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Zyankarlo/Shutterstock

チュニジアの旧宗主国・フランスで路上強盗に遭った男

前回、「イスラム国」すら恐れるテロ組織の拠点に足を踏み入れたあるきすと平田さん、今度はフランスのマルセイユの路上で強盗に襲われた!その一部始終のレポートです!

 

あるきすと平田とは……

ユーラシア大陸を徒歩で旅しようと、1991年ポルトガルのロカ岬を出発。おもに海沿いの国道を歩き、路銀が尽きると帰国してひと稼ぎし、また現地へ戻る生活を約20年間つづけている、その方面では非常に有名な人だったりします。普通の人は何のために……と思うかもしれませんが、そのツッコミはナシの方向で……。

第4回 マルセイユの路上強盗とピザ

『あるきすと平田のそれでも終わらない徒歩旅行~地球歩きっぱなし20年~』第4号より一部抜粋

地中海沿いをポルトガルからスペインと歩き、3番目の国フランスに入ったのが1991年11月23日。すでに季節は秋から冬に移りつつあったが、温暖な地中海性気候のおかげで、僕が生まれ育った北陸富山の寒さとは比べものにならない穏やかな天候の中を404km歩いた12月10日、港町マルセイユに到着した。

そしてその日の夜10時ごろ、宿の近くで路上強盗に襲われる。

「ラングドックのベネチア」と呼ばれるセットの街並み。貧乏旅行者にはセレブ過ぎ。

マルセイユは地中海に面した人口80万人の大都市で、郊外には大規模なスラム街が、下町にはアフリカ人の移民街があり、かならずしも治安のいい都市とはいえない。

しかしずっと田舎を歩いてきた僕には久々の都会で、気分はほとんどおのぼりさん状態。夕闇に包まれた6時ごろに大通りから一本入ったパルー通りの安宿にチェックインし、洗濯とシャワーを済ますとさっそく街へ飛び出した。

ただ、やはり治安が気になる。いつもは現金やパスポート、トラベラーズチェックなどの貴重品はすべて薄手のウエストポーチに入れて肌身離さず持ち歩くのだが、この日ばかりは現金300フラン(7500円)をジーパンの右のサイドポケットにつっこんだ以外はすべて、部屋のベッドのマット下に滑り込ませて外出した。

しばらく街なかを当てもなくうろつきまわり、それから劇場を探す。せっかくフランスにいるのだから、できれば本場のバレエを見てみたい。でもチケットがいくらするのか見当もつかないのでとりあえず300フラン(7500円)を持って宿を出たのだが、結局この日はどの劇場でもバレエは催されていなかった。

南仏のプラタナスの並木道。やっぱ南仏の景色はきれいだわ。91年12月。

しかたがない、夜食用にテイクアウトのピザでも買って宿に帰ろう。

ようやく一軒見つけて「ピッツァ・フロマージュ」を15フラン(375円)で買い、その薄っぺらな箱を手のひらに載せて家路を急ぐ。

店から宿までの道ははっきりしないが、宿のある方角ならおぼろげにわかる。勘にたよって歩くうち、僕は知らず知らずアフリカ人の移民街へと足を踏み入れていたらしい。

フランスは、アフリカ、特に地中海沿いの北アフリカに多くの植民地を抱えていたから、それらがアルジェリア、チュニジア、モロッコ、モーリタニアなどとして独立したあとも密接な関係を維持していたせいで、フランス語をしゃべる大量のアフリカ人が地中海を北上して合法違法にフランスに入国し、住み着いていた。

時刻はすでに午後10時近い。人通りは閑散としているが、ときたますれ違う顔という顔が黒人だ。暗がりに見る黒人は、慣れないと怖い。白目と歯だけが白く、もし全身黒尽くめの衣装だったらそれこそたまげる。

僕は黒人の国へ行ったことがないし黒人の友人もいないので、このときの体験はインパクトがあった。

移民街を過ぎ、宿のあるパルー通りに出たところで3人組の黒人の若者に声をかけられた。フランス語だ。自慢じゃないがフランス語はちんぷんかんぷんである。大学で第2外国語にフランス語を選択したが、それはフランス語の教室にはかわいい子が多いといううわさのせいだった。「妊娠する」が「シャセジュセ」、「お風呂に入る」が「カタマデジャポーン」をフランス語だとおもって卒業した口である。

彼らがなにをいっているのかわからないので、英語で「わからない」と返事して歩きつづける。道を聞かれたとおもったからだ。

彼らはなにやら話しながら僕のあとについてくる。ちょうど宿の前まで来た。この安宿は宿泊者全員に表玄関のドアのキーを渡していて、24時間、客が勝手に錠を開閉して出入りする。

ちょうど鍵穴にキーを差し込もうとしたとき、彼らからまた声をかけられた。いつもの僕ならそれを無視してすばやくドアを開けてからだを滑り込ませていたはずなのに、この日はお目当てのバレエを見られなくて消化不良気味だったことが災いした。

振り向くと、ひとりが右手で「カモン」のしぐさをするので、一瞬ためらったものの、彼らのあとをのこのこついていった。もしかするとこの連中は東洋人に興味があり、ちょっと立ち話でもしたいのだろうと想像したからだ。僕も黒人と話すことがめったにないし、暇つぶしにもなる。

