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世界の競馬を知る男が現地取材。ドバイワールドカップデーの舞台裏

世界の競馬を知る男、カズ石田さんが現場で感じたリアルな情報を届けてくれるメルマガ『馬に近い人間から見た、馬、競馬』。今回は先月末に開催された世界的レース「ドバイワールドカップ」が開催された現地ドバイで取材を行った際のお話を紹介してくれています。現地ドバイの様子から、関係者でなくては知りえない舞台裏の情報まで、競馬好きにはたまらない貴重なエピソードばかりです!

2016年ドバイワールドカップデー(1)

先月末に開催されたドバイ国際競走に、昨年に続いて撮影をしてきました

昨年はカタールのドーハ経由で行って私だけがドバイに到着して預けた荷物がドバイでなくドーハにあったという珍事がありましたが、今回は羽田から直航便でしたのでドーハに荷物があるのではないかという心配はせずに済みました(笑)

3月22日の火曜日の夜、羽田で飛行機の搭乗案内を待っていたら、今日本にいる香港のカメラマンのローさんもいました。偶然にも同じ便になりました。

同じ週の日本の高松宮記念に連覇を目指して出走予定だった香港調教馬のエアロヴェロシティが残念ながら取り止めてしまったことで、香港のカメラマンが急遽そして大挙押し寄せることになった話も聞きました。

ローさんは当初から高松宮記念でなくドバイの予定でしたが、それを聞いてドバイで会える人が増えるなと思いました。

エアロヴェロシティの回避の報らせはドバイワールドカップデーまで1週間を切っていましたので、ドバイの広報部は香港からの急な大量の取材申請で大変になっただろうと想像します。

だからドバイではオーマイゴッドでなく「オーマイアラー!」って言っているに違いないと笑いながら話していました。バチあたりです(笑)。

翌23日の水曜日の朝にドバイに到着し、今年は無事に自分の身体だけでなく荷物も一緒に到着したのを確認できて安心してまずは宿泊先に向かいました。

そこには香港の取材陣が既にいて、いろいろ教えてもらってからローさんと朝食を食べました。朝食を食べたバイキングでは日本食コーナーとして寿司もありまして、そこで日本酒をイメージした飾り(飾りはあとでわかったのですが(笑))にお猪口に液体が入ってあったので、日本人の私は日本酒のつもりで飲んでみたら醤油だというオチがありました(笑)

日本人なら『日本酒』という文字を見て醤油だなんて誰も思わないでしょう。ドバイ、恐るべしです(笑)

朝食を終えたら取材許可証を受け取るためにメイダン競馬場に行きました。

ドバイは見た限り昨年同様に建設ラッシュのようで、宿泊先から競馬場までの途中の風景も昨年とは異なっていました。

メディアセンターには香港の取材陣たちと一緒に入り、そこで日本の大先輩のカメラマンの岡田さんも既にいて香港の人たちに挨拶をしていたので、私は悪ノリして香港の人たち同様に英語で挨拶をしました(笑)こんな悪ノリにも気さくに応じてくれる懐の深い人です。

そして受付で並んでいるとアメリカの取材陣も既にいて、彼らにも挨拶をしました。

昨年も思ったことですがアメリカ人は基本、やかましいですね。日本人の私もそれは負けてませんが(笑)。

そして取材許可証を受け取るとき、受付の人が「去年も来てたよね。覚えてるよ。」と言われたのも嬉しかったです。

この日はドバイワールドカップの枠順の決定が公開で行われました。去年は枠順確定後に到着しましたので、これもまた楽しみでした。

ドバイはクジを引く人が選んだ馬の名前が呼ばれ、そしてその関係者が時間内に空いている好きな場所を選んでいくという方法でした。

香港の国際競走だと関係者がクジを引いて出た場所になり、次にクジを引く馬の関係者もクジを引くという方法です。

場所が違うと方法も違ってなかなか興味深いです。

24日の木曜日は朝の4時に宿泊先を出るメディアバスに乗り、メイダン競馬場に行きました。

灼熱のドバイとはいえ、日の出前はやや肌寒いものがありました。

撮影が許可されているエリアは1コーナーから2コーナーにかけての芝コースとダートコースに挟まれているところで、そこに厩舎関係者も現れて取材を受けるようになっています。

この日の日本調教馬はUAEダービーで勝利を挙げたラニが、まだ暗い中で馬場に姿を現しただけでした。

そして日の出あたりからアメリカ調教馬が、大挙馬場入りをし始めました。

注目度の高かったカリフォルニアクロームにはやはりたくさんの取材陣が集まりました。そしてUAEダービーに出走したフランクカンヴァセーションが馬場入りする前に、デルマーやサンタアニタで見慣れた姿がありました。

