9月に行われた内閣改造・党役員人事で、女性初となる選対委員長に就任した小渕優子氏。小渕氏といえば2014年、「ドリル優子」なる不本意な別称の元となった政治資金問題で経産相を辞任した過去がありますが、なぜ岸田首相は彼女を抜擢したのでしょうか。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、来秋の総裁選を強く意識した首相の狙いを考察。併せて党内で小渕氏を後押しする勢力が存在する理由を解説しています。
ドリル優子を選対委員長に抜擢した増税クソメガネの深慮遠謀
なぜわざわざ、公明党の山口代表は、こんなことを記者に発表するのだろうか。新しい自民党選挙対策委員長、小渕優子氏に関してである。
公明党の山口那津男代表は29日、自民党の小渕優子選対委員長から、経済産業相辞任に至った過去の「政治とカネ」問題について説明を受けたと記者団に明らかにした。「説明を尽くす姿勢を強く感じた。『大きな立場で政治家として頑張ってほしい』と伝えた」とも語った。(共同通信)
山口氏が9月24日放送のBS朝日番組で「説明責任が十分ではない」と指摘したことを受け、小渕氏から説明したいと申し入れがあったというが、「説明責任」とは山口氏に対して説明が足りないという意味だったのだろうか。まさかそうではあるまい。
元秘書が政治資金規正法違反で有罪判決を受けるなどした「政治とカネ」問題。2015年に地元で記者会見を開き説明責任を果たしたと小渕氏は主張する。しかし、まだまだ不明な点が数多いからこそ、選対委員長就任と同時にメディアから問題が蒸し返されているのだ。本来なら山口代表は「私に説明に来るのではなく、あらためて記者会見して説明を尽くしたらどうか」とアドバイスするべきではなかったか。
ともあれ山口氏は、自分の発言に敏感に反応し、低姿勢で説明しにやってきた自民党の新選対委員長について、憎からず思ったに違いない。
公明党は、昨年来、茂木自民党幹事長と選挙協力などをめぐってぎくしゃくした関係が続いている。それだけに、小渕選対委員長とはうまくやりたいという考えが強いはずだ。
むろん、茂木、小渕両氏が所属する派閥「茂木派」(平成研究会)の内部事情もあるていど分かっているだろう。かつて、この派閥は、田中派、竹下派の時代に100人をこえる規模を有し、「一致結束箱弁当」と言われるほど、鉄の結束を誇っていた。今は、茂木氏が会長ではあるが、必ずしも一枚岩とはいえない。小渕氏を総理候補として担ぎあげようとする動きも派内にはあるのだ。
今年6月に89歳で亡くなった“参院のドン”青木幹雄氏は、小渕氏を総理にすることが悲願だった。その一方で、茂木氏のことは毛嫌いしていた。それは、今年7月9日に地元・島根県で行われた青木氏の葬儀に、茂木氏が招待されていなかったことでもわかる。青木氏は生前、「茂木から献花を受け取るな」と側近に話していたという。茂木氏が安倍元首相ひとすじに付き従っていたのも気に入らなかったのだろう。
青木氏は引退後も平成研に隠然たる影響力を維持し、吉田博美参院幹事長(2019年没)の背後で権勢をふるった。2018年9月の総裁選では、派内の衆院議員の多数が安倍晋三氏を支持したのに、参院側は青木氏の意思で石破茂氏の支援にまわった。派内で衆参の分裂行動が目立ったのは、参院をまとめる青木氏や吉田氏の力が働いていたからだ。
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「茂木の野望」に楔を打ち込んだ首相の人事
その二人が亡くなったことは、茂木氏にとって有利に働くはずだった。党のカネと公認権を握る幹事長の特権をフルに活用し、派内をまとめあげて、総理の座に邁進できる環境が整うかと思われた。そこに楔を打ち込んだのが、党4役に小渕氏を入れる岸田首相の人事だった。
茂木氏については幹事長交代を求める声も党内で出ていた。おそらく、公明党とのパイプが太い菅元首相や二階元幹事長らの周辺からだろう。しかし、麻生副総裁の意向を尊重し、岸田首相は茂木氏を幹事長に据え置いた。むろん、岸田首相には、来秋の総裁選への茂木氏の出馬を封じるという思惑があっただろう。
だがそれだけではない。党4役のうち二つのポストを同じ派閥の茂木氏と小渕氏に担わせることにより、茂木派のなかに、青木氏亡き後も小渕支持勢力を温存することを狙ったのだ。それは、派内をまとめようとする茂木氏の力を削ぐことになる。
