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【京都】白砂と石の小宇宙。観る側の心を映す「枯山水」を観に行こう

静寂の中にある控えめな美しさ。枯山水庭園は、まるで古き良き「日本人の心」をあらわしているようですね。歳とともに興味をそそられるようになってきたという方も多いのではないでしょうか。無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、知れば知るほど奥深い「枯山水庭園」の魅力をじっくりと紹介しています。

枯山水庭園の魅力

今回は京都の禅寺で多く見られる枯山水庭園がテーマです。前半では枯山水庭園がどのような経緯で造営されるようになったかをご紹介します。その後、枯山水庭園を構成する代表的なものを一つずつ見ていきたいと思います。石組や燈籠(とうろう)などは枯山水庭園以外の庭にも見られるものなので、日本庭園の鑑賞全般にも役立つ内容となっています。

そもそも庭とは本来どのようなものだったのでしょうか? その昔、日本の庭は朝廷が儀式を行う神聖な場所だったと言われています。平安時代には寝殿造りと呼ばれる貴族邸宅に浄土式庭園が造営されるようになりました。浄土式庭園は極楽浄土あの世の世界をこの世に再現した庭園です。代表的なものは十円玉にも描かれている世界文化遺産・宇治平等院鳳凰堂です。

鎌倉時代になると禅などの仏教的な思想と結びつき枯山水庭園が多くの禅寺で造営されました。枯山水庭園は水を使わず石や砂で風景を表現する日本独自の庭園形式です。今日京都などで多く見られる枯山水庭園の様式は、室町時代の禅宗寺院の庭を中心に発展を遂げてきました。

かつて禅宗寺院の方丈の南側は儀式をとり行うための場所でした。その場所に清浄を意味する白砂を敷き詰めた「無塵の庭」を造りました。横広の台形型の盛砂を見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?

時代と共に儀式の場が室内になったことで、南側の庭は儀式に用いられなくなりました。冥想や座禅の場にふさわしい造景として枯山水が造られるようになったのはそのような時代の流れからでした。

枯山水は、歩き回れるような「回遊式庭園」や草庵茶室に隣接して設けられる「露地」などの庭園とは違います。そこには散策などの実用的要素はありません。方丈などの室内から静かに眺めて鑑賞するように構成されています(龍安寺などでよく縁側から石庭を眺めている観光客が多いですが、本来は部屋の中から鑑賞するものなのです)。

禅は深山幽谷の大自然の中で座禅を組み悟りに至り、自らを変革するという仏教の宗派です。なので、花を生けるといった遊興的な要素は不要なのです。

白砂の上に大小の自然石を立て組み合わせることで、観念的世界を創造します。山の峰や、渓谷、大河やせせらぎ、静まりかえった海やそこに浮かぶ島々などを表現しています。またそれらの景色は仏教の世界観や宇宙観であったりします。自らの存在を自然と一体化させることで無の境地に立とうとするために造営されているのです。何も見えないものの中に何かを発見するといったところに枯山水の本質があります。

このように枯山水庭園は、高い精神性と抽象性によって表現されています。そのため見る人の心境によってその様々な感じ方や解釈が生まれるところに魅力があります。

枯山水庭園の仕組み

寺院によって多少違いはありますが、枯山水庭園の構成要素をいくつか詳しくご紹介しましょう。石の配置やその存在意義などを知っておくと、庭園の鑑賞をより深く楽むことが出来るようになります。

■手水鉢(ちょうずばち)

本来は神前や仏前で身を清めるための水を入れる器です。ただ、時代が下り茶の湯の発展と共に鑑賞を目的として使われるようになりました。

■白砂

砂紋によって水の流れなどが表現されています。かつては賀茂川上流の白川石が用いられていました。

■鶴島・亀島

昔から「鶴は千年、亀は万年」と言います。そのことから長寿を願って配置されている庭園が少なくありません。

亀島は亀の頭や足を石組みで表現しています。白砂の庭に石を一つだけ置いて、あたまや甲羅だけが水面から浮かんでいる様子を表現したものもあります。

鶴島は立石の左右に翼を表す羽石(はねいし)を持った構成になっていることが多いです。

■借景

庭園の外にある山や竹林など、自然風景を庭園の背景として一体化させた作庭技法です。京都では、東山、比叡山、嵐山などを借景とする庭園が数多くあります。特に後水尾天皇の幡枝(はたえだ)御所跡に建てられた円通寺の方丈正面の比叡山を借景に取り入れた庭園は絶景です。

■石組

神仙思想を象徴する蓬莱島(ほうらいじま)や、仏教思想を象徴する須弥山(しゅみせん)などを表現しています。庭園を構成するとても重要な要素です。仙人や仏が住む深山幽谷の趣を表します。

■三尊石組

三尊仏に見立てて、中央に立石(りっしゃく)を、両脇に小立石(しょうりっしゃく)を配した3個の石組をいいます。大きなお寺に行くと本堂などに真ん中に阿弥陀様が、その両脇に観音様が立っているのを見たことがあると思います。その様子を表したのがこの三尊石組です。

有名なところで言うと、南禅寺の塔頭金地院の霧島の庭の正面にこの石組があります。そして、金地院にはその真裏に徳川家康を祀る東照宮が建てられています。方丈から眺める三尊石組は間接的に家康公を拝むことが出来るよう配置されているのです。これは生前家康のブレーンとして活躍し黒衣の宰相と言われた金地院以心崇伝の粋な計らいだとされています。

■枯滝(かれたき)石組

立嶋模様の石によって流れ落ちる水を表現したり、角が取れた丸い石を敷き詰めて滝の下で渦巻く水を表現しています。

■燈籠(とうろう)

本来は社寺の参道を照らすものですが、茶の湯や庭園文化の発展と共に鑑賞を目的とする置物になりました。枯山水庭園に限らず様々な様式の庭園に設置されていてその種類も豊富です。

■船石・舟形石

船形の石を白砂に配して、深山幽谷へ向かう船を表しています。大徳寺の塔頭・大仙院の庭などにダイナミックに配された船石を観ることが出来ます。

これらは代表的なものですが、日本庭園、とりわけ枯山水庭園は精神性や思想などが抽象的な形で表現されているのが特徴です。

16世紀の半ばにキリスト教が伝来します。当時の天下人・織田信長は京都の中心部に南蛮寺というキリスト教布教のための寺を建てるほど西洋文化の受け入れに寛容でした。この時ルネサンス期に流行した宮廷風庭園の作庭技法も日本に伝わりました。それまでの日本庭園とは趣が全く違い花などが植えられているガーデン」です。それは遊興的で、見るものを楽しませる華やかなものでした。当時は庭に花が植えられているなど想像もつかない光景だったでしょう。

そして、遠近法や幾何学的な文様黄金比率などを計算にいれた配石などが用いられるようになりました。このような近代的な作庭様式をヨーロッパから積極的に取り入れたのが茶人でもあった作庭家小堀遠州(こぼりえんしゅう)です。彼の作庭した庭、または江戸時代初期以降に作庭された庭はこのような要素が含まれているのでその違いがすぐに分かります。是非、皆さまも京都でその違いを見つけてみて下さい!

image by: Shutterstock

 

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