ある事故でチームメンバーを失ってしまった東京都立小山台高校野球部。今回、メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、同校野球部監督の福嶋正信さんがその当時の悲しみと、その後に起きた感動のエピソードを紹介しています。
感動秘話「エブリ デイ マイ ラスト」福嶋正信(東京都立小山台高等学校野球部監督)
忘れもしない、あの事故が起こったのは、私が野球班(部)監督として東京都立小山台高校に赴任し、2年ほど経った2006年6月3日のことでした。
「福嶋先生、夏の大会も1か月に迫ったので新しいバットを買いに行きたいのですが、大輔も連れていっていいですか?」。
市川大輔は、当時2年生唯一のレギュラー。
派手さはないけれど、何事にもコツコツと一所懸命に取り組む、誰からも信頼される選手でした。
私は、「いいぞ、大輔も先輩といっしょに行ってこいよ」と、練習が終わった後に、子供たちを近くのスポーツ店に送り出したのです。
しかし、それが大輔との今生の別れになるとは、夢にも思いませんでした。
皆で購入したバットを手に帰宅の途に就いた大輔は、自宅マンションに設置されていたシンドラー社製のエレベーターに挟まれる事故に遭い、帰らぬ人となったのです。
大輔は手にバットを握り締めたまま亡くなっていたといいます。
あの時、大輔を買いに行かせなかったなら……。
事故後、私も生徒たちも、大輔のことが悔しくて、悲しくて、大粒の涙が止めどなく溢れ、練習することさえままなりませんでした。
そんな私たちに、再び前を向いて一歩を踏み出す力を与えてくれたのが、大輔のお母さんから届いた、
「皆さん、悲しい顔で練習をしていたら大輔が泣きます。だから笑顔で練習してくださいね」
というお手紙。
そして大輔が野球日誌に書き残した次のような言葉の数々でした。
「当たり前のことを当たり前にやる。でもそれが難しい」
「一分一秒を悔いのないように生きる。精いっぱい生きる」
「エブリ デイ マイ ラスト」。
泣いていてはいけない、大輔のためにも笑顔でプレーしよう、毎日を精いっぱい生き、絶対に甲子園にいこう──。
小山台は都内有数の進学校で練習スペースも時間も限られており、甲子園はおろか上位進出さえ難しいのが現実でしたが、大輔の事故をきっかけにしてチームとしての絆が深まり、必死に練習に励むようになったのです。
私もまた、大輔が遺した言葉をもとに、「日常生活に野球の練習がある」「何事もコツコツ努力する先に光があるんだ」と、選手たちに心の持ち様や、日常の基本姿勢の大切さを、以前にも増して強調するようになりました。
そのような“大輔のために”という私たちの思いが、天国の大輔に届いたのでしょうか。
事故から4か月後に行われた千葉経大附高との試合中、ベンチに座っていると一匹の赤トンボが私の膝に止まり、じっと動こうとしません。
私はハッとして、思わず「大輔か?」と手を伸ばすと、赤トンボは私の指にしっかり止まったのでした。
さらに指から離れていった赤トンボに「おい、大輔!」と呼び掛けると、またぴゅーっとベンチに舞い戻ってくる。
その瞬間、私も選手たちも涙が溢れて止まらなくなりました。
奇しくも大輔が最初に活躍してレギュラーを勝ち取ったのがこの千葉経大附高のグラウンド。
大輔は赤トンボに姿を変え、私たちのもとに戻ってきたのです。
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