都市部ではコンビニや飲食店などに外国人の店員さんがいるのが当たり前になっています。当然、外国人と一緒に働いたことのある日本人も非常に増えていて、コミュニケーションに困ることもあるようです。人材サービス会社が実施した調査結果を伝えるのは、メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』著者で、生きづらさを抱える人たちの支援に取り組む引地達也さん。「偏見を解消させるのは“接触”である」とする社会心理学者の説を裏付けるかのように、多くの人が外国人と働いて「困った」経験を前向きに捉えていると紹介。多様化社会に向けて何が必要か、自身の考えを述べています。
外国人と働いて「困った」からどう転回するか
人材総合サービス会社「スタッフサービス・ホールディングス」は3月、日本で外国人と働く(働いたことのある)人の半数近くでコミュニケーションに困った経験があるとの調査結果を発表した。調査対象は全国の20歳~69歳の男女で「外国人と一緒に働いている」「働いたことのある」人。
働いたことのある外国人の1位は中国、2位はベトナム、3位はフィリピンで、外国人雇用の背景には、人員の確保があるようで、雇用の理由を「人手が足りない」が1位(39.6%)、続いて「出身国は問わず人材採用をしている」が26.0%だった。
外国人の雇用は多様化社会に向けた能動的な行為というよりは社会情勢に押されるように進んでいる様相ではあるが、調査全体を見ると、明るい兆しが見えてくる。それは、一緒に働く人がコミュニケーションに困る場面に出会いながらも、概ね前向きにそれを乗り越えようとしている様子だ。そこには多様化社会に向けての希望でもある。
調査によると、職場では、日本語の「会話」や「読み書き」とともに高いレベルの日本語を求めているが、万全とはいかない。それを補おうという職場での外国人の日本語を学べる制度・機会は少ない現状も浮き彫りになった。
上記の困ったコミュニケーションとは、「言葉の問題」、「日本語力不足」、「日本のビジネスマナー・商習慣の知識不足」という。とはいえ、日本人側は「分けへだてなく接すること」、「平易な日本語で話すこと、書くこと」、「あいまいな表現を避け、具体的に伝えること」に気を付けていて、一定の配慮を心がけようとする努力がうかがえる。
「雇用して良かった点」「一緒に働いて良かった点」は、「人手不足の解消」だけでなく、「多様性を感じられたこと」との回答があるから、全体的に前向きの様子だ。
外国人が働く場において摩擦は付き物。文化的差異や宗教、言葉の違いによるコミュニケーションの障壁を乗り越えようとするには、寛容さや歩み寄りという能動的な行為が必要である。それを面倒がると外国人を他者として排除するポジションをかたくなにしてしまうことになる。
偏見の定義で有名な社会心理学者のオルポートの偏見の解消は「接触」であるとの論に従えば、外国人雇用で「困った」という接触が偏見の解消となり、それが多様性を目指す道しるべになるとも考えられる。
この記事の著者・引地達也さんのメルマガ
日本の外国人の労働者は限定的な制度により制限されていることで、いまだに「受け入れるかどうか」の判断に依っているところは過渡期の最中だ。同社では、「今後も外国人を活用したい」と答えた人が管理職クラスでは8割以上、「今後も外国人と一緒に働きたい」と答えた一般社員クラスの人も8割弱という結果から、「多くの人が外国人と一緒に働くことを前向きに捉えていることがわかりました」と総括している。
インドの人、中国の人、韓国の人と話すときに、その違いは当然であるが、歩み寄りをしなければ相互理解は進まない。「日本にいるから日本に従え」は乱暴な考えであるとの自覚も再度必要だ。当然ながら法の下では、日本にいることで日本の法令を遵守しなければならないが、それとコミュニケーションは別次元の相互作用である。そして、この領域では豊かな交流が生まれ、そして日常化している。
代表的なのはスポーツ。サッカーやバスケットボール、ラグビー等のチームスポーツにおける日本代表も日本人がルーツではない選手の活躍が目立ち、日本というひとつの枠組みによるひとつのチームとして機能する様子はここ数年の顕著な「外国人」への認識や様相の変化につながっている。
いつの間にか在日コリアンは社会に浸透してきたし、コリアンの文化の違いを奇異の目で見ることも少なくなってきた。文化交流というソフトパワーで、残る障壁を乗り越えられる社会でありたいと思う。
この記事の著者・引地達也さんのメルマガ
image by: Sabrina Bracher / shutterstock.com