台湾人が問う、日本の「植民地支配」は本当にあったのか?

台湾人が問う、日本の「植民地支配」は本当にあったのか?
 

日本人しか成し遂げられなかった台湾の近代化

では、日本人のみが今日の台湾をつくれたのだろうか。日本人以外には、近代台湾をつくることができなかったのだろうか。答えは「イエス」である。近代台湾の文明開化には日本精神が必要不可欠な要素だったのである。そのことについても、後々触れるつもりである。

では、日本精神とはいったいどんなものなのだろうか。それは、新渡戸稲造の言う「武士道」だけではない。それは、江戸時代までに熟成した日本文化であり、開国維新後の明治人によって、いっそう開花された精神である。それが文明開化の波に乗り、台湾という南の島でも開花したのだった。

未知への好奇心、異域探険への冒険心、厳密にして徹底している科学探究心、土地を愛する心。日本精神には、これらすべてが含まれている。そして、その極致として、護国の神となって土地に骨を埋めることを台湾人に教えたのが日本人であった。

近代台湾をつくった日本人の功労者のなかで、まず挙げなければならないのは学校教師医師と警察である。また、社会建設に貢献したのは技師である。

そもそも台湾は、土匪が支配する社会であったため、土匪の武装勢力を平定して警察が社会治安維持の主力となって、はじめて台湾に法治社会の基礎を築くことができた。20世紀初頭の人類最大の夢は、夜警国家の樹立であった。

また、台湾は識字者の少ない地でもあり、日本領台以前に学齢期学童の就学率は2%以下であった。しかし、日本による近代実学教育によって、台湾人は近代国家の国民として成長することができた。日本統治時代の台湾における学校数や教育内容は、日本国内のそれと比べても決して遜色ないものであった。戦前の台湾には四つの専門学校があり、教師は185名、生徒は841名であった。台北帝大などは、教師348名、生徒283名であり、学生よりも教師の数が多く、レベルの高い行き届いた教育がなされていたのである。

戦前の日本人、今では「植民地支配者」や「侵略者」と見なされている日本人は、じつに立派であった。ことに明治人は新生日本、国民国家の国造りを目指して「お国のため」一筋、進取の精神に富み、明治人の気骨を持っていた。

しかし、大正デモクラシー以後の大正、昭和、平成時代になると、日本人は変わってきた。だんだんと勇気を失い、臆病になり、無責任になった。そして戦後の日本人は、とうとういじめるかいじめられるか、どちらかの人間のみに堕してしまう。そのため、台湾人は「日本植民地時代を美化している」といわれるほど戦前の日本人を敬愛しているが、戦後の日本人には台湾で尊敬される人はあまりいない。戦後の日本人には戦前の日本人を批判する資格はないのである。

歪められ、貶められ続けてきた日本の過去を修正し、先人がいかにすばらしい歴史を築いてきたかを認識することが、誇りと気概に満ちた日本人となる第一歩である。台湾の近代史、日本と台湾のつながりを知ることが、その一助となると私は確信している。

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image by: Wikimedia Commons

 

黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』より一部抜粋

著者/黄文雄
台湾出身の評論家・黄文雄が、歪められた日本の歴史を正し、中国・韓国・台湾などアジアの最新情報を解説。歴史を見る目が変われば、いま日本周辺で何が起きているかがわかる!
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