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【京都】今なお残る忠義の証。忠臣蔵ゆかりの名所に義士を訪ねる

歌舞伎や年末テレビドラマの定番、「忠臣蔵」。歴史に興味のない方でも、大石内蔵助、赤穂浪士、吉良上野介、浅野内匠頭、松の廊下など、忠臣蔵にまつわる言葉を耳にしたことはあるのではないでしょうか。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、今も京都に残る「忠臣蔵ゆかりの名所」が紹介されています。

忠臣蔵にゆかりの京都

12月と言えば忠臣蔵ですよね。今回は忠臣蔵ゆかりの京都の名所を巡ってみようと思います。

主君・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の無念を晴らすため、大内内蔵助は赤穂(兵庫)を出て京都山科に居を構えました。討ち入りのため江戸に出発するまでの1年余、決意を胸に秘め京都で秘策を練ります。たった1年半の滞在でしたが京都には赤穂義士ゆかりの品や密会場所、討ち入りの成功を願いつつ通った神社などが残っています。

12月14日は赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日です。毎年この日には山科の大石神社周辺では「義士まつり」が三十三間堂近くの法住寺では「義士会ぎしえ法要」が行われます。今回は主君の敵を討つため熱い思いを秘めつつ、京都で暮らした内蔵助を偲びゆかりの地をご案内します。まずは京都駅から近い来迎院からご紹介しましょう。

来迎院(らいごういん)

来迎院は皇室の菩提寺でもある泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭(たっちゅう)のひとつです。この寺には大石内蔵助の建てた茶室・含翠軒(がんすいけん)が残っています。今熊野観音寺に向かう道の右側に来迎院への入口の看板があります。

内蔵助は京都山科に移り住む際に、親族である来迎院の僧・卓厳に頼んで檀家になっています。内蔵助は境内に湧き出す名水を大変気に入りました。そして茶室・含翠軒を寄進し、この場所で討ち入りの策を練っていたと伝えられています。縁側には内蔵助の肖像画、遺愛の茶釜、念持仏、直筆の絵の写真などが飾ってあります。

泉湧寺 皇室の菩提寺 「御寺(みてら)」
今熊野観音寺

法住寺(ほうじゅうじ)

来迎院から少し距離がありますが20分程歩いて三十三間堂向かいの法住寺へ。ここには四十七士と浅野内匠頭の木像が安置されています。本尊の不動明王は「身代わり不動」と言われています。

内蔵助はここで討ち入りの成功を祈り同士との連絡場所にも使ったといいます。討ち入りの日である12月14日の11時から毎年義士会法要が行われています。献茶会の後は舞妓さんのお点前によるお茶会や討ち入りそば(そば+お茶で¥1,000)の接待もあります。

長楽寺(ちょうらくじ)

image by: 京都フリー写真素材

長楽寺は八坂神社の裏手、円山公園の近くにあります。平清盛の娘で高倉天皇の中宮・建礼門院徳子が落飾した寺として有名です。

奥の墓地には赤穂藩医・寺井玄渓が眠っています。彼は円山公園の近くで町医者を開きながら内蔵助らを支えていたと伝わっています。赤穂浪士達による討ち入り後は義士の遺児達の面倒も見たという優しい町医者だったようです。

円山公園(まるやまこうえん)

赤穂藩医・寺井玄渓のの碑が円山公園にあります。内蔵助達の切腹を知り、「人生ははかない夢のようだ」と嘆き、近くの岩に「夢」の字を彫ったそうです。

かなり分かりづらい場所にありますが、食事処・東観荘の前の石段を下がったところにあります。この石碑の奥には老舗料亭「左阿弥」があります。

円山公園 京都市最古の公園

一力亭(いちりきてい)

祇園四条の交差点から八坂神社に向かう道の左側の歩道を歩くと四条花見小路へ入る角に赤壁の建物があります。風格あるこの建物が有名なお茶屋さん「一力亭」です。

歌舞伎仮名手本忠臣蔵で大星由良之助(大石内蔵助がモデル)が出入りしていたのがこの一力亭です。実際に内蔵助が遊んだとされている場所は伏見の遊郭「よろずや」というお茶屋さんだったそうです。

一力亭は「一見さんおことわり」なので、なかなか入ることが出来ませんが、現在も営業中です。

大石神社(おおいしじんじゃ)

 

大石神社へは四条河原町から京阪バスで山科の大石神社前で下車して移動出来ます。この神社は文字通り内蔵助を祭神とする神社です。

ここの目玉は映画やドラマなどで大石内蔵助を演じた俳優達のパネル写真が並ぶ宝物館があることです。また赤穂の義士達の人柄が偲ばれる書も展示されています。

討ち入りをした12月14日には毘沙門堂から大石神社まで四十七士に扮した義士列が歩く「義士まつり」が開催されています。行列が大石神社に到着するのは午後2時半頃です。

岩屋寺(いわやでら)

大石神社から竹林の道を通り「大石内蔵助遺髪塚」の石碑を脇目に進むと岩屋寺が見えてきます。大石神社からはほんの目と鼻の先です。この辺りは主君・浅野内匠頭が切腹してから約1年間内蔵助が隠棲していた場所です。

岩屋寺にも内蔵助や四十七士縁の寺宝が数多く残されています。本堂には秘仏の不動明王像が祀られていて内蔵助の持念仏だと伝わっています。その他にも浅野内匠頭と四十七士の位牌や内蔵助の肖像画、手紙、討ち入りの時に着た鎖襦袢などが所蔵されています。

瑞光院(ずいこういん)

瑞光院は四十七士の主君・浅野家の菩提寺です。境内の奥には浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の墓と、四十六士の遺髪塔内蔵助と義士達の墓碑が並んでいます。四十六士と1人少ないのは、討ち入り後に姿を消し生き延びた寺坂吉右衛門が数に入っていないからです。

浅野内匠頭の墓は内蔵助が内匠頭愛用の短刀と衣冠を埋めて建立した墓です。

山科の地は内蔵助が主君の無念を晴らすために仇討の策を練った場所です。主君のために命を懸けて仇討ちをしようとしていた四十七士達は浅野内匠頭を相当慕っていたのでしょう。

義士の情熱と情熱的に慕われた主君の人柄に想いを馳せながらこの時期にゆかりの地を巡ってみてはいかがでしょうか?

いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

 

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