私たちの身近なマスメディアといえばテレビが一番に思い浮かびます。しかし、今も昔も「テレビ局には偽善が多い」と語るのは、精神科医の和田秀樹さん。今回のメルマガ『和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」』では、テレビが 偽善だと感じる理由について具体的な例を挙げながら詳しく語っています。
テレビ局の許しがたい偽善
テレビの偽善というと、またまたあおり車を報じていて、地域住民が恐怖を感じているというインタビューをいくつも取りながら、相変わらず、そのあおり車の映像では、ナンバーを隠していた。
タクシー強盗のドライブレコーダーの映像でも犯人(いくらなんでも映像が捏造ではないだろう)の顔にはモザイクがかかる。
そのくせ、警察が逮捕すれば、すぐに実名で報道し、モザイクも消える。
市民の立場からすれば、逮捕される前のほうがよほど、そういう人間の顔やナンバーを知りたいし、そのほうが安全が守られる。逮捕されてからであれば、そういうものを知っても興味レベルの話だ。
加害者の人権を守るというのなら、逮捕されても推定無罪なのだから、モザイクもかけるべきだし、実名報道も避けるべきだろう。
要するに、テレビ局は警察に忠誠を尽くすことを示したいのだろう。
いくら冤罪が出ても平気だ。
取材費を浮かして、社員の年収1,500万円を守るためになら、警察の言いなりになるしかない。警察から情報をもらわないと事件報道ができないのだ。
そして、警察に都合のいい情報を流し続ける。
そしてゲスト解説者も、昔なら鬼塚八兵衛さんのように、ものすごい捜査の実績のある人間が出ていたが、今は、なんで警察をやめたのかわからないし、現在の肩書もわからないが、警察のヨイショばかりしている警察のOBが選ばれる。
こんなに犯罪が増えても、まじめに捜査をしないで交通取り締まりばかりやっていても絶対に批判しない。
この記事の著者・和田秀樹さんのメルマガ
きわめつけは刑事ドラマの乱造だ。
実際には、事件やストーカー被害などで、警察に被害を訴えても、平気で門前払いを食わせるのに、刑事ドラマをみていると、警察がものすごく働いているように見える。
そこまでして警察の機嫌を取りたいのかとあきれてしまう。
昔は、警察の腐敗などを描くこともあったが、今はそういうドラマは皆無だ。
テレビがこんな状況だと、半永久的に治安は回復しない。
ついでにいうと、警察が渋滞解消のためにセンターラインを昼と夜で変えるような工夫をしている珍しい事例があるかと思ったら、ちょっと逆走を見つけては大批判だ。実際には重大事故は起きていないようなのに、危ないというだけで。
いいことをすると批判し、ロクに働かないとほめる。こいつらのセンスはなんだ?
テレビで報道されるような事件だけ一生懸命捜査する警察のことだから、またこのセンターラインもあわててもとに戻すだろう。また渋滞が起こって住民の肺がんが増えることだろう。
せめてもの救いは、若者が(どころか、40代くらいまでの人もそうらしい)テレビをみなくなったことだ。
それでも広告代理店は、二世のボンボンが多い、企業の宣伝部長たちをだまし続けているようだし、彼らも騙され続けているようだが。
※本記事は有料メルマガ『和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」』2023年7月8日号の一部抜粋です。
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