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School building and blue sky (educational image)

なぜ、大阪の一般市民までもが「高校完全無償化」に不安を抱くのか?

大阪府の吉村知事が実現を目指している高校授業料の完全無償化について、現在、多くの議論が交わされています。今回、メルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』の著者でジャーナリスト・作家として活躍中の宇田川敬介さんが、その新制度が打ち出された経緯を詳しく解説しながら、さまざまな立場の人たちの意見を紹介しています。

大阪府高校学費完全無償化の「不平等」

今回は「大阪府高校学費完全無償化の『不平等』」として日本維新の会に所属している大阪府の吉村知事が打ち出した「私学まで、所得制限なしの完全高校無償化」ということが、かえって不平等を生み出してしまう可能性があるということに関して、お話ししたいと思います。

大阪府の吉村知事が実現を目指す高校授業料の「完全無償化」。授業料が「タダ」になる幸せな制度に思えますが、今、実現に暗雲が立ち込めています。一体、何が起きているんでしょうか。

高校完全無償化の動き

そもそも高校の学費を無償化するというのは、2009年の麻生政権の時に民主党が、当時ねじれ国会で過半数を占めていた参議院に提出したものです。

当時の参議院では民主党のほうが多かったので、参議院では可決し、その後衆議院に送致されたのですが、その衆議院での審議の途中で、採決をしないまま当時の麻生太郎首相が解散したために、そのままになったのです。

当時を思い出していただいたらわかると思いますが、8月30日の選挙の結果、民主党が勝利し、自民党が敗北します。9月17日に民主党の鳩山由紀夫代表を首班とする内閣ができるのです。

このことによって、高校無償化法案は衆議院も通過し、2010年度から施行されることになったのです。

しかし、当然に高校を無償化するといっても簡単なものではなく、まずは私学に対して助成金的に一部を補填するのと公立高校に対して就学児童分の学費を補填するという形で、各家庭に対して出すものでもありませんでしたしまた、所得制限をつけることによって行ったのです。

それでも年間予算で3,900億円が必要であり、その財源として、民主党政権時に「1位じゃなきゃダメですか」で有名になった事業仕分けでその財源を確保しようとしていたのです。

一度無償化してしまった内容は、なかなか元に戻すことはできません。

結局、2014年に法案を改正しながらも、安倍政権時にも高校無償化をそのまま継続し、そのことによって財政が圧迫されていたのですが、無責任の野党の皆さんは「赤字国債反対」「消費税率を下げろ」(ちなみに消費税を10%にしたのは民主党の野田佳彦内閣です)などと自分たちの政策で肥大化した歳出の責任をまったくとらないどころか、他人事として批判しかしないということをしていたのです。

このようにして高校の無償化が一部で行われるようになっています。

これに対して本年、4月の統一地方選挙を機に、日本維新の会の吉村大阪知事は「所得制限などを撤廃した完全な高校無償化」を打ち出したのです。

しかし、これは「上限を年の学費60万円として、その上限を超えた分は学校が負担する」としてしまったので、私立学校側は「実質的に負担が増える」だけではなく「収入の権限を大阪府という地方自治体に握られてしまい、学校としての特徴や独自性を失いかねない事態になった」として反対することになったのです。

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大阪のテレビ番組では、この「高校完全無償化」の新制度案について賛成か反対か、事前にアンケートしてみたんですが結果はこうなりました…。賛成が38.1%、賛成だがもっといい案があるが32.3%。反対が29.6%という結果になりました、と報道しています。

高校授業料「完全無償化」 吉村知事と私立高校校長が授業料の負担めぐり“直接対決”!【大阪発】

そして反対意見として、私立高校の校長先生がやってきて

「ラーメン屋の経営に例えます。1杯500円のラーメンを売って、行列ができる店になりました。ところが、ある日役所がやって来て『明日から300円で売ってください』と言われたら、どうなるでしょうか?上にのっているトッピングを削ったり、アルバイトの人を減らしたりしないといけない。学校の現場でも同じようなことが起こる。ただし、器を小さくして解決できないんです。目の前にある教育を小さくすることが教育の現場ではできないので、いま慌てて知事にお願いしているのです」

と発言するようになったのです。

実際に「一人当たり60万円」となると、それによって教育の規模が決定されてしまい、高校で行うことも決まってしまうことになります。

大学ではないですから、社会人にとって最終学歴となるものではありませんので、それほどの寄付金が集まるものではありませんし、当然に規模が少なくなるという懸念は出てくるのではないでしょうか。

同時に、そのようになった場合は、当然に高校としては人件費を削ることになりますから、優秀な高校教員はすべてほかの学校にに逃げてしまうということになり、当然に、大阪の私立高校の教育の質は大幅に下がるということになるのです。

同テレビ番組では、一般の人の言葉として(もちろん仕組んでいるものもあると思いますが)

「同じ高校に通う中でも、大阪の人は無償化だけれども、奈良の人はお金払うっていうことになるんですか?それは不公平だと思います。やるんであれば例えば近畿ですとか、もっと幅広く全国でやってもらった方が不公平はなくなると思います」

「完全無償化については、保護者にとっては本当にありがたい制度だとは思っているんですけれども、それが学校側の経営負担になったりすること=最終的に子供たちへの負担だったり、のしかかってくるのではないかという不安が…保護者として大きな懸念があります。多少の金額を払ってでも、その学校の特色あるいい教育をさせてやりたいっていう気持ちはあります」

というような声が聞かれている。

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本来は多様性の時代に合わせた高校教育の改革が必要

現在は少なくともインターネットの時代であり、「Z世代」といわれる個性を重視する世代になってきている状況の中で、「多様性」を重視した時代に合わせた教育を行い、その中でその高校教育にあった「行政の支援の方法」を考えるべきであり、単純に家計補助、またはばらまき政策的に経済政策だけを行い、高校教育に関する改革を行ったとすることは政策として問題があるといわざるを得ないのではないでしょうか。

そもそも学問の自由とは、「教育を受ける義務」を終わった後の学問に対して「自由」つまり「自己責任と自分の向学心」によって学ぶことであり、当該内容の自由や自己責任を学ぶ機会を失っていると同時に、上記にあるような「高校教育を受けない自由を迫害している」状態になっているのではないかと思います。

本来は、多様性に合わせた就学の形を考え、それに合わせて学問をしたい人には学問を、そうではなく進学をしない選択をした人も、その選択によって不利な扱いを受けないような社会を作り出すことこそが政治の役割ではないかと考えられるものであり、その多様性ということへの観点が欠如し、家計と国際的な横並び意識に従った安易な政策としか言いようがないのです。

そもそも、高校教育の過程において生成型AIの導入などほかにもやらなければならない教育改革は少なくなく、そのことをしっかりと考えるべきであり、高校無償化は、「未来という単語を使った現在の親世代の票の取り込み」にしか見えないというのは言い過ぎでしょうか。

(メルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』2023年7月10日号より一部抜粋。続きはご登録の上、お楽しみください。初月無料です)

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image by: Shutterstock.com

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