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なぜ日本人はそこまでして「いい人」を演じ続けようとするのか?

米国公認会計士でフリー・キャピタリストの午堂登紀雄さんが様々なビジネステクニックや頭の使い方を紹介する、メルマガ『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』。今回は「最強の自由人になる方法」と題し、さまざまな思い込みから解放されてもっと楽に生きる方法を、午堂さんがとことんレクチャーします。これを読めば、日頃からどこか息苦しく感じていた人間関係の悩みから解放され、もっと自分一人の時間を大切にできますよ。

最強の自由人になる方法

この世で最も自由で自分らしく生きられる人とは、どのような人種なのか。

それは、普通の人が「恥ずかしい」「困った」「どうしよう」「不安で不安で」と感じることを、まったくそうは感じない人です。

たとえば何日も続けて同じ服を着ていても平気。頭ぼさぼさでも平気。パジャマでうろうろしても平気。スッピンでも平気。

自分の発言がその場を凍り付かせても平気。「バカじゃないの?」と言われても平気。

プレゼンがうまくいかなかくても平気。同僚の前で叱責されても平気。リストラされても平気・・・。

自分が発する言葉や行う行為の多くに対して、何をやっても恥ずかしいと思わなければ、「他人からこう思われたらどうしよう」という発想とも無縁です。

もちろんそれはなかなか難しいことではありますが、自分が感じる「恥ずかしい」のレベルが上がってくれば、それだけ周りの目を気にすることなく、自由に振る舞えます。

つまり、恥ずかしさに対してもっと鈍感になる恥ずかしさ不感症に感染することです。

それはどうすればいいかというと、物事や状況を「まあ、こういうこともあるさ」「なんとかなるさ」「これも人生、いろんなことがある」「そのくらい、失敗してもいいじゃん」「そんなに目くじら立てなくても」と切り替えることです。

私自身も、40歳を迎える直前くらいになって、ようやく恥ずかしさ不感症のレベルが上がってきました

それは、失敗や自分の未熟さ無能さをオープンにし、「それが僕なんですと言えるようになってきたということ。それは・・・

そうやって素のままの自分をさらけ出せばそれに慣れます。それで離れていった人もいるかもしれないけど、むしろ親近感がわくと言ってくれる人もいる

そして周りも「あいつはああいうヤツだ」と思うようになる。

すると自分を大きく見せる必要も、見栄を張る必要もなくなり、自然体で生きることができる。だから今の私には「気を遣うという気苦労がほとんどなくなりました。

社会を息苦しくしている犯人こそ「いい人」

たとえば多くの人は、自分の個人情報が洩れることを大きな問題にします。

以前にもご紹介した話ですが、某通信教育大手の企業で子どもの個人情報が漏洩するという事件が起き、わが家にも商品券が送られてきました。確かに企業からすれば、これは大きな不祥事と言えます。

しかしよくよく考えてみると、自分の個人情報が漏れたところで何か困ることはあるでしょうか

住所やメールアドレスが漏れたら、何かDMなどが来るかもしれないですが、無視すればいい。セールスの電話や訪問が来ても「いらないよ」と言えばいい。

子どもの情報が洩れたら誘拐などの犯罪に使われる?誘拐は突発的に行われるか、顔見知りの犯行であり、そんな無味乾燥なリストを使って子どもを狙うでしょうか?

クレジットカード情報が漏れたなら問題ですが、年収や貯蓄額や借入情報が漏れたところで別に実害は発生しないでしょう。

もっとも、悪徳セールスの餌食になりやすい高齢者や、別の目的で狙われる恐れがある若い女性などは気をつける必要があると思いますが、一般個人としてはとくに失うものはありません。

