齢94歳。ネパールで最高栄誉を受けた日本人「コンドウ」さんの偉業

 

黄金の稲穂

近藤さんが取り組んだプロジェクトの1つに、高地での稲作がある。日本一の水稲王国新潟で生まれ育った近藤さんは、黄金の稲穂をこの地で生み出そうと決心した。

もともと熱帯性植物であるイネを、品種改良してきたとは言え、高地栽培は日本でも新潟や長野などでの標高1,000mが限界だった。それをいきなり標高2,750mの河川敷台地で栽培しようとしたのである。成功すれば、世界最高地での記録となる。

近藤さんは、北海道や青森などの試験場を訪ねて、冷寒用品種の種子を分けて貰い、試しに植えてみた。いずれも、出穂期、穂膨(ばあら)み期までは順調の発育するのだが、最後はすべてしいな皮だけで実のないモミ」で終わってしまう

そんな時、故郷の農業試験場の専門家から、重要なアドバイスを得た。稲はどんなに立派な穂が出来ても、出穂期に15度以下に気温が下がると、「しいな」になってしまう、というのである。

それならと、7月の初めから田んぼの上全面にビニールシートを懸けて、保温してみようと思い立った。しかし、問題は毎日吹く風速10~20mの強風である。これに吹き飛ばされないように、ビニールシートを張らなければならない。

そこで、水田の中に、大量の竹を高さ1mほどに立て、その上に縦、横、×字に竹を指し渡して、ビニールシートをしっかりと固定した。

3,000m近い高地だが、日差しは強い。ビニールシートの下は朝でも水温20度とむっとする温度を保った。毎日、祈る思いで水田を見た。やがて見事な黄金の稲穂が立ち並んだ。どの株も丸々と太り、着粒数も申し分なかった。

平成8(1996)年9月、苦節4年にして、ネパール人青年スタッフたちと、初めての稲刈りを喜びに沸きながら無事に済ませた。その夜、近藤さんは感激に胸が震えて、いつまでも寝付かれなかった。

石垣ポリハウス

近藤さんは、この技術を発展させて、標高3,600mの高冷地ガミ農場で試してみることとした。富士山頂に近い高さである。

その矢先に、郷里の米作りのアドバイサーから再び貴重な助言が届いた。ポリエステル波板パネルを使えば、ビニールシートより高価だが、耐用年数は15年から20年に延びるという。

さっそく調べてみると、幸運にもカトマンズで、昨年からポリエステル生産工場が操業を開始していた。すぐに透明パネル200枚を発注して、車で運べる所まで運んで貰い、そこからは1人10枚づつ背負って、人力でガミ農場まで運んだ。

パネルは高価なので、少しでも安価に仕上げるために、側面を石垣で囲い、屋根だけポリエステルパネルで張ることにした。石垣は厚さ60センチ、屋根側は2m、裾側は1.5mとして傾斜をつけた。石と石の隙間は泥で密閉した。

石垣作りは家造りに使われる技術で、この地方の人々にはお手の物だった。大小の岩を鉄のハンマーで打ち砕き、小さい金槌(かなづち)で手頃の大きさに形作る。それを直線に張った縄に沿って、垂直に積み上げるのである。

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