点数、成績、合格のために存在しているというイメージの強い学習塾。しかし、将来成功をおさめている、活躍している、幸せな人生を送っている人は決してそれだけで語ることはできないと、塾講師として長年にわたって指導を続けてきた自己改革小説の第一人者である喜多川泰さんは語ります。喜多川さんは自身のメルマガ『喜多川泰のメルマガ「Leader’s Village」』の中で、勉強という道具の「上手な使い方」について伝えています。
応援したくなる人になれ
僕は塾の先生として25年間、受験生を指導をした。
昔も今も塾と言えば、「点数、成績、合格」のために存在していると思われている。
どんな授業が点数を取れるのか、どうやって成績を上げるのか、どうやって合格させるのか。
塾の先生たちは日夜そのことを必死で考えている。
もちろんそれらに興味があるのは塾の先生だけではない。受験生本人もさることながら、保護者も同じように必死で考えているだろう。
その要望を叶えるべく努力を続けると、数年後には点数が取れる授業ができるようになってくる(正確には生徒本人の努力によってそれは達成されるのだが、それを煥発できる授業ができるようになる)。
ところが、彼らが求める「点数、成績、合格」を手にしたところで、将来幸せになれるわけではない。それどころか「点数、成績、合格」を手にすることと引き換えに、生徒たちが未来に幸せになる力をなくすということも起こりうる。
塾生の保護者に、「お子さんの点数、成績、合格と引き換えに、無くしていいものはありますか?たとえば明るさとか」と質問すると、はじめてそのことを考える親が多い。
そして、引き換えに無くしていいものなどないということに気づく。
一生懸命勉強をして、点数、成績が上がって、自分の行きたい学校に合格したとしても、結果としてその後の人生においてどうしても必要になる大切な力を無くしてしまったのであれば、これほど不幸なことがあるだろうか。でも案外そういう人が多い。
先生も20年も続ければ、最初の教え子たちが40歳近くになる。彼らを見れば、点数、成績、合格よりも、育てなければならなかったものが何だったのかがわかるだろう。
社会に出て成功している人。
各分野において活躍している人。
幸せな人生を送っている人。
彼らに共通していることは何か。それを考えれば「点数、成績、合格」ではないことは明らかだ。
ではないのに、どうして子どもたちは勉強しなければならないのか。
親も本人たちも、「勉強を頑張れば、将来は幸せになれる」と思い込んでいるのはなぜか。
もしかしたら、勉強なんて本当はしなくてもいいのか?
誰もが一度は考えることだろう。
僕は「勉強という道具」を上手に使えば、誰もが将来幸せになれると思っている。
そのことを伝えたいと思って塾を続けていたし、本も書くようになった。
でもそれは「点数、成績、合格」を手に入れることによって達成することではない。
上手に使うというのは、別の力を磨くということだ。
この記事の著者・喜多川泰さんのメルマガ
先ほどの質問内容。社会に出て成功している人、各分野において活躍している人、幸せな人生を送っている人、彼らに共通していることは何か。
さまざまな人たちを観察すると、多くの共通点が見つかる。
それらはいろいろな言葉で表現できるだろうが、僕は三つの言葉に集約して生徒たちに伝えていた。
それが
「笑顔と優しさ、挑戦する勇気」
だ。
これらすべてが備わっている人は、どんな分野に行くことになっても活躍し、成功し、幸せな人生を送ることができる。おそらく例外はない。
「笑顔」というのは言い換えれば、「自分の機嫌は自分で取れる人である」という意味でもある。
周りの出来事や状況によって機嫌を左右されず、いつも「明るくいられる人」になること。
日々新しいことがやってきて、思うようにいかないことの連続である「勉強」だからこそ、自分の機嫌は自分で取れる人になるための訓練になる。
「優しさ」というのは、メルマガのVol.148号でも書いた、相手に対する敬意とも言える。
瞬時に相手を自分を入れ替えて、「もし自分があの人なら」を考えて、相手の望むことをしてあげられる優しさ。
集団で授業を受ける「教室」だからこそ育むことができる能力だ。
先生と生徒が一対一で行う指導では、点数は増えるかもしれないが自分とあの人を入れ替える機会が圧倒的に少なくなる。敬意を学ぶにはたくさんの人と接した方がいい。
人は人でしか磨けないのだ。
そして「挑戦する勇気」
挑戦はいい結果を手にするために必要だと思われがちだがそうではない。成功者たちはそうではないことを教えてくれているが、どうしても僕たちは結果として欲しいものを手に入れることが大事だと思ってしまっている。
実は結果によらず、自らが定めた目標に向けて本気で挑む行為そのものが大事だ。
本気で挑んだのであれば、手にした結果が期待したものだったとか、思い通りのものではなかったということはどちらでもいいといったら驚くだろうか。もちろん欲しいものを手にするかしないかで歩むべき人生は変わるであろうが、どの道を歩んだとしても、その人は幸せな人生になるという意味で、どちらでもいいと言っている。
なぜか。
人はそんな人を応援したくなるからだ。
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あなたの子供が目標としている第一希望の大学に合格したいと、必死で努力し、本気で挑んでいる姿を見てあなたはどう感じるだろうか。
「どんなに頑張っても合格しなければ意味がない」と思うだろうか。もしそうだとしたら、合格が人生を幸せにするわけではないという事実をもう一度思い出してほしい。
おそらくその姿を見れば、心から応援したくなるだろう。
挑戦する勇気だけじゃない。自分の機嫌は自分で取れるいつも明るい人で、相手に対する敬意を忘れない優しさを持った人なら尚更だ。
自分の子供じゃなくても、そんな人が近くにいたらどこまでも応援したくなる。
望んだ「点数、成績、合格」を手にしても「あの人は応援したくない」と思われる人もいる。
思うようにいかないとすぐに機嫌が悪くなったり、自分に対する敬意を感じなかったり、本気で何かに挑むことをしない人だ。
そういう人はどれだけいい結果を重ねても、チャンスがやってこない。
誰もが自分の力で目標を達成しようとする。頑張れば自力で夢は実現できると思っている。いい結果を積み重ねれば自然と幸せになれると思っている。
ところが、どんな小さな目標の達成もたくさんの人の協力が必要だ。自力で実現できる夢など一つもない。夢はたくさんの人が助けてくれることで実現する。だからいい結果を積み重ねること以上に、たくさんの人が応援したくなる人になることの方が重要だ。
各分野で活躍している人たちは、「応援したくなる人」という点において共通しているのだーーー(『喜多川泰のメルマガ「Leader’s Village」』2025年3月21日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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