米国で起きた「チャリー・カーク暗殺事件」は、単なる一人の論客の死を意味するものではないと心理学者の富田隆さんは語ります。冨田さんはメルマガ『富田隆のお気楽心理学』で今回、米国の一部の学歴エリート層に見られる倫理観の欠如、そして深いニヒリズムについて深掘りしています。
チャーリー・カーク暗殺事件
米国の一部「学歴エリート」に見られる倫理観の欠如、あるいはニヒリズムは、つい最近の事件でも露(あら)わになりました。
それは「チャーリー・カーク暗殺事件」をめぐる反応です。
つい最近、来日して、参政党の集会に出席し、グローバリズムからの脱却を訴えたカーク氏は米国保守層の星であり、将来の大統領候補とも言われていた論客です。
彼は敬虔なクリスチャンで、いわゆるリベラル左翼の押し進める「進歩的?」な政策に異議を唱え、トランプ大統領を支持していました。
彼の活動は、とことん反対派との「ディベート」を繰り返すことに費やされていました。
どんなに反対派から罵声を浴びせられても、彼は根気強く相手を説得し、自分の信ずることを主張し続けたのです。
その結果、この10年の間に、それまで左翼リベラルしかいなかった米国各州の大学を中心に、彼を支持する若者の団体「ターニング・ポイント USA」の支部が次々に設立され、全米で3500を数えています。
SNSのフォロアーも数百万人を超えています。
一貫して相手の表現の自由を尊重し、徹底的に「話し合う」ことによって仲間を増やして来たチャーリー・カーク氏が、まさにそのディベートの最中、凶弾に倒れたのです。
以前から、「自称リベラル」や「自称左翼」の一部は、カーク氏に「ファシスト」「レイシスト」「ナチ」といったネガティブなレッテルを貼って攻撃していました。
こういった人々のさらに一部ではありますが、彼らは「カーク氏の暗殺」を公然と喜び、冷笑し、そうした記事をSNS上でばら撒いたのです。
暗殺当日のキャンパスでカーク氏のイベントを遠巻きにしていた反対派の一部が、暗殺の瞬間、大喜びしている様子が撮影されていて、ネット上に拡散されています。
非暴力に徹し、言論の自由を尊重し、ひたすら説得を繰り返した「言論の徒」が卑怯な暴力によって暗殺されたのです。
彼とは反対の立場で論陣を張っていた本物の左翼やリベラルの人たちでさえ、彼の死には哀悼の意を示し、暗殺という暴力を非難しています。
それを公然と「大喜び」できる神経の持ち主には、いわゆる倫理観といったものは存在しません。
彼らが抱えているのは、暗く刹那的な「ニヒリズム」です。
この記事の著者・富田隆さんのメルマガ
「守銭奴と犯罪者」
「ニヒリズム(nihilism)」という言葉を調べると、「全ての価値や意味を否定する思想や態度のこと。『虚無主義』。あらゆる事柄に否定的または懐疑的な見方をする哲学的な考え方」とあります。
要するに、「この世の中には真実も本当の美も善も存在しない」と彼らは信じており、従って「生きていることにも『意味』は無い」と決めつけているのです。
だから、あらゆるものを馬鹿にし冷笑するわけです。
ニヒリズムを信奉している人から見れば、カーク氏のように神やイエス・キリストを信じている人たちは愚かに見え、見ているだけで腹が立つのかもしれません。
「愛」なんて言葉も大嫌いなのでしょう。
しかし、「意味」や「価値」の存在は信じられなくても、自分が体験する刹那的な「快楽」は実感できますから、そうした快楽をもたらす薬物や暴力、特に「金銭」などは信じることができるのです。
だから、頭がちょっと良ければ「守銭奴」に、頭が悪ければ「犯罪者」になるわけです。
そうした、ちょっと頭が良くて目端の利く守銭奴たちがつるんででっち上げた企業や政府がろくなものになるはずもありません。
金に飽かしてそろえたAIや傭兵(あるいはギャング)を使ってやることは、所詮は犯罪のようなものになります。
弱い者を騙して、なけなしの金を巻き上げても、妙なワクチンで人が死んでも、さっぱり良心は痛みません。はなから良心(真善美の内の「善」)はありませんから、痛みようが無いのです。
この世には善も無ければ悪も無い、だから良心なんてものもありません。
頭の悪い連中と違うのは、「合法的」な装いで武装しているという点だけでしょう。
ですから、こうした「インテリ犯罪者」の周辺には常に「弁護士」や「代議士」の先生方が群がっているというわけです。
そして、こうした「インテリ犯罪者」が海外進出しようとすれば、政治家や外交官、時には軍隊まで使って、自分たちの「ルール」を外国に押し付けようとします。
これが「グローバリズム」です。(『富田隆のお気楽心理学』2025年9月18日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)
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