先日ユネスコ世界文化遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」。ではこの地にあって国を率いてきたのは、いったいどのような人物たちだったのでしょうか。今回のメルマガ『小林よしのりライジング』では、漫画家・小林よしのりさん主宰の「ゴー宣道場」参加者としても知られる作家の泉美木蘭さんが、国家形成を担った歴代女帝たちの功績を検証。その上で、高市首相が世界へ発信したメッセージと「男系男子」論との間に存在する矛盾を鋭く指摘しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:泉美木蘭のトンデモ見聞録・第406回「世界遺産《飛鳥・藤原》が高市首相に突きつける歴史の真実」
どの口が言う?世界遺産《飛鳥・藤原》が高市首相に突きつける歴史の真実
今月26日、奈良県明日香村の飛鳥宮跡、橿原市の藤原宮跡を中心とする19の遺跡群「飛鳥・藤原の宮都」が、ユネスコ世界文化遺産に登録された。
6世紀末から8世紀初頭にかけて、推古天皇の飛鳥時代から、持統天皇が築いた藤原京、そして元明天皇による平城京遷都まで、天皇を中心とする中央集権国家が形成されていく約120年の歴史を伝えるものだ。
2006年から奈良県と明日香村、橿原市、桜井市が登録に向けて調査・保存活動を進めてきたもので、20年かけての実現らしい。
活動に関わった人々にとっては喜びもひとしおだろうと思うが、私個人としては、なにも国連の専門機関からお墨付きをもらわなくても、日本人自身が遺跡の重要性を認識して、歴史を深く理解し、価値に自信を持ってさえいれば、次世代へと引き継いでいけるじゃないかと思ってしまう。
だが、「世界遺産」というブランドに特別な価値があるように感じ、「世界から認められた」という評価を求めてしまうのが日本人の一面でもあるのだろう。それによって調査や保存の予算を確保しやすくなるという現実的なメリットもあるのかもしれない。
奈良県が地元の高市早苗首相は、この件にさっそく反応。
「東アジアの古代国家の形成期において、中央集権体制が誕生・成立した過程を、二つの宮都の変遷を通じて具体的に示す文化遺産として、その顕著な普遍的価値が認められた」とし、「日本の宝から世界の宝となった文化遺産を確実に守り、次世代へ引き継ぐ」とメッセージを発表した。
どの口が?自分の発言の意味がわかっているのか?
「確実に守り、次世代へ引き継ぐ」などよくも言えたものだ。その国家形成において、決定的な役割を果たしたのは、推古・皇極(斉明)・持統・元明という歴代の女帝たちではないか。
高市は、国家形成の歴史を世界へ誇っておきながら、女帝たちの功績を踏みにじり、その歴史を破壊する反逆行為に手を染めている張本人である。飛鳥・藤原のいったい何を理解しているというのだろうか?
出発点は推古天皇。女帝たちが築いた「国家形成」の120年
世界遺産に登録された飛鳥・藤原の歴史について詳しく見てみよう。
この宮都が栄えたのは、有力豪族が勢力を競い合う時代から、天皇を中心とする国家へと大きく姿を変えていった約120年間だ。
出発点は、592年に即位し、大陸の制度を取り入れるべく改革を開始した女帝・推古天皇だった。
■「飛鳥・藤原の宮都」時代に即位した天皇
推古天皇(592-628)★女帝
舒明天皇(629-641)
皇極天皇(642-645)★女帝
孝徳天皇(645-654)
斉明天皇(655-661)★女帝(皇極天皇の重祚)
天智天皇(661-672)
天武天皇(673-686)
持統天皇(690-697)★女帝
文武天皇(697-707)※若年のため持統が太上天皇として実権掌握
元明天皇(707-715)★女帝(710年に平城京へ遷都)
見ての通り、世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」が栄えた約120年には、4人の女帝(5度の在位)が登場する。
考古学・古代史の研究によって、飛鳥~奈良時代よりさらに前、弥生時代から古墳時代前期には、日本列島の各地で男女を問わず首長が立ち、女性首長も珍しい存在ではなかったことがわかっている。