そうやって具体的に思考を深めていけば、私たち個人には実損は発生しないわけだから、過剰に気にする必要はない、とわかります。

つまり個人情報が洩れたくらいでいちいち騒ぐ人は感情的になって思考が浅いのです。

思考が浅ければ、それで何が困るか、なぜ恥ずかしいのか特定できませんから、単に自分の思い込みによる判断になります。

それは「いい人」の、どこにも存在しない「こう思われるのではないかという思い込みと同じ精神構造です。

つまり企業や政治家、芸能人などの不祥事で騒いだり不謹慎狩りをするのは、いい人なのです。

しかしそうやって騒ぐから、社会はより生きづらさを増していく

実は、私たちが生きる世界の閉塞感を強めている犯人こそ、常識や道徳心を守るいい人」たちなのです。

一人でも生きていけるのが現代日本の素晴らしいところ

人間は一人では生きていけない」と言われたら、多くの人は納得すると思います。

だからよけいに、「友達礼賛」という価値観がこの世を覆い、人間関係は重要だと私たちにプレッシャーをかけます。

しかし私は、現代日本ではそれは真実ではないという認識を持っています。

確かに無人島に一人で住んでいれば絶望的になるかもしれない。

かつてのムラ社会のように、村八分にされれば自分の田んぼへの水流を止められ、死活問題だった。

飢饉などで苦しいときは食べ物を融通し合うなど、近所での助け合いは重要だった。

しかし今、「ぼっち」で生きている人はたくさんいます。

コンビニに行けば食べ物は手に入るし、ネットがあるからぼっちでも寂しくなく、むしろそのほうが快適だという人も少なくありません。

私の田舎では高齢者の一人暮らしはとても多く、「あのひとは最近みかけないねえ」という噂が立つほど、普段は特に誰ともかかわらない人は珍しくない。

知人女性のご主人は株式トレーダーなのですが、超引きこもりです。

結婚して奥様がいるので完全に一人ではありませんが、どこへも行かず、誰とも会わず、1日数時間、株のトレードをして、あとはのんびり過ごしている。と奥様から聞きました。

人間は一人でも生きていけます

一人では生きてはいけないなんて思い込みに過ぎず人は社会的な生物だから一人では生きていけないと主張する人はその人に自信がないだけです。

快適な生活ができるかどうかは別として、別に学校に行かなくても、携帯電話がなくたって、LINEをやってなくたって生きていけます。

これは自分自身の経験からもわかったことです。

私は就職が決まらないまま大学を卒業してフリーターをしていました。

バイトはビル掃除だから、仕事中は他人と会話する必要がありません。

どんなに性格が悪くても、仕事をきちんとやっていればバイト代はもらえます。倉庫内での軽作業、仕分け作業なども同じ。

職場の同僚や先輩たちとも、「おはようございます」「おつかれさまでした。」だけで完結し、その他の時間は誰とも会わず、誰とも話をしない日々。

帰りにコンビニ弁当を買い、一人でテレビを見ながら食べる日常の繰り返し。

そして現在の私も、仕事での付き合いはありますが、自宅近所での人間関係はほぼ皆無です。

自宅兼賃貸マンションを建てるとき、近隣からの反対があり、快く思われていないからです。(引越し時にあいさつに行った時も文句を言われました・苦笑)

そうした孤立状態を私はまったく気にしないのですが、知人の一人から、「地震など自然災害が起きたら助け合いが必要だから人間関係は重要だ」と言われました。

しかし私がこうした主張に納得できないのは、普段からの人間関係があるから助け合えて、なければ助け合わないという、いわゆる「部落差別的な発想が根底にあるように感じる点です。

それはたとえば「電車の優先席なら譲るけど、普通席に座っていれば譲らなくてよい」という発想に似ています。

でも私は逆にすべての座席が優先席だと考えています。

それと同じく、普段の人間関係が良かろうと悪かろうと災害などの非常時には誰彼関係なく支援するつもりです。

だからわが家には、普段からミネラルウォーターや保存食のストックがたくさんあり、太陽光発電設備を設置し非常時の電源として使えるようにしています。

そうやって、「どんな時でも自分から提供できるものを持っている。そして非常時には普段の人づきあいに関係なく協力する」という自信があれば、近隣の人間関係なんてどうでもよい問題です。

