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『朝日』『毎日』2紙の記者が決して忘れてはならない1931年9月25日の犯罪

毎日新聞の記者として、沖縄返還協定を巡る佐藤内閣と米国との密約をすっぱ抜いたがゆえに、その後の人生を国との戦いに費やさざるを得なくなったジャーナリストの西山太吉氏。そんな「気骨の人」が2月24日、91年の生涯に幕を閉じました。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では辛口評論家として知られる佐高信さんが、西山氏が新聞記者を目指した動機を紹介。さらに朝日・毎日それぞれに掲載された1931年9月25日の社説を再掲し、両紙の記者が忘れてはならない前科」との厳しい指摘を記しています。

新聞の前科。『朝日』と『毎日』の記者は1931年9月25日の社説を忘れてはならない

国家の嘘を暴いたが故に国家に報復された西山太吉が亡くなった。私は『西山太吉 最後の告白』(集英社新書)を聞く機会に恵まれたが、『週刊新潮』3月16日号の「墓碑名」で、澤地久枝がこう言っている。

男女関係という個人的なことと国家的な犯罪では重さが全く違う。それを検事が書いた“情を通じ”という馬鹿げた文言で問題をすり替え、世論を動かした。蓮見(喜久子)さんはその表現に身を任せるように悲劇の人を演じた。西山さんは悪い女に引っかかったと思いました。

1931年生まれの西山は、新聞が戦争を煽ったことを身をもって体験し、権力をチェックする必要があると思って新聞記者になった。西山家では戦争中に『朝日』と『毎日』を取っていたけれども、「もう完全な帝国主義新聞」だったという。軍部とメディアの共同作業で戦争は起こった。

西山が生まれた年の9月18日の柳条湖事件から中国侵略は開始されたわけだが、それから1週間後の『毎日』は社説で「皇軍に節度あり、規則あり、正義の一念に燃えている以外、毫も他より非難せらるべき意図なきことを確信する」と書いた。

同じ25日付の『朝日』も、当時の大日本帝国関東軍の行動を自衛のために正当とした政府声明を受けて、やはり社説で『毎日』に優るとも劣らない強硬論をぶち上げている。

我が国が満州に対して何ら領土的野心を有せず、今回の事変が全く100万の国人と20億の投資とに対する自衛権の発動にほかならぬことは、事件突破以来吾人の繰り返し論じたところで、吾人はこれしきの声明を発するに、何故、しかく時間を要し幾回かの閣議を繰り返さねばならなかったかを、むしろ不思議に思うのである。

新聞は軍部に圧迫されて、戦争鼓吹のラッパを鳴らしたのではなかった。逆に世論を煽って軍部の尻を叩いたのである。

佐高信評伝選の第3巻は『侵略の推進者と批判者』(旬報社)で、推進者として石原莞爾を、批判者として石橋湛山を取り上げている。その石原のところで書いたように、中国軍の仕業に見せかけて日本軍が自作自演をしたことは現在では明らかになっている。

だから、中国ではこれを「9・18事変」と呼び、断じて忘れないための記念館を建てた。私はそこに行ったが、そこには首謀者として板垣征四郎と石原のレリーフが掲示されている。そして、1931年から日本が投降した1945年までの「日本帝国主義的血腥統治下」、中国人民は「亡国奴生活」を強いられた、とあった。

日本人は決して9月18日を忘れてはならないだろう。それと同時に、とりわけ『朝日』と『毎日』の記者は前掲の1931年9月25日の社説を忘れてはならないのではないか。その前科を忘れては、西山太吉の孤軍奮闘を理解することはできない。(文中敬称略)

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