古代の王は、軍事力を率いる統治者でもあり、権力を掌握し、実力行使する能力がなければ滅ぼされてしまう。王は、血統主義などではなく、各地の首長たちによって「共立」されており、男女関係なく、統治能力にすぐれた40歳前後以降の「長老」から「えらばれる」ものだったことも判明している。
この流れは、飛鳥時代に入っても残った。だからこそ能力ある女帝が次々と誕生していったのだ。
高市の言う「東アジアの古代国家の形成期」とは、飛鳥・藤原の宮都が築かれ、発展した時代であるとともに、女帝が国家形成の中心を担っていた時代のことを示すのである。
しかも、当時の東アジアは、巨大帝国がしのぎを削る緊迫した情勢だった。日本も激動の時代に対応するため、強い国家へと変革する必要に迫られ、歴代の天皇は、大陸から技術、文化、律令制度などの仕組み、統治手段などを導入しながら、中央集権体制の整備という大事業に腕をふるった。
「中央集権体制が誕生・成立した過程」とは、まさに国家の土台を築いていく女帝たちの功績をたどることでもあるのだ。
つまり、飛鳥・藤原の宮都は、女帝たちが国家づくりを進めた舞台そのものなのである。
「19の遺跡が物語る女帝たちの時代」を誇る「男系男子」固執の高市
では、その時代に誕生し、今回、世界遺産として認定された19の遺跡とはどんなものなのか。 当時の天皇との関係を調べた。
世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」19の遺跡
01「飛鳥宮跡」
推古天皇の後を継いだ舒明天皇により造られ、皇極・斉明・天武・持統が用いた宮。今回の中心遺跡の1つ。
02「飛鳥京跡苑池」
斉明天皇の時代に造られ、持統朝まで宮殿の庭園として利用された。
03「飛鳥水落遺跡」
皇極・斉明朝の頃に造られた日本最古の水時計台。
04「酒船石遺跡」
斉明天皇の宮殿に伴う祭祀・庭園施設と考えられる。
05「飛鳥寺跡」
推古朝を代表する寺院。蘇我馬子が創建した、推古朝の仏教受容の象徴。
06「橘寺跡」
推古朝、聖徳太子ゆかりの寺院。
07「山田寺跡」
皇極・孝徳朝頃、蘇我倉山田石川麻呂の発願により造営された氏寺。
08「川原寺跡」
亡き母・斉明天皇のために天智天皇が建立。
09「檜隈寺跡」
渡来系豪族・東漢氏の氏寺。仏教受容と渡来文化を伝える寺院。
10「石舞台古墳」
推古朝の権力者・蘇我馬子の墓とされる。推古時代を象徴。
11「菖蒲池古墳」
7世紀頃の大型古墳。中国皇帝陵にならった方墳。
12「牽牛子塚古墳」
斉明天皇とその娘・間人皇女(はしひとのひめみこ)の墓とされる八角墳。
13「藤原宮跡」
持統天皇が694年に遷都した宮殿。元明天皇も使用。中心遺跡の1つ。
14「大官大寺跡」
持統朝に藤原京へ移転・整備された国家寺院。
15「本薬師寺跡」
天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して建立を始め、持統天皇が完成させた国家寺院。
16「天武・持統天皇陵古墳」
天武天皇は古墳時代以来の伝統的な方法で埋葬されたが、持統天皇は骨蔵器が納められており、天皇陵にも火葬が導入されたことを示す。
17「中尾山古墳」
文武天皇陵の有力説。八角墳であり、新しい天皇陵の形式を示す。
18「キトラ古墳」
持統・文武朝頃の古墳。東アジア現存最古の天文図を伝える。
19「高松塚古墳」
持統・文武朝頃。被葬者未確定だが、この時代を代表する壁画古墳。
こうして整理すると、世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」は、推古・皇極(斉明)・持統・元明ら歴代女帝の足跡そのものだったことに驚かされる。
特に、飛鳥寺跡、飛鳥宮跡、飛鳥京跡苑池、飛鳥水落遺跡、酒船石遺跡、牽牛子塚古墳、藤原宮跡、本薬師寺跡、天武・持統天皇陵などは、「女帝が国家形成を担ったことを物語る遺跡群」としてPRしても大げさではないだろう。
ところが、その歴史を「確実に守り、次世代へ引き継ぐ」と述べた高市首相は、女性天皇の実現には反対し、「男系男子」に固執している。
女帝たちが築いた国家形成の歴史を世界に誇る一方で、その歴史が示している女帝の伝統だけは現代から排除するというのだ。これほど矛盾した姿勢があるだろうか。
「中国のコピペ」ではない。遺産が物語る「日本独自の国家」の誕生
