昔からよく言われる永遠のテーマに「男女間の友情は成立するのか?」というものがあります。今回のメルマガ『施術家・吉田正幸の「ストレス・スルー術」』で、著者の吉田さんが、この難しいテーマについて持論を述べています。
男女間の友情は成立するのだろうか?
映画&ドラマの濡れ場シーン、Z世代の約半数が「必要ない」というニュースが目に入った。米調査によるもので、シネマトゥデイが報じている。
アメリカのZ世代の多くが、映画やドラマに登場する濡れ場のシーンについて「必要ない」と考えていることが、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の調査で明らかになったらしい。
Z世代の心理が気になった。セクシャリティのある「濡れ場」のシーンが必要ない、ということは一体どういう意味なのだろう。よく読んでみると・・・
UCLAは今年8月、10歳から24歳の若者1,500名を対象に「Teens and Screens」と題して調査を実施。そのうち、47.5%が「だいたいの映画やドラマシリーズのプロットにおいて濡れ場は必要ない」、44.3%が「メディアにおけるロマンスは乱用されている」と回答したという。
約半数が濡れ場シーンについて、否定的な考えを抱いていることが判明したそうだ。
最近ではドラマ「ユーフォリア/EUPHORIA」「THE IDOL/ジ・アイドル」など、ティーンエイジャーに焦点を当てた作品で、度々濡れ場のシーンが登場している。
特にU-NEXTで配信されていた「THE IDOL/ジ・アイドル」はその過激な性描写で物議を醸した。その後1シーズン限りで打ち切りになってしまった。
調査では、肉体関係を持つ人物より、アロマンティック(他人に恋愛感情を感じない、恋愛指向が他人に向かない人)もしくはアセクシュアル(他者に対して性的魅力を感じない)なキャラクターをもっと登場させてほしいという声が、全体の39%にのぼったという。
他人に恋愛感情を感じない、他人に性的魅力を感じないキャラクターをもっと登場させてほしい・・・これは一体、どういうことなのだろう?
「Teens and Screens」共同著者のヤルダ・T・ウルス助教授は、「思春期の若者は映画やテレビにおいて露骨な濡れ場が必要ないと思っていることは事実。この調査が示すのは、彼らが日常的に使うメディアを反映したさまざま形の関係を求めていることです」と報告しているというのだ。
要は、「多様性」を前面に出せ、ということなのか。
自分は昭和世代である。小学校から中学くらいまでは家族全員で一台のテレビを観ていた。
映画やドラマで「濡れ場」が出てくると、恥ずかしい話、父や母をしり目にとても気まずいムードになってその場から離れたくなったこともある。昭和世代であれば一家に一台のテレビを家族全員で観ることは当たり前の世代だったのだ。
多様性なんて意識しない。日本人はこうあるべきだという明治時代からの継承がまだ薄く残っている、そんな時代だった。
しかし、今から思えばそんな大した「濡れ場」でもなかったように記憶しているが、なんせ非情報化社会だったので目に入ってくるものは思春期ならばすべて刺激的に感じてしまうのも昭和世代。ビニ本なんてあったよね(笑)。
現在は超情報化時代。家族全員がそれぞれ端末を持ち、自分の好きなものを自分一人でいくらでも、好きなだけ観られる時代になった。お互いに強要することも無く、観たくないものはみなくてもいい。その反面、同じモノを観て感動・感想を共有することも少なくなった。
映画『ハリー・ポッター』シリーズのハーマイオニーとして子役時代から活躍していたエマ・ワトソンが、メディアによってセクシャライズされることにとてもイライラすると胸中を明かしたという。
恋人を救い出すために危険な賭けに出るヒロインをエマが演じている新作映画『コロニア』(日本公開9月17日)の予告編が公開されると、その中に含まれていたベッドシーンばかりを大きく取り上げるメディアが多かったことに対してエマが苦言を呈したというのだ。
The Independent によると、「たいしていやらしくない3秒くらいのヌードが映っているだけなのに……(メディアが大きく報じるのは)とても腹立たしいわ」とエマはコメントしたそうだ。
そして、「私は今26歳なのよ。すでに15本の映画に出演していて、誰かにキスしたりすることくらいいやらしいことでも、ぞっとするようなことでもないと思うわ。でも、これからもきっとこの状況は続いていくのだとも思うわ」と語っている。
ということは、「そんな別にたいしたことではないのにメディアが過剰に取り上げていること」にイライラしているということなのだろうか。
