2000年代初頭にマーリン・マン氏により提唱された「インボックス・ゼロ」なるコンセプト。その名の通りメーラーの受診トレイにメールを溜め込まずゼロにするというライフハックですが、囚われすぎには注意が必要のようです。今回のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』では文筆家の倉下忠憲さんが、「インボックス・ゼロ」がそもそも何を唱えているかを解説。さらに倉下さん自身が犯した過ちを具体的に紹介しつつ、「インボックス・ゼロの呪縛」からの解放を提起しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:インボックス・ゼロの呪い
待っているのは破綻。“インボックス・ゼロ”の呪い
“インボックス・ゼロ”というコンセプトをご存知でしょうか。
Merlin Mannが提唱した手法で、名前の通りインボックス(受信箱)にメールを溜めておかない状態を目指します。
たとえば、メールを読んで即座に反応できるものは反応する。明確なタスクが抽出できるならタスクリストに転記する。詳しく読み込まないと対処できないものは「あとで読む」というラベルをつけてインボックスから移動させる。
そのようにインボックスにあるメールに何かしらの対処をしておこう、というのがインボックス・ゼロの基本的な考え方になります。逆に言えば、通常のインボックスはそのような対処が為されず、なんとなく放置されたままのメールがたくさんある、ということでしょう。
そのような状態が、精神衛生上よろしくないということは容易に想像できます。
- 未処理の案件が残っているのでインボックスの中身がつい気になってしまう
- インボックスはリストではないので操作ができない
- 常に新しいメールが入ってくるのでオープンな状態になってしまっている
そうなると、五分に一回メーラーを開くけども、結局適当にメールを開いただけで何もせずに終わり、再び五分後にメーラーを開く、みたいな状況に陥ってしまうわけです。
それを変えよう、というのがインボックス・ゼロが目指すところです。
■あくまで「インボックス」をゼロにすること
注目したいのは、このインボックス・ゼロはあくまで「インボックス」をゼロにすることであって、すべてのメールをゼロ(アーカイブ)せよと言っているわけでもなく、すべてのタスクを実行せよと言っているわけでもない点です。
ラベルをつけてインボックスから追い出したり、タスクリストに転記したりすることは、一種の「先送り」です。実行していないわけです。もう少し言えば、今すぐには実行しないという判断を下した、ということでしょう。インボックスにメールが溜まっているときは、そういう意識的な判断が下せていないとも言えます。
つまり、インボックス・ゼロでは「すべてのメールを、最終的な処理まで持っていけ」とは言っていないわけです。そうではなく、最低限の下ごしらえだけやっておきましょう、とだけ述べています。
■「ただ目の前から消えてくればそれでOK」という過ち
でも、そういうことはまるっと忘れて、「インボックス・ゼロ」というフレーズが興す印象が「ボックスの中身をゼロにすることが大切なんだ」という価値観が私の中に醸成されていました。
たとえば、Evernoteであれば「inbox」というノートブックを作り、そこにすべてのノートが最初に配置されるようにして、そのノートを「適切な」場所に振り分けることをあたかも義務かのように実行していました。
でもって、極端なことを言えば、inboxというノートブックから移動させられるなら別にどこであってもいいと感じていました。
プロジェクトっぽかったらプロジェクトに、アイデアぽかったらアイデアノートに、知識ぽかったら知識ボックスに、という感じで、深く考えることはせず、ただ目の前から消えてくればそれでOK、となっていたのです。
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■「整頓」とは呼べても「整理」とは呼べないという問題
当然のようにそんな思考では問題が起こります。特に二つの問題がやっかいです。
一つは、inbox→他のノートブックという処理をしただけでは「整理」はできていない、という問題です。物理的な用語を拝借すれば、単にinboxから移動させただけの行為は「整頓」とは呼べても「整理」とは呼べません。
そうなると、後から必要に応じて情報をとり出すのが難しくなります。Evernoteを使い続けているとどこかの時点で使い勝手が悪くなるのは、整頓ばかりして整理していないから、ということは言えるでしょう。
厳密な整理なく使えるのがEvernoteの良いところであるといっても、ここまで杜撰な管理では、さすがに数が増えてくるとどうしようもなくなります。
自分がその情報をどのように使いたいのかをイメージし、利用のシミュレーションから逆算するような「整理」が必要なはずなのですが、それがスルーされてしまうのです。
■非常に困難となるアイデアの扱い
もう一つの問題は、アイデアの扱いが非常に困難ということです。
インボックス・ゼロでは、しかるべき場所に移すことで「インボックス」という存在に注意を奪われないことが目指されるわけですが、言い換えればインボックス(の中身)について考えないようにすることを目指していると言えます。
一方で、アイデアは気にしないと使えません。あれってどうなっていたかな、あれはどう展開できるだろうと気にするから、発展していくのです。
自分の視界から消して、すっきりしたらアイデアは単に忘れ去られ、死蔵されていくだけでしょう。
■インボックスにアイデアが増え続けるという破綻
具体的な構図で考えましょう。
