MAG2 NEWS MENU

【クリミア炎上】鳩山元首相の友愛思想を地球人目線で紐解いてみた

先般のクリミア訪問で大バッシングを受けた鳩山元首相。私たち凡人にはいろいろと理解しがたい言動も見受けられるのですが…、そもそも鳩山氏ってどんな人物なんでしょうか。気鋭の若手政治学者・岩田温さんは「バカでも愚かでもないが政治家にだけはなってはいけない人物」と分析します。

徹底分析「鳩山由紀夫の政治思想」

岩田温の『政治哲学講義』第2号より一部抜粋

鳩山由紀夫の政治思想

鳩山とはいかなる政治家なのか。早速その分析に取り掛かることにしたいが、第一に取り上げるべきは彼の「友愛」思想についてだろう。

祖父鳩山一郎も掲げた「友愛」とは、いかなる思想なのだろうか。

いうまでもなく、この「友愛」思想はEUの生みの親とされるカレルギーの思想に端を発するものだが、鳩山は「友愛」思想は現代的意義を有すると考えている。

鳩山は二十世紀を自由原理と平等原理とが相互に戦いあった時代であったとみなす。

すなわち、一方には個人の自由を至上価値とみなし、社会の全てに市場原理を貫徹させようとして放縦に陥る資本主義が存在し、他方には人間の平等を至上価値とみなし、個人の自由を圧殺し画一的な平等を実現しようとして全体主義体制に陥る共産主義が存在した。

鳩山は自由と平等の二つのイデオロギーが衝突した時代として二十世紀を把握するのである。そのうえで自由と平等のそれぞれの長所を活かし、短所を改めるためにカレルギーの「友愛」に着目する。「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」と主張したカレルギーの思想に共感しているのだ。そして鳩山は「友愛」の核心を「自立と共生」と解釈する。自由原理主義、平等原理主義ではなく、「自立と共生」こそが来るべき時代の基本理念でなくてはならないというのだ。

なお、「自立と共生」の理念は、単に個人の在り方を指すのみならず、国家の在り方そのものをも指し示す理念だという。従って鳩山は自らを「自立と共生」の哲学に基づいた「友愛社会」を建設するための改革者と位置付けている。

それでは現在の日本において「自立と共生」の哲学は確立されているのであろうか。鳩山は否という。個人の生き方は官僚に依存し、国家の外交安保はアメリカに依存しており、日本国民も日本国家も真の独立状態にはないと指摘している。

目指すのは「自立と共生」

それでは、具体的に鳩山は何をどのように改めろと主張しているのだろうか。まずは国内政治についてみてみよう。

戦後の自民党が作り上げたシステムとは、中央に権限と財源を集中させ、地方に分配するという中央集権体制に他ならなかった。いうまでもなくこうしたシステムを構築した代表的存在が田中角栄である。鳩山に従えば、こうした中央集権的なシステムは当初有効に機能していたが、現在では環境破壊、財政破綻、政治腐敗を生みだしているという。

これらの危機から脱するためには中央集権的なシステムから地域主権システムへの移行が不可欠だと鳩山は主張する。中央集権によって肥大化した政官業の癒着を断ち切り、政治主導のシステムを確立することが急務だという。

そして、地域主権国家樹立の暁には、当然従来のごとく国民は官に依存するだけでなく、積極的に政治に関与していくことになる。その際に重要なのが「補完性の原理」なのだという。

補完性の原理とは次のようなシステムを成立させる原理である。まず最初は最小限の個人から出発し、個人が出来ることは全て個人で行い(自立)、個人の手に余る問題を家庭で解決する。同様に家庭の手に余る問題は地域やNPOへ、地域の手に余る問題は地方行政へ、地方行政に手の余る問題は国家へ、そして国家の手に余る問題は国際機構へ…と個人の自立と共生が補い合って発展していくという過程の根底を為す原理を「補完性の原理」と呼ぶのだ。

外交、安全保障についての鳩山の見解も「自立と共生」の友愛思想を根底に置いている。

戦後日本外交の基本方針はいわゆる吉田ドクトリンであった。日本は国家の自立の問題を問うことを避け、憲法九条を盾に米国への追従に終始し、自国の防衛問題を真剣に問うことなく経済活動に従事してきた。

こうした日本は真の意味で自立していないと鳩山は指摘する。そして「日米同盟は基調としながらも、日本に米国の軍隊が未来永劫駐留し続けるのを当然のことと考えてはいけない。米国にもはっきりと主張しなければ、日本としての誇りを失い、独立国とみなされない」(「自民党倒幕に向け、死闘に挑む」『中央公論』2002年9月号)とまで言い切っている。

また、かつては「常時駐留なき安保」への転換を図るべきであるとも提言している」(「民主党 私の政権構想」『文藝春秋』1996年11月号)。

米国への追従を止め、日本が自立した暁に東アジア共同体の創造を目指すべきだという。鳩山の外交における「自立と共生」とは、具体的には日米安保体制の弱体化と東アジア共同体を模索する動きを指す。

国家の内外において「自立と共生」を基調とする「友愛」社会を建設することが鳩山の悲願であると考えてよいだろう。

鳩山における「日本」の不在

さて、長々と鳩山の政治思想の紹介に努めてきたが、その検討へと移りたい。まず、鳩山を従来の社会党や共産党と同じような意味合いで「左翼」と呼ぶべきではなかろう。本人も共産主義への反対を表明しており、何よりも彼らが金科玉条の如くに繰り返していた「護憲」に対して極めて批判的な人物だからである。鳩山は『新憲法試案』(PHP研究所)を自らでまとめ上げ、現行の日本国憲法を大きく改める必要性を訴えている。彼を旧来の「左翼」と呼ぶことは、端的に誤謬である。

