社員の7割が知的障害者。「日本理化学工業」が教えてくれたこと

 

健常者に負けない生産性を

しかし、世の中には心ない声を投げかける輩がいる。知的障害者中心にやっていけるのは、「(障害者でもできる)チョークだから」という。

大山さんは悔しく思って、チョーク以外でも作れることを証明してやろうと思った。そこで東京青年会議所での活動を通じて親しくしていた音響メーカー・パイオニアの松本誠也さん(3代目会長)に「なにか仕事を発注してくれませんか」とお願いした。

松本さんは「そういうことなら」と快く、ビデオカセットの組み立ての仕事を回してくれた。カセットの中に5つの部品を組み付ける仕事である。

同じ仕事を、別の大手メーカーにも発注しているが、そこでは一人1日約1,000個組み立てるという。大山さんはこれを目標にとりかかった。

最初は、その大手メーカーと同じように、ベルトコンベアで運ばれてくるカセットに、一人で5つの部品をすべて組み付けるようにしたところ、せいぜい1日200個から300個しかできない。

そこで5人が並んで、各人が部品を一種類ずつ組み付けるようにした。すると5人で1日5,000個を組み立てることができた。一人当たりにすれば1,000個と、大手メーカーの健常者と変わらない生産性である。しかも、不良率はこちらの方が勝っていた

工程を単純化したことで、知的障害者たちは目の前の作業に集中できるようになり、その結果、自分の持てる能力を最大限に発揮して健常者以上の仕事ができるようになったのである。

企業こそ「働く喜び」を与えられる

こうした試行錯誤を繰り返しながら、知的障害者を主力として会社を経営していけるという確信を持つにいたった。知的障害者を初めて雇用してから15年たっていた。

知的障害者が健常者並みに働いて、その喜びを味わって貰う工程改革ができたのは、企業なればこそだと、大山さんは考えている。

企業は市場競争に勝って、利益を生み出さなければ生き残っていけない。障害者だから生産性は低くとも良い、ということでは、企業は成り立たない。だからこそ、知的障害者でも健常者並みの品質、生産性を発揮できる工程を必死で考えなければならなかった。

福祉の世界ではこうはいかない。税金を貰って、それで知的障害者の面倒をみている限りは、彼らに健常者並みの仕事をしてもらわねば、という切羽詰まった危機感は生まれない。

そこでの知的障害者はあくまで保護を受ける側だが、企業ならば働くことを通して社会に役立ちその対価として給料を受け取る存在となれる。知的障害者達に、このような「働く喜び」を与えられるのは、福祉でなく企業であると、大山さんは考える。

「ぜひ、サポートしたい」

障害者を主力とする「工程改革」に目処がついた頃、願ってもないチャンスが訪れた。昭和48(1973)年、労働省が障害者多数雇用モデル工場の融資制度を作り、日本理化学工業も対象に入ったのである。

工場のあった大田区では宅地開発が急速に進んで、周囲は住宅に取り囲まれ、騒音の問題もあって、いずれは移転しなければならない状況にあった。この融資制度を使って、新工場に移転しようと考えたのである。

そのためには、まず移転先の土地を見つけなければならない。地元の東京都に相談すると、「大田区に福祉工場をつくる計画を進めているから、支援するつもりはない」とにべもなく断られた。

気を取り直して、川を隔てた川崎市に相談すると、思いもかけず暖かく迎えてくれた。伊藤三郎市長(当時)が直々に、こう声をかけてくれた。

大山さん、川崎市は障害者施設の延長上に雇用施設をつくるのではなく、みなさんのような企業に障害者を雇用していただくのが一番よいと考えています。ぜひ、サポートしたい。土地はなんとしても探しますよ。
(同上)

そして、市内の約4,000平米の土地を安く貸してくれることになった。

「大山さん、ぜひやってください」

もう一つ乗り越えなければならない山があった。労働省から融資を受けるには、金融機関の保証を得ることが条件となっていた。

長年つきあっていた地元の信用金庫に相談すると、当時はまさに第一次オイルショックの真っ直中、支店長は渋い顔で「この不景気なときに、そんなにお金を借りたら、返せなくなることは目に見えています」とけんもほろろの応対だった。

万事休すかと気落ちしていたところに、得意先開拓をしていた三菱銀行(編集部注:当時)の営業マンが飛び込んできた。大山さんは、障害者雇用への思いを述べ現場で一心に働く彼らの姿を見てもらった

営業マンは、大山さんの話をじっと聞いて、「わかりました。早急に検討します」と帰っていった。しかし、長年のつきあいがある信用金庫にも断られた小企業を、天下の三菱銀行が相手にしてくれるとも思えなかった。

数日後、「支店長から了解が出ました大山さんぜひやってください」という連絡を受けたときに、大山さんは「本当ですか?」と思わず大声を出した。後で聞いたところでは、支店長はしぶったが、担当者が粘ってくれたという。大山さんの障害者雇用の思いに心を打たれたのだろう。

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