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【豆知識】由来を知れば分かる、「白馬岳」の正しい読み方

長野県と富山県にまたがる、北アルプス北部の白馬連峰。「後立山連峰」とも呼ばれるのですが、実は信州の方々はこの呼び方があまりお好みではないようで……いったいその理由とは? 無料メルマガ『安曇野(あづみの)通信』の著者・UNCLE TELLさんが、白馬連峰のあれこれと併せて記してくださっています。

白馬岳えとせとら

北アルプス北部のおなじみ白馬連峰、地元民、山好きならずとも国内で広く知られた名峰である。この白馬連峰、南から鑓ヶ岳(2,903m)、杓子岳(2,812m)、白馬岳(2,932m)の三つの山からなる。白馬三山ともいわれる。この山の美しさは特に雪に覆われた季節のそれはとりわけである。山の名もかたちもそれぞれ特長を表していて面白い。白馬岳だけは盟主らしくどっしり構えている。

白馬岳(はくばたけ)は、本来はしろうまたけである。この山を白馬岳と呼ぶようになったのは歴史的にはそんなに古いことではないらしい。江戸時代の半ばまでは、南に連なる鑓ヶ岳とともに大蓮華岳と呼ばれていたようだ。白山、立山と同じく信仰の山だったのである。白馬岳の字は、1824(文政7)年頃からあらわれ、山頂に一等三角点が置かれた1894(明治27)年頃から固定した山名になったという(長野県百科事典)。

 

余談だが、後立山連峰という呼び方がされるが、私はどうもなじめない。黒部川の東側、長野・富山県境、一般には北は白馬岳から南は針ノ木峠までを指すようである。後立山という呼び方は、富山県側からみて立山のうしろに連なる山という意味で名付けられたもので、信州側から見ればあまり響きのいいものではないかもしれない。

白馬岳の由来は、農作業の代掻き(しろかき)が始まる頃、山肌の現れる馬の雪形から「代馬しろうま」と呼ばれ、それがいつしか白馬岳に変わったといわれる。代が白と変わり、その上しろうま岳と呼ぶべきものを、はくば岳と呼ぶようなってしまったといわれるが定かではない。

三山の一番南、鑓ヶ岳の名が固定したのは1880(明治13)年頃といわれる。真ん中の杓子岳、いかにも杓子を逆さまにしたような山容である。ネットで調べたら国内に杓子岳と名前がついた山はいくつかあるようだ。いつ頃からそのように呼ばれたかはわからない。

白馬岳の山麓、白馬村の歴史は明治になってから。1875(明治8)年に佐野・沢渡など5ヵ村が合併して神城村に、同じく深沢空峠新田、細野新田など8ヵ村が合併して北城村に、その後80年を経て、1956(昭和31)年にその両村が合併して現在の白馬村となった。隣の小谷村の歴史は古い、小谷の名が歴史文書に最初に現れるのは、平安から鎌倉の1190年代。先の平成大合併ブームの折り両村も合併をすすめたがうまくいかなかった

白馬岳とその麓の高原は、昔も今も多くの登山客、ハイカー、観光客、スキーヤーを集める信州を代表する観光スポットのひとつ。その魅力もさることながら、こうした名前の由来など知れば、更に興味が増すだろう。

image by: Shutterstock.com

 

『安曇野(あづみの)通信』

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発刊以来10年、みすずかる信濃はアルプスの麓、安曇野を中心に信濃の光と風、懐かしき食べものたち、 野の花、石仏、植物誌、白鳥、温泉、そしてもろもろ考現学などを、ユニークな(?)筆致でお届け!

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