それでは、鳩山は日本の舵取りを任せるべき政治家と言えるのであろうか。

私は否といわざるをえない。

鳩山には日本の政治家として最も大切な部分が欠如していると痛感するからである。殆どの著作を通じて鳩山から日本への愛情を感じることができないのである。我が国の歴史と伝統の重みを体感するという政治家としての当然の心構えがないのだ。

例えば、菅直人との対談の中で鳩山は友愛について次のように語っている。

「それは、『地球市民』としての立場から『自立と共生の社会』というものを、世界に向けて発信することです」(『民益論』PHP研究所)

宇宙人・鳩山由紀夫

また別の雑誌では、自らのことを「地球人らしくなった」と語る対談者にこう語っている。

「それはこまりましたね…宇宙人という言葉はけっして悪い言葉だとは思っていなかったから(笑)。地球規模を越えた発想をもつ、少なくとも日本列島から離れて地球全体を見渡すためには、宇宙からの意識をもたなきゃいけないということです。しかし、民主党をいかに、より国民に認められる政党に脱皮させるかを考えると、地に足のついた伝統というものも重視しなければならないと思っています」(『VOICE』2000年3月号)

信じがたい発言と言わざるをえない。鳩山は宇宙的感性こそが肝心であり、日本の伝統とはあくまで選挙対策として取り組む必要があるといった程度の認識しか持ち合わせていないのだ。この発言が冗談ならば、余り面白くもない不気味な冗談程度の話ですむが、他でも宇宙人としての自己認識を語っている。

「私は『宇宙人』と呼ばれることがあります。どんな意味合いでそう呼ばれるかは別として、私は私なりの解釈でむしろ喜んでいます。…(略)…宇宙意識の中で、より先見性を持って行動したいと思っている人間が宇宙人だと考えると、この呼び名は大変光栄なことだと、自分で勝手に自らを勇気づけています」(『成長の限界に学ぶ─A・ペッチェイ 21世紀への行動指針』小学館)

別に宇宙人だと自己認識することが悪いことであるとは言わないが、日本の政治家としては不適切だと言わざるをえないだろう。各国がそれぞれの国益を追求して熾烈な争いを展開している中で、日本の国益を追求すべき総理が、日本人である前に宇宙人であることを誇っているのだ。これでは日本が国際競争に勝ち残っていけるはずがないではないか。

そういう国家に囚われた思考そのものが古いのだといわれるだろうが、宇宙意識に目覚めていない私としては、少なくとも自らの祖国日本が末永く続いてほしいと願っている。地球規模、宇宙規模で考えれば、確かに日本一国の消滅など大きな問題ではないのかもしれないが、日本人の私としては日本の永続と発展を何よりも望んでいる。多くの日本人も同じ気持ちであろう。宇宙意識に目覚めた人々から見れば、矮小な自己意識に執着しているように思われるかもしれないが、少なくとも政治家とは祖国の発展と永続を望む存在でなければならない。

外国人参政権に見る宇宙意識

国家意識の欠如、主権意識の欠如、日本への愛着の欠如…。要するに日本の政治家として欠かせないはずの意識が鳩山からは全く欠如しているのだ。そうした欠如が露骨に表されたのが外国人参政権問題に関する鳩山の認識である。

外国人参政権は地方参政権のみならず、国政に関しても付与すべきであると表明した「わがリベラル・友愛革命」(『Ronza』1996年6月号)においても、鳩山は宇宙人的な感性を披露しているのである。

「『エンデバー号』で宇宙を飛んだ若田光一飛行士は…(略)…地図には国境があるが、実際の地球には国境が存在しないということを、どのように実感したであろうか。宇宙意識に目覚めつつあるこの時代に、国とは何なのか、私たちは何のために生きているのかを、いま一度考え直してみるべきではないか、政治の役割をいま見つめ直す必要があるのではないかと思う」

宇宙意識に目覚めつつある時代であるがゆえに、旧来の国境などにこだわるべきではないというのだ。人間であれば誰にでも参政権を与えてしまえという鳩山の宇宙的感覚が露わにされている。そこには国家意識が皆無である。

日本の政治家である鳩山は、宇宙意識に目覚める前に日本人としての国家意識に目覚めるべきではないのか。国籍の重み、主権国家の意義、祖国の来歴に思いを馳せるべきではないのか。

一人の学者としてこうした宇宙意識から政治に関心を持ち、様々な提案をするのは結構なことであろう。だが世界各国は「宇宙意識」を持ち合わせず各々熾烈な生存競争を繰り広げている。日本のみが宇宙意識に目覚め、「地球市民」として振る舞ったところで、それは日本の自滅を意味するだけで、地球も日本国家も救えない。

鳩山は個人としてはいい人なのであろう。学者としても決して資質に欠けた人物だとは思わない。「バカ」でも「愚か」でもない。しかし、政治家にだけはなってはならない人物である。

(2010年6月執筆)

 

岩田温の『政治哲学講義』第2号より一部抜粋
著者/岩田温
政治学者。様々な政治問題、歴史問題に関して幅広く問題提起を行う。NHKの特番では半藤一利、鳥越俊太郎らと激しい論争を行った。そんな岩田さん、メルマガでも様々な問題を取り上げ鋭い論を展開中!
≪無料サンプルはこちら≫

 

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け