小説家を目指す人は年々増えているといいます。メルマガ『前田安正の「マジ文アカデミー」』著者で朝日新聞の校閲センター長を長く務め、ライティングセミナーを主宰する前田安正さんは、文章を書いていきたい人に向けて、村上春樹や寺山修司が高級ブランド店のような書き手であるなら、あなたは「コンビニの棚」を目指せばいいと語っています。
文章は「コンビニの棚」を目指せ!村上春樹は「文章で商売ができる」人だ
文章のプロを目指す人がどれだけいるのかは、わかりません。年々小説家を目指している人は増え、小説のコンテストの応募数も増加しているそうです。
小説家は、文章を使って商売をする人だと思います。これは、揶揄しているわけではなく、読者を獲得できる大きな技術を持っているということだと思うからです。ただこれは技術だけでは駄目なんですね。いまの社会やこれからの社会に潜んでいる問題を独自の視点で描くという「眼」が、より重要になります。
村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を読んだとき、この程度の話なら自分にも書ける、と思った人は結構多かったと思うのです。かく言う僕もそうでしたし、友人も同様の感想を持っていました。「絶対、こんな文章は書けない」という話は、失礼ながら聞いたことがなかったのです。
村上春樹は「文章で商売ができる」人だ
ところが、僕は「この人は商売人だ」と思ったのです。そのデビュー作から僕が当時思っていたモヤモヤしたやりきれない気持ちとか喪失感が、晩夏の夕暮れに吹く風のように心に響いたのです。グッと心をつかまれたのです。あっと言う間にファンにさせられたのです。
その後、次々発表される小説を読んでいくうちに、当初の「自分にも書ける」という感覚はどんどん遠のいていきました。これは、かなわない。絶対に太刀打ちできない。
作家としての成長速度が、速いのです。彼の方が先輩ですが、ほとんど同時代に生きて、同じような空気を吸っていたはずなのに、感覚がまるで違う。
むしろ同様の感覚を持ちながら生きているはずなのに、僕にはそこに沈潜する問題点を表現する術がありませんでした。書かれていることを「そう、そう、その通り」と、後追いしながら確認するしかありませんでした。
別に、小説家になろうと考えていたわけではありませんでした。文章を書くことが上手かったわけでもありません。ところが、同世代を引き込む感性や視点が僕にはない、という挫折感のようなものを味わったのです。
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別世界の住人としての寺山修司
高校時代に寺山修司にのめり込んでいた僕は、真剣に家出をしようと思っていました。それでも、寺山に対して挫折感を味わったこともないし、彼を商売人だと思ったことはなかったのです。年齢もかなり上だったし、短歌や詩や演劇という、端から挑戦することが難しいジャンルだったこともあったと思います。とても、真似できる世界ではなかったからです。スキャンダラスに当時の表現文化の先頭を走っていた寺山は、別世界の人だったのです。
ところが、村上は手が届きそうな錯覚を抱かせました。普段、静かに地道に働いている同僚が、突然羽化して見事に輝く羽を僕に見せつけ、大空に翔びだした感じだったのです。
紆余曲折を経て、僕は文章を書いたり直したりする仕事に就くことになりました。そのとき、商売として成り立つ作家の人たちと、仕事で文章を書かなくてはならない人たちとの違いを意識するのです。
「文章が上手くなりたい」という命題が目の前にあるとき、「なぜ文章が上手くなくてはならないのか」と、自問してしまうのです。
「上手く」という修飾語は「文章」にではなく「伝わる」に掛かるべきものだと思うのです。「文章が上手くなりたい」ではなく「文章が上手く伝わるようになりたい」ではないかと。
高級ブランド店の販売方法
村上や寺山が、東京・銀座にある高級ブランド店であれば、僕は激戦区で生き残るコンビニ店だと思うのです。
高級ブランド店は、入り口に黒服のガードが立っていて「一見客お断り」という姿勢を見せて、いまふうに言えば「敷居が高い」のです。1階に陳列しているものは、そのブランド店としては比較的安価なものを置いています。しかし、本当の狙いは、もっと高額な商品を限定された顧客に売ることです。
そこは、上の階に用意された個別ブースで、スタッフと話をしながら、顧客の希望に沿う商品をバックヤードから少しずつ見せていきます。そして、より高級な商品に誘います。最後に選ぶ商品までの課程が、ストーリーとして成立し、上質なエンターテインメントになっています。
文章を商売にする作家の仕事は、まさにこれです。最後の最後まで、読者を飽きさせない読ませる力が備わっています。
(メルマガ『前田安正の「マジ文アカデミー」』2023年6月5日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)
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