ユネスコへの推薦は日本政府が行ったそうだが、一体どのような遺産と認識して推薦したのだろうか。世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会がまとめた文章を読むと、4つのポイントが浮かび上がった。
【1】日本列島で初めて中央集権国家が成立した
「飛鳥宮」「藤原京」など遺跡そのものが残っているだけではなく、それが「有力豪族の連合体制から、天皇を頂点とする中央集権国家が成立した過程そのもの」を象徴していること。
【2】東アジア文明との交流による所産
国家形成が、中国・朝鮮半島諸国との政治的・文化的交流によって進められたこと。遣隋使、遣唐使、百済からの渡来人、仏教、漢字、律令など多くの所産がある。
【3】外来文化と日本固有文化との融合
外来文化の導入と、日本に固有の伝統との融合を通じて、独自の開花を遂げたこと。外来文化をそのまま模倣して「中国化」したのではない。
【4】国家形成の過程を遺跡でたどることができる
飛鳥から藤原京へと発展していく国家形成の過程を、宮殿、官衙(官庁)、寺院、墳墓などの遺跡によって具体的にたどることができ、それが8世紀の平城宮(奈良)、9世紀以降の平安宮(京都)へと続く日本の宮都造営の出発点となっていること。
このなかで、特に私が注目したいのは、【3】外来文化と日本固有文化との融合を主張している点だ。
この時代の日本は、隋や唐という巨大帝国から律令制、都城制、官僚制度、仏教、漢字文化など多くを取り入れた。だが、そうして形成された日本は、決して「古代中国のコピペ」ではないのである。
前回までの記事(第404回「女性が国家を支える日本に、宦官はいらなかった」、第405回「蓄妾制・典妻・女禍思想──男系血統という思想の正体」)に詳しく書いたが、官僚組織や律令制についてはかなり模倣しているにもかかわらず、日本は父系血統絶対主義をとらず、中国のように妊娠を管理するための宦官や後宮の制度は採用しなかった。
ましてや、女性を「男子を生むための奴隷」として家畜のように扱う風習など根付かなかった。
また、男女を区別し、同席させない儒教の秩序について学びながらも、日本の宮廷では男女の官僚が「共労」し、女官が男官を指示する場面もある組織で国家運営を担っていた。
なにより、女帝が国家の最高権力者として実権を握り、その子もまた親王として皇位継承資格を持つ仕組みが築かれていた。
当時最先端の技術や文化、仕組みを取り入れながらも、それを女性が実権を握る日本の伝統的なあり方に融合させ、独自の国家を作り上げた──このことこそ、日本が世界へ説明した「外来文化と日本固有文化との融合」の実像ではないのだろうか。
「飛鳥・藤原の宮都」が次世代へ引き継ぐものとは、いったい何かをよく考えてほしい。それは、宮殿跡や古墳などを形作る石や土そのものではなく、その場所を舞台として生きた先人たちによって築かれた歴史である。
高市早苗は、世界へ向かって「女帝が国家形成を担った歴史」と「中国をそのまま模倣せず、日本固有の文化と融合して独自の国家を築いた歴史」をこの遺産の価値として誇る。
ところが、国内では「女性は天皇になれない」「男系男子こそ伝統」と主張し、儒教の男尊女卑を受け入れる自分をアピールする。自分で世界へ誇ったはずの歴史を否定し、無知のまま虚偽の歴史観で皇室を塗り固めようとしているのだ。
高市が賞賛しているのは、「世界遺産」というブランド、言葉の響きだけだ。その遺産が語る重要な歴史そのものには無知であり、耳を貸そうとすらしていない。欲しいのは都合の良い体裁だけ、史実などどうでもいいという軽薄さなのだ。
一国の首相として、こんな不誠実な態度が許されるだろうか?
国民はこの欺瞞的・詐欺的態度を見抜き、糾弾しなければならない。
世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」は、「古代日本では、女性もまた国家を率い、国家を築いた」という歴史を、今もその場所で証言し続けている。
(メルマガ『小林よしのりライジング』2026年7月28日号より一部抜粋・敬称略。続きはメルマガ登録の上お楽しみください)
2026年7月28日号の小林よしのりさんコラムは「彬子女王と瑶子女王の疑惑」。ご興味をお持ちの方はこの機会にご登録ください。
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