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【ISIL人質事件】アメリカやイギリスは日本人に対して「同情心がない」と驚いている

世界に驚かれた日本の自己責任論

『谷本真由美(@May_Roma)の「週刊めいろま」』 035号より一部抜粋

シリアの事件が毎日メディアで取り上げられています。日本政府はこの事件を受けて「積極的平和主義」を推進し、有志連合と共に活動することを宣言しました。海外の政府や有識者は、日本の宣言は、従来平和主義であった日本がその政策を大きく転換させるのではないかとみています。

その政策の転換以上に海外で驚かれているのは、この事件を受けて、日本では被害者やその家族を批判する意見が相次いだことです。私が見た限り、ほとんどの日本のテレビや新聞は、被害者や家族に配慮した報道でありましたが、ネットでは自己責任論を主張する意見が目立ており、大変驚いた次第です。

日本のメディアやネット上の意見は、国内で閉じているわけではありません。海外のメディアの一般の人も実は注意深くウオッチしていたりします。

自己責任論に関しては、海外のメディアも一般の人も、かなり驚いています。例えばアメリカのタイム誌の記事は「Why Japan Lacks Sympathy for the Hostages Held by ISIS」[なぜ日本はイスラム国により捉えられた人質に対する思いやりがないのか?]という記事を掲載しました。その記事の一部抜粋は以下のようなものです。

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But in very Japanese fashion, much of the anger has focused on the hostages themselves, who are seen by many as having acted recklessly.

Comments on Japanese-language social media have been largely unsympathetic toward the two hostages-particularly Yukawa, who told associates that he once tried to commit suicide by cutting off his genitals and later changed his given name to Haruna, typically used for women.

しかし日本のやり方では、人々の怒りは、無謀な行動をとったように見える人質に向けられた。(略)

日本語のソーシャルメディアのコメントの多くは、人質に対する同情心はなかった。特に、一時期自身の性器を切り取って自殺をはかり、典型的な女性名であるハルナに改名したユカワ氏に対しての同情はなかった。

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この記事では、人質になり大変な状況であるにも関わらず、日本のネットユーザーには共感したり同情する心が欠けており、人質自身を非難するコメントで溢れているということが、大変日本的な現象であり、理解が難しい現象として描かれています。また今回だけではなく自己責任論を説く論調は、過去にもあったとして、イラク人質事件が紹介されています。

「村」意外の人々にも援助を差し伸べる米英、村の規範に厳しい日本

なぜこのような記事がアメリカのメディアに掲載され、このような記事が書かれるかというと、アメリカ人が同じような状況で人質になった場合、非難する意見というのはほとんどないからです。

アメリカでは、原因が何であっても、人質は犯罪者やテロリストによって、そのような状況になってしまったのであり、その人自身は誰を傷つけているわけでも、犯罪を犯しているわけでもないので、同情し、無事な帰還を祈るべきだと考える人が大半だからです。

アメリカの報道と同じく、イギリスのBBCでも日本の自己責任論に対する論調は同じです。「unsympathetic voice」[同情心のない声]と題された記事では、デヴィ婦人を始めとする有名人が、被害者に対し、自殺しろ、自己責任だと主張し、それを支持する人が大勢いたことが驚くべきこととして報道されています。

アメリカと同じく、イギリスでも人道支援家やジャーナリストも人質になり亡くなっていますが、彼らに対して、無事な帰還を祈るキャンペーンはありましたが、自己責任を追及したり、人質自身や家族を非難するようなコメントはありませんでした。

自由市場主義で、個人主義であるはずのアメリカやイギリスが、「同情心がない」と日本に対して驚いているのが意外な感じがしますが、アングロフォン国ではビジネスの場や議論の場では熾烈な競争をしますが、困っている人や不可抗力で苦しんでいる人がいると、たとえ血縁や地縁がなかったり、同じ会社や同窓会に所属していなくても、わりと気軽に助けたり、同情することがあります。

それがキリスト教的なものなのか、それらの国の歴史的成り立ちを反映したものなのか、説明する方法は様々ではありますが、自分が所属する「村」以外の人々にも援助の手を差し伸べたり、友好的な関係を保ったりする「文化」は、アングロフォン国で、フリーランサーやスタートアップ企業が活躍しやすい理由の様に思います。手を差し伸べる理由は、「村」の規範や相互監視の目ではなく、合理的かつロジカルな思考や、社会はこうあるべきである、という倫理的な判断です。

この背筋が寒くなるような現象は最近顕著になったものなのでしょうか、それとも日本文化に固有のものなのでしょうか?日本がインディペンデントコントラクタ(実態は大違いですが日本風にいうと非正規雇用ですね)やスタートアップの企業に厳しかったり、生活保護受給者に冷たかったり、街が子持ちや障碍者には優しい作りになっていない理由は、こういう所に根本的な原因があるのではないでしょうか?
『谷本真由美(@May_Roma)の「週刊めいろま」』 035号より一部抜粋

著者/谷本真由美(@May_Roma)
神奈川県生まれ。米国シラキュース大学で情報管理学修士、国際関係論修士を取得。その後、ITベンチャー、コンサルティングファーム、国連専門機関情報通信官、外資系金融会社などを経てロンドン在住。趣味はハードロック/ヘビメタ鑑賞。著書多数。
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