そもそも、アロマンティックとは「他人に恋愛感情を持たない人、またその指向」をさす名称である。単語そのものは「恋愛的に惹かれない(ほとんど惹かれない)」という意味だが、現在は前者を示すことが多いらしい。
アロマンティックが生まれたのは、ここ最近の話だとすっかり思っていたが、そうでもないらしい。しかし実際には1879年に「性愛」と「恋愛」を分ける考えが提唱されており、概念そのものの歴史は長いという。
100年後の1979年には「non-limerent(ノン・リメラント、ロマンティックな魅力に対する感情の起伏がない)」という考えも誕生していたというのだから、少し驚いた。
ただ近年の、この定義の基礎は、2000年から2005年頃に普及しはじめたらしい。きっかけは1990年代から見られるようになったLGBT運動である。なるほど。多様性の走りだね。
LGBT運動は性的マイノリティへの理解と受け入れを求める運動だ。性的マイノリティへの理解が広がるとともに、前述のノン・リメラントの概念も広く知られはじめたという。
LGBT運動が続くなか、個人のセクシャリティを分ける「Split Attraction Model(SAM、スプリット・アトラクション・モデル)」が定着し、分類のひとつの「アセクシャル」に注目が集まったということ。
アセクシャルとは「他人に性的に惹かれない(性的欲求を抱かない)」人をさす。
しかしアセクシャルの定義について議論が進むにつれ、「性的指向」と「恋愛指向」は区別されるべきではないのかという見方が増えた。
アロマンティックはあくまで「他人に恋愛感情を持たない」が概念である。
アセクシャルのように性的感情を持たないという概念ではない。
なかには他人と性的な交流を求めるアロマンティックもいて、最終的に両者は区別され、「アロマンティック」が生まれたということなのだ。少しややこしい。
アロマンティック、アセクシャルのセクシャリティを持つキャラクターが登場する作品も各メディアで増加中、日本でもNHKでドラマ「恋せぬふたり」が放送され、アロマンティック、アセクシャルへの認知と理解を生む一助を果たした。
そして、同作品は高い評価を受け、日本国内で各賞を受賞している。超情報化時代の男女感に共鳴している証拠なのだろう。
「恋せぬふたり」を簡単に要約すると、アロマンティック・アセクシャルの2人が家族(仮)になって生活する話だ。恋愛しない、性的に惹かれない人たちが味方を得るのはこんなにも難しいのか…と思わせられる。
恋愛して、結婚して、子供ができて、というのが普通というわけではない。
今まで見過ごされてきた性の多様性が認められるようになってきたけれど、どこか他人事で、実際に自認している当事者にカミングアウトされることはほとんどないのかもしれない。
周りの人が自分と同じだと端から決めつけないで接していくことが求められていることを知るきっかけとなった。
そう、「多様性」が色濃くなってきたからこそ、「個性」の輝きも増してきた。あなたはあなたのままで、自分は自分のまま、ということだ。
そして、最近オンエアされた、『いちばんすきな花』というドラマもそんな感じだ。このドラマは前評判が良かったこともあって初回から観ていた。2023年10月12日からフジテレビ系「木曜劇場」枠にて放送中のテレビドラマである。
主演は多部未華子、松下洸平、今田美桜、神尾楓珠。これがまたベストキャスティングでそれぞれの世界観と個性が存分に発揮されて多様性の中でうごめき始める。
本作は、4人の俳優が主演を務める「クアトロ主演」ドラマで、「男女の間に友情は成立するのか」をテーマに、違う人生を歩んできた4人の男女が紡ぎ出す「友情」と「恋愛」、そしてそこで生まれるそのどちらとも違う「感情」を描いている。
このような現在の価値観、趣向、考え方は映画・ドラマにあぶりだされる。求めている人が多いからヒットする。
自分は男と女の友情というものは、長い時間成立し続けていくことなど不可能に近いと思っている。
しかし、他人に興味がないという人がとても増えて来たとココ4~5年ほど強く感じるようになった。人を相手にする僕のような仕事はダイレクトに流行り廃りの心理状態も観賞できるので面白い。
「自分以外の人に興味がない」という人は、周りへ関心を向けることが少ないので、周りに対して興味がわく人と比較すると、人を好きになったり恋愛感情を抱いたりする機会が少なくなるのだろう──(『施術家・吉田正幸の「ストレス・スルー術」』2023年10月28日号より一部抜粋)
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