「ムスタンのリンゴ」
加藤さんはもともと果樹の専門家で、JICA時代にムスタンの状況を調べて、耐寒性の強いリンゴ、アンズ、ブドウ等の果樹栽培を提案していた。その提言に従って、ネパール政府がリンゴ栽培に乗り出したが、失敗していた。指導すべき技師たちが、ムスタンのあまりにも厳しい気候に耐えきれず、定住を拒んだのである。
近藤さんは、自分の提言は決して間違ってはおらず、失敗の原因は、何がなんでもやり通すという意欲の欠如と、ムスタンの厳しい気象条件を無視した技術指導にある、と考えた。
おりしも、リンゴ栽培に失敗したドンバ村の人々が、助けて欲しいと依頼してきた。そのリンゴ園を実際に見て、近藤さんは驚いた。8ヘクタールの園地を立派な高い石垣で囲み、一番高い所に大きな貯水池が設けられ、通水路も立派に作られている。
しかし、葉は未だ9月中旬なのに黄色がかって小さく、所々実がついている木は鈴なりに小さいリンゴが成り放題だった。近藤さんは、2、3年のうちに、立派なリンゴ園に蘇らせてやろうと決心した。近藤さんは村の優秀な若者数人を集めて貰い、手取り足取りの指導を始めた。
うまい大きなリンゴを栽培するには絶対にこんなに鈴なりにならせてはいけません。1つの花群に1つ、それも一番真ん中の果実のじっくり太った中心の実を1つだけ残し、後は全部間引いて捨てるのです。
さらに丈の高い幹を切って、低い位置で実を成らせ、風にやられないようにする、どの枝にも日光が良く当たるように剪定する事などと教えた。若者たちは理解も早く、近藤さんの手足となって良く働いた。
数年を経て、立派なリンゴがたくさんとれるようになった。「ムスタンのリンゴ」としてブランド化され、ネパールの高級スーパーでも取り扱われるようになった。
「日本人の根性」
近藤さんはさらに、松や檜の植林、乳牛の飼育とミルクやバターの生産、小中学校や病院の建設など、八面六臂の活躍を続けている。今も94歳の老齢をものともせず、標高3,600mの高冷地の一室に暮らしながら、ムスタンの人々のために尽くしている。
こうした功績が高く評価されて、2013年にネパール民主政府から最高栄誉となる「スプラバル・ジャナセワスリー1等勲章」を外国人としては初めて受賞した。
ムスタンでは近藤さんを知らない人はいない。近藤さんがどこに行っても、子どもからお年寄りまで「近藤バジェ(おじいさん)ナマステ(こんにちは)」と笑顔で挨拶してくる。
「真の国際協力は深い人間愛であり、決して物資、金品の一方的供給ではない。支援を受ける人々が心から感謝し、自らが立ち上がる努力をはらう時、初めてその真価が現われるのである」と言い、「ボランティアやNPOもこういう日本人の根性を勉強しなければいけない」と笑う。
近藤さんの言う「日本人の根性」とは、江戸時代に多くの農村の復興を指導した二宮尊徳を思わせる。その土地の自然に随順しながら、自らの工夫と努力で豊かな生活を作り上げていく。それは自然を守りながら、豊かな生活を作り上げるわが国伝来の道である。
文責:伊勢雅臣
image by: Kondo Foundation
『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』
著者/伊勢雅臣
購読者数4万3千人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。
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