小渕優子氏には、党の長老たちをして、庇護したいと思わせる雰囲気がある。選対委員長に就任した後、9月13日の記者会見で「政治とカネ」の問題を問われ、「心に反省を持ち、決して忘れることのない傷として歩みを進めていきたい」と涙声で語った。将来の総理候補としては「弱さ」の際立つシーンだったが、むしろこれこそが小渕優子という政治家の真骨頂かもしれない。
小渕氏の党4役入りを強く後押ししたのが、青木氏を早大弁論部以来の先輩として慕ってきた森喜朗元首相だ。
二人にとって、小渕氏の父、小渕恵三元首相は特別な意味を持つ人である。2000年4月2日、小渕首相が脳梗塞で倒れ昏睡状態に陥ると、官房長官だった青木氏が総理の意思だとして首相臨時代理となり、野中広務氏、亀井静香氏、村上正邦氏、森喜朗氏との密室談合で、森氏を首相に指名した。
父の死後、小渕優子氏はつとめていたTBSを退社し、2000年6月の衆院選挙に出馬し、当選した。もちろん、父が政治団体に残した相続税不要の潤沢な資金を受け継ぎ、恵まれたスタートだったが、有力支援者や秘書にカネの出し入れを任せっぱなしにした甘さが、2014年に発覚した政治資金事件につながった。
義理人情に厚い青木氏は、小渕元首相への思いをその愛娘に重ね、派閥のなかで大切に守り育ててきた。そのかいあって経産相までのぼりつめ、小渕派としての平成研の復活も遠くないと思われた矢先の事件発覚だった。経産相を辞任し、その後、雌伏して時の至るを待っていた小渕氏を青木氏は静かに見守ってきた。そして、森氏に「小渕優子を頼む」と言い残してこの世を去った。
葬儀のさい、森氏は「青木さんの心残りは、小渕さんのお嬢さんのことと思います。あなたの夢、希望が叶うように、最大限の努力をする」と遺影に語りかけた。青木氏に代わり小渕氏の“後見人”となった森氏が、岸田首相に小渕氏の要職起用を働きかけたのは言うまでもない。
岸田首相もまた、小渕氏に目をかけてきた。女性の登用で政権浮揚をはかりたいからでもある。岸田首相は、森・青木コンビと定期的に会食していたが、そこには必ず小渕氏が同席していた。今年3月に韓国の尹錫悦大統領と菅義偉前首相が都内で会談したさい、小渕氏を同席させたのも岸田首相の要請によるものだった。
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人当たりがよく酒豪でもある小渕氏の「主戦場」
人当たりがいい、というのが大方の小渕評である。なおかつ、酒豪でもあるらしい。ご老体たちの話を素直に聞きながら、自分の意見はちゃんと通す。そのとき「弱さ」は強靭さ、したたかさに変わる。酒席こそが小渕氏の主戦場かもしれない。
小渕氏の最近の活動は目を見張るものがあった。党の組織運動本部長として、今春の統一地方選や衆参補選では応援弁士に引っ張りだこだったし、「超党派カーボンニュートラルを実現する会」などの超党派議連のトップにも迎えられ、党内で急速に人気が高まりつつあった。
そんななかでの選対委員長就任が、政治資金問題再燃のきっかけになり、もがき苦しんでいるのは確かであろう。だが一方で、それも想定の範囲内という見方もできる。ひょっとしたら小渕氏は、この一時の苦境を耐え忍び、メディアが静まれば「禊を済ませた」ことになると、高をくくっているのではないだろうか。
冒頭の記事のように、公明党の山口代表は「大きな立場で政治家として頑張ってほしい」と小渕氏に語っている。総理をめざせと激励しているように聞こえる。茂木幹事長としては、あまり気分のいい発言ではないだろう。
岸田首相が、木原誠二氏を内閣官房副長官から外し、自民党幹事長代理と政調会長特別補佐を兼務させることにした人事についても、茂木氏には不満があるに違いない。岸田首相の“軍師”を送り込まれたのである。官邸との連絡役を得たというより、党内での動きを監視されるという思いのほうが強いのではないか。
それでも、自民党幹事長というポストには、はかりしれない魅力がある。交代説がささやかれるなか、その座に居続けることを許してくれた岸田首相への恩義を忘れるわけにはいかないだろう。来秋の総裁選の方策で頭がいっぱいの岸田首相にしてみれば、少なくとも茂木氏に関する限り、謀反の気を起こさないよう、押さえ込みの体勢を整えたといえるかもしれない。
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