一緒にパルー通りを50メートルも歩いただろうか、徐々に街灯が少なくなりだしたので急に不安になり、僕はきびすを返した。

数歩戻ったところでいきなりうしろから羽交い絞めにされ、そのままの格好で道路に引き倒された。あとのふたりがひたすら頭を蹴り、踏みつける。

イテテテ、イテテ。

腹と顔を蹴られないようエビのようにからだを折り曲げ、両手で顔を覆う。

あれっ、フランス語で「助けて」ってなんだっけ。こんな大事なときに思い出せない。しかたがないので英語で叫ぶ。

「ヘルプ! ヘルプ!」

しかしその声に反応したか、頭を蹴るふたりのうちひとりが蹴りをやめ、すばやく僕のからだをまさぐってジーパンの右のサイドポケットにあったお札全部を引き抜くと、今度は3人いっせいに脱兎のごとく逃走した。

すぐに起き上がって連中の逃げた先を目で追ったが、町の風景がかすんで見える。もしや目を蹴られて傷を負ってしまったのか。しかしそれは気が動転していたせいの思い違いで、実際は、かけていためがねがもみ合ったときに吹っ飛ばされたためだった。めがねは、フレームの左右のつるがほぼ一直線にひん曲がった状態で路上に落ちていた。

首と右のこめかみに痛みがある。頭を何度も蹴られたり踏まれたりしたせいで、首の筋を痛め、さらに右のこめかみから出血していた。パルー通りは趣のある石畳の道だが、アスファルト舗装した滑らかな路面と違って凹凸があるだけ、こういうシチュエーションでは肌を切りやすい路面でもあるのだ。

それにしてもこういうときの憤りというのは消化しづらい。犯人が逃げ去ってしまった今、怒りの持って行き場がないのだ。好奇心から連中のあとにのこのこついていった自分の愚かさを嘆く以外、どうしようもない。

さてどうしたものかと路上で思案したあげく、やはり警察に行くことにした。幸い、こめかみの出血はたいしたことがないし、被害額も日本円で7500円ほど。この国では大騒ぎするほどの事件ではないのかもしれないが、しかしこのままなにもしないで宿に戻る気になれない。あいつら3人の顔はしっかり脳ミソに刻み込んでいる。僕はひん曲がっためがねのつるを指で適当に元に戻してかけると、目の前の建物の住所がパルー通り15番地であることを確認して大通りへ出た。

西ヨーロッパのミネラルウォーターはほぼガス入り。慣れるのにちょい時間がかかる。

警察署を探して歩き出したとたん、運よくパトカーが通った。急いで手を上げて走り寄り、車窓を開けた警官に英語で事情を説明したところ、

「それは大変だ。警察へ行きなさい」

それだけアドバイスすると彼は窓を閉め、パトカーは行ってしまった。

むむむ、どういうことだ?警察へ行けって、おまえは警察の人間じゃないんかい。

怒りは増幅し、絶対に警察に訴えてやると誓う。

通行人に警察署の場所を確認してようやくたどり着き、受付で簡単に事情を説明したところ、担当の中年の警官はずいぶん同情してくれ、取調べ室のようなところへ僕を通して再度熱心にこちらの話を聴いてくれた。そして、

「どこで襲われたか、場所を正確にいえる?」

「はい、パルー通り15番地の前で」

「パルー通り15番地?」

彼はそう聞き返し、壁に貼られた大きなマルセイユ市街図と向き合って場所を確認する。そしてこういった。

「パルー通り15番地。ここだね。うーん、残念。その通りは管轄違いなんだよ」
「はあ? 管轄違い?」

「そう。この警察署では扱えないんだ。ほら、地図上のこの警察署がパルー通りを管轄しているから、あなたはそっちへ行かなければならない。それに、もう午後11時か。今夜は遅いから、今から行っても無理だな。明日の朝、行きなさい」

トホホや。心底トホホや。これでは増幅した怒りの矛の納めどころがないじゃないか。

しかしこういわれてしまえば、今夜やるべきことがない。被害届は明日の朝の話だ。しかたがない、今日は宿に帰ってピザを食べよう。どうにか気分を落ち着かせて、ピザにまで気持ちが向いたところではたと困った。買ったはずのピザがない。今までピザのことを完全に忘れていた。さては路上強盗め、俺の夜食のピザまで持ち逃げしやがったか。

まったく踏んだり蹴ったりの典型例である。

ナルボンヌ近郊のぶどう畑。枝道に一歩入ると、丈の低いワイン用ぶどう畑が広がる。

ポケットをまさぐると、小銭で15フラン(375円)出てきた。連中はお札だけ持ち逃げしたのだ。僕は警察署を出ると、1時間ほど前に立ち寄ったテイクアウトのピザ屋へ直行し、その15フランでもう一枚「ピッツァ・フロマージュ」を買って宿の前まで来た。

忌まわしい路上強盗の現場はその50メートル先である。僕は被害現場をしっかり頭に叩き込んでおこうと決心し、宿を通り過ぎてパルー通り15番地まで進む。

ここだ。たった1時間ほど前、僕はここで強盗に襲われた。こめかみの出血は止まったが、側頭部と首筋はしばらく痛むだろう。明朝、絶対に警察に被害届を出すぞ。

心の中でそう力強く宣言して、路上に視線を落とす。と、そこには、強盗連中が持ち去ったと思い込んでいた「ピッツァ・フロマージュ」の薄っぺらな箱が、上下逆さまの状態で落ちていた。

僕はついニヤリと笑ってそれを拾うと、両手のひらに「ピッツァ・フロマージュ」の箱をひとつずつ載せて宿に戻った。

 

『あるきすと平田のそれでも終わらない徒歩旅行~地球歩きっぱなし20年~』第4号より一部抜粋

著者/平田裕
富山県生まれ。横浜市立大学卒後、中国専門商社マン、週刊誌記者を経て、ユーラシア大陸を徒歩で旅しようと、1991年ポルトガルのロカ岬を出発、現在一時帰国中。メルマガでは道中でのあり得ないような体験談、近況を綴ったコラムで毎回読者の爆笑を誘っている。
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