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1994年、すでに日本でVRを活用している事例が存在していた

「Playstation VR」の登場によって今注目を集めているVR(バーチャルリアリティ)。前回の記事で「VR元年は27年も前」という知られざるVR史を語ってくれた、日本バーチャルリアリティ学会会長の廣瀬通孝さん。まぐまぐの新サービス「mine」で無料公開中の、廣瀬通孝さんの記事では、その続編として90年代の時点でVRを取り入れた試みを行っていた「子どもメディア研究会」という団体を紹介し、その画期的な活動を高く評価しています。いったい、どのようなVR活用事例があったのでしょうか?

社会人の部活‐子どもメディア研究会  [世界VR史]

今回はちょっと変わった話題を紹介する。

我々はそれを「社会人の部活」と呼んだ。「子どもメディア研究会」とは、NHK・一色伸夫プロデューサ(当時)が発起人となり、当時の新進気鋭のメディア研究者やアーティストを集めて組織した子どもとメディアに関する研究会であった。いつごろから開催されていたかは正確な記録がないが、1990年代のはじめごろから、NHKの放送センター内で1-2ヶ月に一度ぐらいの頻度で開かれていた。メンバーは、今思えば豪華で、現在カリフォルニア工科大学教授(心理学)の下條信輔、メディアアーティストの岩井俊雄などの顔が並んだ。その前身は、東大小児科・小林登教授を中心とした母子相互作用の研究会であり、1970年代の末までさかのぼる。

バーチャルサッカーの様子

この研究会の活動内容は多岐にわたり、全てをまとめることは難しいが、中でも特徴的な試みのひとつが、「夢のテレビ」であった。これは、入院中の国立小児病院の子どもたちに、VRなどの高臨場感メディアで外の世界の体験を届けようという試みであった。最初に行った実験は、アークヒルズの屋上に設置したパソリンク(50GHZ帯による画像通信機)を利用した小児病院への画像通信実験であった。当時はインターネットによる動画通信など思いもよらなかった。小児病院に届けられたのは、アークヒルズ屋上からの眺めや、CGで作られた火星の表面映像(ちょうどバイキングが着陸した直後で、NASAの研究者が著者の研究室に置いていった)などであった。

アークヒルズ屋上に設置されたパソリンクアンテナ

 

小児病院には比較的重度の入院患者が多い。大人であれば、長期入院してもそれほど大きな影響はないかもしれないが、発育中の子どもが学校にも行けず、病院に縛り付けられては、心の発達に大きな問題をもたらすことになりはしないか、と小児病院の先生方は心配したのである。VRなどを使って、遠足や運動会などのワクワクドキドキ体験を疑似体験させたらどうだろうという試みであった。

発達期の子どもたちにVRのような強烈な刺激を与えるのはいかがなものか、という意見も少なくないだろう。現在でも、その方が多数派意見かも知れない。しかし、この研究会の発想は全く反対であった。小児病院の小林登院長は、東大医学部教授時代からデジタルメディアの育児における役割を積極的に評価してくれていた。1969年に始まる「セサミストリート」が、就学前の子どもたちの教育に好ましい影響を与えたことはよく知られている。

この研究会の活動のうち最大のものは、1994年の夏、山中湖で行われた難病の子どもたちのキャンプ「がんばれ共和国」の「バーチャル・サッカー」であろう。これは「夢のテレビ」の発展形ともいえるもので、冒頭の写真がそれである。山中湖の子どもたちとJリーグ・横浜マリノスの選手たちが、ハイビジョン衛星回線でつながれ、サッカーのPK戦をバーチャルに行ったのである。会場にはパラボラアンテナをつけた中継車がやってきた。

子どもたちの正面には、当時としては大型のハイビジョンスクリーンが置かれ、そこには横浜のサッカーゴールとキーパー(選手)が映っている。子どもが蹴ろうとしているボールにはセンサが仕込まれていて、蹴った力の大きさと向きが検出され、それからボールの軌道が計算され、画面の中をCGのボールが飛んでいく。ゴール前の選手の前にも、TV画面が置かれ、ボールの飛んでくる様子が見えるようになっていた。選手が動くと、体重を感じるセンシングカーペットがその位置を計測し、飛んでくるボールの軌跡上に立てば、キャッチしたことになる。大規模なTV会議を作ったわけである。あとで考えれば、ハイビジョン映像回線をこれほどインタラクティブに利用したのは当時としては画期的なことではなかっただろうか。

子どもメディア研究会は、2005年ぐらいまで続き、今は各メンバーがえらくなりすぎて気楽に集まれなくなって、なんとなく休止している。しかし、それはそれでよいと思っている。気楽な会であるがゆえに、医学・工学・心理学・アートという広い分野の人が集まり、議論し、時には大きなプロジェクトを成し遂げた。そこで得た人脈は著者の研究人生において大きな役割を占める。最近は、こういう学際的組織を計画的に作ろうとする動きもあるが、計画していないからこそ、部活だからこそ、凝集力が出てくるという側面もある。

こういうボランティア的組織であったゆえに、記録があまり残っていないという問題もあり、今回は写真集めに苦労した。しかし、スピルバーグが、難病の子どもたちのためにコンピュータを使おうという、「スターブライト計画」を提唱するのがちょうどこの研究会発足に前後してのことであるから、社会人の部活にしてはずいぶん先進的なことをやったものだと思っている。

image by: Shutterstock

 

著者/廣瀬通孝

東京大学大学院情報理工学系研究科 教授。昭和57年3月、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。工学博士。同年東京大学工学部講師、助教授、先端科学技術研究センター教授などを経て、平成18年東京大学大学院情報理工学系研究科教授、現在に至る。日本バーチャルリアリティ学会会長、監事などを務める。

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