自分が思いついたことを書き留める場所があるとします。だいたいどのツールでも、そのための場所は「inbox」と名づけられています。受信箱というメタファーはたしかに間違っていません。その慣習に習って、自由に名前をつけられる場合でも同種の役割を持つ場所に「inbox」とつけることも多いでしょう。
さて、「インボックスはゼロにした方がいい」という価値観を有したまま、そのツールを運用するとどうなるでしょうか。もちろん、そのinboxの中身も、できるだけゼロにするのが望ましいと思いながら運用することになるでしょう。
言い換えれば、最低限の「下ごしらえ」くらいはやっておくべきだ、と無意識に思うようになるわけです。
そうなると、二つの状態が生まれます。一つは、自分の思いつき(≒着想)をかなり短い間隔で「処理」してしまう状態。今日思いついたものを今日処理する、あるいはせいぜい明日処理する。そんな感じです。
はっきり言ってしまうと、こうして処理されるアイデアはものすごく狭い構図に押し込まれてしまいます。複数の断片的なアイデアが7~8個集まって大きくなる(キングスラムならぬキングアイデア)なんてことは起こらず、せいぜいそのアイデアにラベル付けするくらいで終わるでしょう。
そうした不具合に気がつくと、もう一つの状態に移行します。アイデアをしばらく並べておく状態です。
つまり、即座に処理するのではなく一定の間隔、あるいは一定の量並べておくようにするのです。たとえば二週間は置いておいたり、100個までは置いておいたり、という運用に移るのです。
これはたしかに効果があるのですが、どこかの時点でその状態を維持するのが面倒になってきます。日付を見て古いものを移動させるとか、規定の個数を超えたものを移動させるとかいった行為は、直接的に何かを産み出す行為ではないので、どうしても価値を感じにくいのです。
その上、だいたいどのアイデアも残しておきたく感じるので、「選択・判断」という認知リソースを消費する作業になり、脳としては好んでやる作業にはなりません。
結果的に、そのやり方は「破綻」します。選別が行われずに、インボックスにアイデアが増え続ける結果になるのです。あたかも、住み手がいなくなり手入れが放置された庭園から伸びた草が建物に密集しているかのように。
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■生じてくるアイデア管理上の機能不全
その力を活かせないか
しかし、一体その何がいけないのでしょうか。廃虚の茂りに、自然の生命力を観ることだってできるはずです。
そもそもとして、期間制限や個数制限をしていたのは、インボックスという場所は本来的にゼロになるべきだという価値観があったからです。本来それはゼロになるべきだが、特例的にいくつか置いておいても構わない、という考えで処理されていました。
だから数が増えてくると無理にでも処理しなければならなくなるのです。そして、無理に処理する数が増えれば増えるほど、アイデア管理としては機能不全が生じてきます。
しかも、あらかじめ決めておいた数を超えてアイデアが並びはじめると、「失敗」したような感じがするのです。なにせインボックスはゼロになるべきなのに、それができていないのですから。
■そもそも異なる「メーラー」と「アウトライナー」
そろそろこの呪縛を解くべきタイミングでしょう。
もちろん、Merlin Mannの考えは今でも有効です。少なくとも「メーラーの受信箱」に限って言えばそうですし、もともとそれが対象のコンセプトだったのです。
私たちが(少なくとも私が)犯した過ちは、メーラーの受信箱以外のものも「インボックス」と呼んでしまったことです。その呼称が「インボックス・ゼロ」というコンセプトを──意識していなくても──引きずっていました。
もちろん、Evernoteはメール経由でインボックスにノートを作れる、とか、外部ツールから送信されたデータが最初に保存される場所がある、といった感じでメーラーの受信箱に似た要素がないわけではありません。
実際私は、Workflowyに「ideas」という項目を作っていて、APIを経由することでWorkflowyのアプリを立ち上げることなくメモをこの項目に送れるようにしています。情報のやり取りの方式だけみれば、この場所は「インボックス」と呼んで差し支えないでしょう。
しかし、メーラーとアウトライナーは違います。メーラーはリストではありませんが、アウトライナーはリスト操作ができます。その中で順番を操作したり、構造化できるのです。
インボックス・ゼロのコンセプトを標語風に言えば「受信箱のなかで仕事をしない」であり、それはインボックスをタスクリストのようには扱わないことを意味するのですが、なぜそれが必要なのかと言えば、インボックスが「リスト」の機能を持っていないからです。
一方で、Workflowyの「インボックス」はそのままリストです。言い換えれば、「タスクリスト」の中にメモを送ることができるのです。だとしたら、その中で仕事をしたってぜんぜん構わないでしょう。
あくまでさまざまな情報が他人から流れ込んでくるメーラーだからこそ、その運用に気をつけよう、という提案をインボックス・ゼロが行っているのだとするならば、ノートやリストに外部から情報(特に思いつき)を送れる場所には違った運用のスタイルがあっていいはずだ、と考えられます。
じゃあそれはどんな運用になるのかについては、次回検討してみましょう。
(メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2024年9月23日号の一部抜粋です。本記事のつづき(9月30日号)をお読みになりたい方は、ぜひこの機会に初月無料のお試し購読をご登録の上、2024年9月分のバックナンバーをお求め下さい)
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