ダグ(オニール厩舎)のところのアシスタントトレーナーのレアンドロ(モラ)でした。

もちろんレアンドロも私のことを覚えてくれていて、お互いに「久しぶりだね」と挨拶をして、レアンドロがタピット産駒ということでラニに注目していることも教えてくれました。

このような再会があるたびに嬉しくもあり、どこかホッとするところもあります。

何はともあれこのような再会がある私は大変恵まれていると思わずにいられません。

また馬場にはドバイワールドカップでボブ・バファート厩舎のホッパーチュニティに騎乗したフラヴィエン・プラット騎手の姿もありました

フラヴィエンは昨年から西海岸を拠点にし始めて、夏のデルマーではG1ビングクロスビーSを制するなど大活躍をしました。デルマーサラブレッドクラブが発表しているステーブルノーツでも「今、もっとも注目するべき若い騎手」のような形で、騎乗依頼をする立場のダグたちのコメントも添えられて紹介されていました。

秋には怪我で一時期戦線離脱を余儀なくされましたが、また復調してきました。

昨年の秋の怪我のようなこともあるので決して断言はできませんが、まだ20代前半の彼が今後無事に騎手生活を過ごせばかなり名を馳せるような活躍をすることになるでしょう。

ウマチカの読者の皆様にも、どこか頭の片隅に記憶していただきたい名前です。

25日の金曜日の朝は日本調教馬もたくさん馬場に姿を現しました。

ドバイシーマクラシックに出走したデュラメンテには、アメリカのカリフォルニアクロームに負けないくらいの取材陣が集まりました。日本人のプレスが多かったせいで余計にそのように見えたのもあったのでしょうが、注目度の高さを感じました。

またドバイゴールデンシャヒーンに出走した香港のリッチタペストリーも馬場に姿を見せて、この日は報道陣がいるエリアにマイケル(チャン調教師)とアーヴィン(厩務員)がいました。

この二人は世界のどこの競馬場にもいます。マイケルと挨拶をすると「You are everywhereどこにでもいるなあ)」とお互いに言い合いました。

もはやこれが彼と私との挨拶のうちの一つなのだと私のほうは感じてしまうものです。そしてそんなマイケルと私のやりとりを見ていた香港のメディアのひとたちは笑っていました。

パワフルな香港の人たちにも、私はさすがに呆れられてしまったのかもしれません(笑)。

ちなみに香港の競馬は騎手だけでなく調教師も海外出身の人が多くて英語で取材を通常しているのですが、香港出身のマイケルですと地元の言葉で取材を受けて答えているのです。

これはこれでけっこう珍しい光景なのかもしれません。残念ながらそのときのマイケルが何を話しているのかまったくわからないのですが、取材陣が笑っている反応、笑顔からとてもいい関係を築いているのではと想像しました。

またこの日も馬場にやってきたレアンドロからは「いつカリフォルニアに戻って来るんだい?」と尋ねられ、「また夏のデルマーで帰るよ」と返事をしました。

これまで幾度も書いてきたことなのですが、アメリカはもはや第二の故郷というのが私の中の認識です。それを自分だけでなく他の人も言ってくれるのはとても嬉しいことです。

この日はレース当日のカメラマンのポジションを決定する日でもありました。

昨年も日本の多くの大先輩たちよりも早く場所を決めることができましたが、今年も昨年とだいたい同じ場所で撮影させていただくことができるようになりました。

昨年は決まった直後だけは気後れを感じてしまいましたが、今年はそれはなかったです。たった1年でこの気後れをしないようになったことは、自分を褒めてもいいと思えることでした。

この日の夕食はカリフォルニアのロサンゼルスから来ていたカメラマンのメラニーと、宿泊先から歩いていける場所にあるタイ料理店で夕食を食べに行きました。

なんだかんだで海外に出ると日本人と一緒に食事をすることがあまりありません

昨年末の香港で日本のカメラマンの稲葉さんと食事をしたことは私には稀なケースです。

ただこの日も連日の早起き(と言いましても3時過ぎですので、厩舎の仕事をされている方と比べたらたいして早くありませんが)で食事後はすぐに眠たくなって、自然と翌日のレースに備える形になりました。(次号へ続く)

image by:  Sukhanova Daria / Shutterstock.com

 

馬に近い人間から見た、馬、競馬
以前に約10年間、障がい者乗馬の活動に参加し続け、そこで実際に馬と接していて馬に近かった存在の人間でしたが、現在も以前とは違う意味で馬に近い存在ともいえます。
そのような人間が現在撮影している者として肌で感じた馬のこと、そしてアメリカをはじめ世界の競馬も皆様に伝えることができればと思っております。
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