現代社会では、「合理性」や「効率性」が賢さの基準として語られることが多くなっています。しかし、こうした合理性の積み重ねが天才が生まれにくいとする意見もあるようです。自己改革小説の第一人者である喜多川泰さんは、自身のメルマガ『喜多川泰のメルマガ「Leader’s Village」』の中で、「やりすぎる人」からしか生まれないという“天才”の本質と、合理性では測れない思考習慣について考察しています。
天才を生む思考習慣
今の時代、「合理的であること」が賢さであるように思われている。
試験に出ないことを延々と勉強するのは時間の無駄だと多くの受験生は思っている。
指導をする側の先生も、生徒を志望校に合格させるためには、どういう時間の使い方をするのが一番よい結果が得られるのかを考え、合理的な判断を迫られる。
そしてその結果、日本の教育からは「天才」が生まれにくくなっている。
長年指導していてわかることは「点数を10点上げる」というのは、同じ労力ではないということだ。ちょっとイメージして欲しい。
前回0点だった生徒に10点取らせるためにやるべきこと、前回70点だった生徒に80点取らせるためにやるべきこと、前回90点だった生徒に100点取らせるためにやるべきこと。
これらのうち一番やるべきことが多いのはどれだかわかるだろうか。
実は90点を100点にするのが一番やるべきことが多い。70点を80点にするのは案外簡単だ。
もっと言えば、70点を95点にする方が、99点を100点にするよりも圧倒的に楽である。
どの教科も満遍なくよくできる生徒というのはほぼいない。
誰もが得意な教科があれば苦手な教科もある。
そうなると、入試を前に合理的な判断がなされる。
「英語はもう90点取れるだろ。だけど数学が50点しか取れてないんだから、英語を勉強する時間があったら数学をやった方がいいぞ」
合格するためには、そういった判断が必要であるのはわかる。
でもその判断に慣れて成長することで、どんなことにおいても99点を100点にする努力をする暇があったら、他の50点しか取れないことをやった方がトータルでいいだろうと考えるようになる。
勉強の話は例え話でしかないことは、村民の皆さんならわかってくれると思うが、僕は100点を取れる人を「天才」と呼んでいるわけではない。
99点取れるのに100点を取るための努力をする人って、本当は100点を取るために努力をしている人ではないということは知っておいてもらいたい。
「99点取れるんだからもういいじゃない」
と言われてもそれをやってしまう「やりすぎな人」からしか天才は生まれない。
誰かが作ったテストとか、学校に入るために必要な知識レベル、そういう判断基準を無視してやりすぎてしまう人がいる。
「天才」は「やり過ぎ」から生まれるのだーーー(『喜多川泰のメルマガ「Leader’s Village」』2026年1月23日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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