢を転換して仲裁に積極的に乗り出すようになった2つ目の理由は【ウクライナとの友好関係の維持】です。
習近平政権が一帯一路政策を本格化し始めてから一気にウクライナにおける中国の存在感(プレゼンス)が上がりました。
私が安全保障のみならず、環境・エネルギー案件でウクライナをよく訪れていたころ(15年前くらい)は、キーウにあるまともな中華料理屋さんは一軒しかなく、味もかなりひどいものだったのですが、その後、一帯一路の波に乗って中国資本がウクライナに押し寄せ、ウクライナ各地のインフラ事業をどんどん請負うことになり、それにつれて増えた中国人をもてなすための中華料理屋もかなり増え、何よりも味も格段に改善されました(ちょっと余談ですが)。
そして今や記憶のかなたに置き去りになっている感がありますが、ウクライナは旧ソ連時代の軍事的なセンターの一つであり、旧ソ連の置き土産としての大量の兵器と軍需産業があります。アジア太平洋地域での覇権拡大に乗り出す方針の中国は、自前の空母を持つ必要性を主張し、その後、中国初の空母「遼寧」の建造に成功しました。この遼寧は、実際にはウクライナが中国に売却した旧ソ連の空母を中国が改造してできたものです。
このディールの際、中国の人権問題への懸念と、中国の軍事力の拡大を嫌った欧米諸国はウクライナに売却を思いとどまるように圧力をかけましたが、ウクライナはそれを無視して、中国との約束を優先したというエピソードがあり、これが義理と恩を重んじる中国側に尊重されることになったと言われています(実際に中国政府内でウクライナのことを悪く言う人はいません)。
遼寧にまつわるエピソードはゼレンスキー大統領時代のウクライナとの取引ではないですが、ゼレンスキー大統領もしっかりと中国の重要性を認識しており、ゆえに中国が手交した和平案も無碍に拒絶する代わりに、働きかけに感謝の意を述べ、「前向きに検討する」と述べています。
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「主役になりたい」。開戦1年の節目に大勝負に出た中国
もちろん、現在、ロシアとの戦争遂行中であり、対ロ抗戦がEUやNATO、アメリカからの膨大な支援によって成り立っている事実にも鑑みて、「中国がロシアに武器供与をしないことを前提として」と条件を付けると同時に、諸手を挙げて中国に謝意を述べることはしていませんが、トルコが和平案を提示した時に比べ、はるかに反応は前向きであるように感じています。
中国の和平案はすでにポスト・ウクライナ戦争の世界をターゲットにしていることもウクライナ政府としては一考に値すると評価するきっかけになっていると思われます。
聞くところによると、和平案の中には経済復興計画策定という項目が含まれており、すでに戦後復興における中国からの経済支援案の草稿が作り始められているそうで、中国としては欧米諸国とその仲間たちの反応は織り込み済みで、そちらの説得にエネルギーと時間を費やすよりも、ロシアとウクライナへの直接的な働きかけに尽力する方針のようです。
ロシアとの関係は、いろいろと緊張感は漂っていますが、世界がロシアに背を向ける中、ロシア寄りの立場を明確にして、ロシアに対する非難の輪に加わらず、「和平を望む」と述べるのみに留まってきたこともあり、これまでになく良好だと言われています。
そこにこれまでに培われてきたウクライナとの特別な関係が加わることで、中国政府としては、仲裁に積極的に乗り出す姿勢を示すことで、ロシアとウクライナ双方を繋ぎとめ、ポスト・ウクライナの世界の基盤づくりで大きなプレゼンスを示すことが出来ると読んでいるようです。
そして仲裁にこのタイミングで乗り出した理由の3つ目は【仲裁および停戦における“主役”になりたい】との希望があるようです。
中国外交部の友人曰く、「欧米諸国が開戦以降、中国政府に求めてきたことを、今、習近平国家主席のリーダーシップの下、中国は実現するだけ」と冷静な姿勢を示していますが、軍事科学院の分析結果を受け、“夏ごろには戦況が終盤に差し掛かる”との読みから、「近く始まる停戦への競争、そしてポスト・ウクライナの世界づくりのレースに出遅れるわけにはいかない」と考えて、今、戦局が停滞していて、かつ開戦から1周年という節目に勝負に出たと思われます。
中国政府が仲裁に向けてもつ最大のカギ・決め手が、プーチン大統領が再三要請し来た習近平国家主席のモスクワ訪問というカードです。
【関連】プーチンより恐ろしい。ウクライナ利権の独占を目論む中国「習近平の訪露」という切り札
聞くところによると、第3期目に向けた大きなイベントを終えた習近平国家主席もプーチン大統領からの要請に応じる方針のようで、今は「どのタイミングで行うのか?」を急ピッチで模索しているようです。それは「早すぎてもいけないし、遅すぎてもいけない」と表現されるように、非常にデリケートな内容とされています。
