最近の家事系・家族系マンガにありがちなパターンに、トラブル解決法として「価値観の違う人と出会ったら、それを尊重する」というものが多いようです。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では、著者の真井花さんが、そんな本に出てくる解決法では「不干渉」なだけで、数年後には誰も友達がいなくなりますよ、とアドバイス。その理由とともに、どうすれば良いかのヒントをあげています。
違う価値観や意見を持つ人に出逢った場合にどうするか?「不干渉を超えて」
さて、本日はかなり薄くなっているもののお話。
家事系・家族系のマンガや小説をよくリサーチしているんですが、最近ほんとによく出てくるようになったパターンがあります。
主人公(大抵既婚女性)が、ママ友や義理親、PTAの同僚などと出逢ってトラブルや揉め事に巻き込まれていくんです。
で、このトラブルの解決の仕方っていうのが、すべて同じなんですよ。違う価値観や意見を持つ人に出逢った場合、
それを『尊重』する
というものです。まあ、この真意がやや問題なわけで、翻訳すると
最低限の付き合いしかしなくなる
なんですが(*゚∀゚*)
接触はあいさつや事務伝達などだけで、まあ、当然ですが悩みを相談することもないし、困った時に助け合うこともない。
自分とは相容れない価値観なので、そこには踏み込まない。
ここで言う『尊重』は
衝突を恐れた不干渉
ということのようなんですね。
まあ、そもそも『全く違う価値観』っていうのが
ホントなのかねえ
という気もするんですよね。
同じ民族で似たような場所に住んでて宗教もそれほど違わず教育格差もひどくない。なのに、そこまで価値観が違うとは思えない。
そりゃ、ママ友も義理親もPTAの同僚も、
自分と違う部分は当然ある
はずですよね。なにせ他人ですから。でも、そこに目くじら立ててたら、移民とか多様性とか全然無理だと思うんだけどね。
尊重という美名に隠れた、自分の価値観以外受け付けない
排他的な考え
に思えるんですけどね。
尊重するといいつつ、フェードアウトする。
これが最近のトラブル解消方法らしいというところまででしたね。
正直なところ、この当否について論じても仕方がないと思っています。社会は良し悪しを超えて、かつてとは別のところに動いていくものだからです。
ただ、この解決方法の行き先は想像がつく気がします。
『価値観』自体が狭いと当然トラブルが増える
ことになりますよね。なので、まずトラブルになった場合、自分の『価値観』を疑ってみた方がイイかもしれないですよ。
これがフツーじゃないのか?
相手がこう振る舞うのには理由があるのでは?
自分も別のシーンでは同じような振る舞いをするのでは?
など。誰しも自分の考えは社会のスタンダード、常識的な考えだと思い上がっているものです(*゚∀゚*) そんなことあるわけないのにね。
相手も大人なら、ソレナリの合理的な思考回路をしているはずでその合理性を慮ってみるようにしましょう。
もちろん、ヘンなメンヘラやモンスターは論外ですよ。合理性の欠片もないような人もいますが、それは完全に対象外です。
その上で
『尊重』とは不干渉にすぎないのではないか
と自問した方がいいと思います。
メンヘラやモンスターは論外ですが、自分の価値観と少しでも違う相手に『尊重』してしまうと、数年後には
ほどんど誰も友達じゃない・・・
状態になるはずです。他人は自分とは違うものだからです。
些末な違いは、不干渉で回避するのではなく、受け流して少し馴染むくらいにしてあげた方が双方にとって付き合いやすいのではないでしょうか。
最近の家事・家庭系のマンガを見ていると、とにかくこの点が
極端( ̄∇ ̄:)
ですね。
まあ、マンガなので、脚色もしているんでしょうが、相手はだいたい前時代的だったり図々しかったりしていて、主人公は何も言わずに堪え忍び、ある時ブチ切れてちゃぶ台クラッシュ。あるいは、ヒドく
キツい言い方で離婚か絶縁を突きつける。で、すったもんだの挙句『尊重』。
こんなやり方じゃ、ホントに数年後には
誰も友達じゃない・・・
になるんじゃないでしょうか。
大切なのは、自分と価値観の合う人を捜し求めることじゃなく価値観の違いを
解り合って受け流し馴染ませ合える
ことなんじゃないでしょうか。『尊重』とかいう美名のもとに狭量な考えで他人の価値観を否定し、不干渉に陥らないようにしたいものですね。
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