私の例はあまり参考にならないかもしれませんが、「一人でも大丈夫」と思えれば、必要以上に嫌われたくないとか好かれないといけないといった発想からは解放されるのではないでしょうか。

一人の時間が個を強くする

人間が自己を確立するには孤独な時間が必要であり、自己を確立した人間は一人でいても平気です。

そういう意味においても、一人でいる時間を作ることは極めて重要な投資行為だと私は考えています。

だから、ぼっちを恐れる必要はないし、むしろそのほうが好都合くらいに気楽にとらえることです。

他人といるときに、自分の内面を深く掘り下げることは難しいでしょう。

他人と会話したり、他人とSNSをしたり、他人に影響され続けていては、本当に自分がやりたいこと、すきなこと、嫌いなこと、したくないことに思いを馳せることも難しいでしょう。

確かに、他人とディスカッションすることで、よりよいアイデア、よりレベルアップした解決方法が見つかったり、勇気づけられたり、気付きを得たりということはあります。

しかしもっと重要なことは、自分自身の物事に対するとらえ方やそれに対する感じ方を整理することです。

子供も学生も、一人でぽつんとしている人ほど、話すととてもしっかりしていて、いつも友達と一緒に遊んでいる人ほどどこか軽いというか考えが浅い印象を受けるのは、一人の時間の長さに起因しているのではないかと私は考えています。

悩みも不安も、本人がより成長するための燃料です。

相手のことを真剣に好きでなければ恋愛で悩まないし、勉強に興味がなければ成績が伸びないことに悩んだりしないでしょう。

そして、「ああ、自分はこう感じているんだ」「だけど、こうしないといけないな」「だから明日からはこれをやってみよう」と自分の中で感情を消化しモチベーションを管理します。

そのため思春期に個室が与えられないと、悩みや不安を内省・消化する時間がなく、精神が未熟のまま育つリスクがあります。

そして、論理的に深く考えることが苦手になります。

ちょっと複雑な問題に直面したら、「ああもう、わからない!」「もうどうでもいい!」「もう知らない!」とさじを投げががちです。

自分の頭で考え抜くという経験をしてこなかったため、物事を突き詰める思考体力がありません

そのため、何かにつけて感情的になり、感情で判断します。

たとえば「他人から嫌われたら何が困るの?」と質問すると、「そりゃ困るでしょう」「何かあったときに助けてもらえないじゃない」と、浅い回答しか返ってきません。

「あなたは不謹慎だというけど、何がどう不謹慎で、それで誰が困るの?」と質問すると、「不謹慎に決まっているだろう」「ダメなものはダメ」と、まるで具体的な根拠がありません。

あるいは想像力や発想力の源泉も基本は個人です。実際、漫画家、作家、作曲家、画家、書道家、陶芸家などなど、クリエイティブな職業についている人は、たいてい個人です。

自宅やオフィスにこもって黙々と作業したり、あるいは散歩しながら考えたり、一人でいるからこそ人の感情を揺さぶるアウトプットが出せるのではないでしょうか。

そうやって、他人とのかかわりから離れ、一人で自分の心と向き合うときに、自分固有の価値観やあり方が見えてきます。

今までの経験をもとに、自分への影響、自分のありようが見えてきます。

すると、他人の目に縛られていた自分を解放できる

一人でいてこそ、いろいろなしがらみから解放され、自由に心を模索する世界を手に入れられる。

ちょっと観念的でわかりにくいかもしれませんが、この快感というか、満たされた時間を実感できると、一人でいることが寂しくなくなります。

一人となって自分の内面と対話するのは豊かな時間でありまったく寂しくはないことがわかります。

誰かと一緒でも楽しいけど、一人でも楽しい。孤独や孤立を恐れない、強い自己がはぐくまれます。

image by: Shutterstock

 

午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門

著者/午堂登紀雄
フリー・キャピタリストとは、時代を洞察し、自分の労働力や居住地に依存しないマルチな収入源を作り、国家や企業のリスクからフリーとなった人です。どんな状況でも自分と家族を守れる、頭の使い方・考え方・具体的方法論を紹介。
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