もし抜群のタイミングで乞われる形で訪ロし、プーチン大統領が習近平国家主席による仲裁を受け入れる旨を表明することで、ロシアとウクライナが交渉を始めるようなお膳立てが出来れば、中国にとってはベストシナリオとなりますし、何よりも習近平国家主席にとっては非常に大きな成果として国内外に向けたアピールになります。
そして先週開催されたインドでのG20外相会談時で目の当たりにした【グローバル・サウス】を中国側に引き寄せるきっかけにつながるかもしれません。
現時点では、コロナパンデミックおよびウクライナ戦争の下、インドやインドネシア、南ア、ブラジルなどに代表されるグローバル・サウスの国々は、口約束ばかりで何もしてくれない欧米諸国とその仲間たちからも距離を置き、アジアにおける脅威とされる中国とも距離を置いていますが、グローバル・サウスの国々を経済的に苦しめるロシアとウクライナの戦争を解決に導くお膳立てを、もし中国が行うようなことになれば、中国を再度、途上国の雄に据えることになるかもしれません(そこにはもちろん、アジアのもう一つの大国であり、中国と何千キロメートルにもわたる国境を接するインドが黙ってはいませんが、中印の関係改善にも寄与するかもしれません)。
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「ウクライナの次」の国に揺さぶりをかけるプーチンの迷惑千万
ただ、もしこの習近平国家主席による仲裁が不発に終わってしまった場合、習近平国家主席の権威に大きな傷を刻むことにあり、中国共産党の威光にも悪影響となるため、習近平国家主席の周辺は訪ロのタイミングを非常に慎重に探っているというわけです。
仮に中国が望む通り大きな役割を担うことになった場合、習近平国家主席ご本人とその周辺に、非常に複雑で困難な交渉と調停を行い、予想される欧米諸国からの妨害に対応するという仕事をやってのける能力があるかどうかは、また別次元の懸念ですが、今はまず、ロシアとウクライナがどこまで中国案を受け入れることが出来るかに注目したいと思います。
話はちょっと変わりますが、ロシアのプーチン大統領はウクライナとの戦争を行いつつ、旧ソ連圏の周辺国にも触手を伸ばしつつあるのは、ポスト・ウクライナの世界づくりに対して非常に大きな懸念材料です。
常に“ウクライナの次”と目されていたモルドバに対して、ロシアはお得意の世論操作を仕掛けると同時に、親欧米の立場を取る政権を苦しめるために、モルドバへのガスの供給を50%以上削減して、モルドバ国民に急激なエネルギー価格の高騰と30%強のインフレをお見舞いするという合わせ技を繰り出しました。ウクライナからの難民の流入によって公共サービスが圧迫されているところに、生活を苦境に陥れる策を講じて一気に攻め取ろうという作戦に思えます。
すでに2月には親欧米の政権を打倒していますが、そこに追い打ちをかけ、モルドバ国民にロシアの意図を示すかのように、プーチン大統領は2012年来尊重してきた“モルドバの主権を尊重する”という内容の政令を破棄する通達をしました。今、ウクライナのお隣で、ポーランドと同じくNATOのお隣でもあるモルドバに圧力をかけることで、戦局を有利に変えようとしています。
それに加えてジョージアの政治情勢を緊迫化させるべく働きかけを行っているようです。2008年のロシアによるジョージアおよび北オセチアへの侵攻以降、対ロ国民感情は非常に悪化していますが、政府は対ロ融和姿勢を貫き、現首相のガリバシビリ氏は「戦争に巻き込まれないことが最大の国益」として対ロ制裁にも応じず、参戦もしていません。
ただこの姿勢が悲願のEU加盟申請を頓挫させることにつながっており、それがまたジョージア国民の怒りの火に油を注ぐ事態に発展し、首都トビリシでは大きなデモに発展しています。
恐らくこの状況にロシアはほくそ笑んでいるのではないでしょうか。
ただこのプーチン大統領の野心に水をかけうるのが、中央アジアに影響力を拡大することを狙う中国の習近平国家主席です。
ウクライナの戦火が周辺国に飛び火して、火消しが不可能になってしまう前に地域の緊張緩和に乗り出さなくてはなりませんが、中央アジア・コーカサス発の長くつらい大戦争に発展するまでに残されている時間はあまり残されていないように思われます。
この事態に中国は、アメリカは、ロシアは、そして欧州各国はどう動くべきでしょうか。
残念ながら影響力を発揮できるメインプレーヤーの輪の中に日本は存在しないようです…。
以上、国際情勢の裏側でした。
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